SNSでのこと。
誰かの投稿に対し「その人のコメント欄」で、
いちゃもん(笑)をつけている人を見かけることがある。
私もつけられたこともある。
いちゃんもんって何を指すのか?ということになるが、
それ違うんじゃないですか?
それ間違ってますよね?
そうすべきじゃないですよ?!
普通そうしますか??
等と、批判的な気持ちや考え、批判を
感情的に
コメントしてしまうようなもの。
と、ここではしておきます 笑
もちろん、そういう気持ちや考えがあってもいい。
考え方が違うのだから当然だ。
それを決して口に出してはいけない、ということでもない。
だけど、その元々の投稿が明らかに
誰かを傷つけるようなものや暴力的なもの、
あるははいじめや差別的、風評被害などの
問題があるわけでもないのに、
いちいち一個人の否定的な感情をこめて書きこむのってどうなんだろう?
コミュニケーションとして賢明ではなかろうと、
落ち着いて考えるとわかるはず。
もし言いたいことや伝えたいことがあったとしても
落ち着いて伝えるとか、言葉を選んで書くとか、そういう工夫もできるはず。
にもかかわらず
批判的に、あるいは感情的に、スルーできずに書き込まずにいられない衝動って何なんだろう?
ということで、このあたりについて心の仕組みから見ていくと・・・
誰かの投稿が気になる、引っかかる、一言何か言いたい感じ、
そういうのって、その頻度や程度に差有れど、
誰しも感じたことがあると思う。
これは「自分の内側の何か」が刺激されていることだ。
気になる度合いが大きければ大きいほど
一言いいたい気持ちが強ければ強いほど
自分の心のうちに何か刺激されるものがあるということ。
ここでは例えば、として出すが
もし、「マスクはもうしなくていいと思う」という誰かの投稿が
すごく気になるとしたら・・・・
自分の中の何が刺激されているのだろう?
マスクをしなかったら自分や誰かが感染する恐怖?(もし、身内に病弱な人がいたらしたら、より慎重になるのは当然だね)
常識、ルールを厳守すべきというようなビリーフ?
(ずっと、ルールを守ることを主体に生きてきたのかな)
私の考え(マスクはするべき)は正しい、自分の考えをわかってほしいというような気持ち?
(認めてほしい欠乏感があるかな)
感染が増え、経済的不安が増えること?
(既に心配がある状況ならなおさら)
etc
etc
色々なことがあるだろう。
一見わかりにくいかもしれない。
表向きに見える気持ちの下には、もっと深い思いがあっていくつも重なっているから。
だけど、何らかの内なる部分が刺激されていることは間違いない。
じゃなかったら、
気になりもしないはずだし、
ましてや感情的にコメントもしないから。
こんな時は、自分に問いかけたい。
私は何が嫌なの?
何を恐れているの?
何をわかってほしいの?
そうして
自分の中の恐怖や欲求と向き合ってみるほうが
ずっと自分の「気になる」気持ちを楽にしてくれるだろう。
相手への攻撃や批判ではなく、自分との対話。自分とのコミュニケーション。
そこが充分なされたら、もう「いちゃもん」をつける必要なんてなくなる。
自分とも仲良しになれるし、周りの人とも優しい人間関係になって行くだろう。
◆葵井美香子 WEBサイトhttp://aoimikako.com/
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