ベビーシッター登録を待つ1ヶ月、

保育士じゃ無い仕事してみました。


人と関わらない仕事に。


なんと…

なんと…

なんとビックリ!


心が軽いっ!!!!!


責任が無い!!!!


いや、責任は多分ある。

でも、それが「怪我」とか「命」とかでないという事。



そしてシッターを開始。


子どもと遊ぶのは楽しい。幸せ。

保護者さんはみんな良い人。


嫌な事が何もない。


ただ…



いいしれぬ恐怖をずっと抱えている。


「今日は何も無かったけど、次は何か起こるかも知れない…


子どもが食べてる時喉に詰まらせたら?


交通事故とかに遭ったら?


転んで顔を打ったら????


それこそ、シッターの世界は

かすり傷一つでも事故報告。


同じ怪我が重なれば、

業務(信頼)に大いに差し支えるだろう。


子どもの些細な怪我=自分の評価が下がる、下手したら職を失う


でも子どもに些細な怪我もなくすごさせようとするのはあまりにも不健康。


時給は高い。1時間2500円+交通費頂いている。

準備の時間も、連絡や往復で数時間かかっても、

趣味の範囲なので嫌じゃない。


でも問題はそこじゃない。

帰宅しても解放されない「次」への恐怖


そして…果たして無事故で何十年も続くなんて事があるのだろうか?


いつかは子どもの大きな事故が起きるのではないか…


私は守り切れるのか…


私が手を滑らせたら?


寝たまま呼吸が止まってしまったから?


熱性痙攣でそのまま息を引き取ってしまったら??


当然のように責任を問われるし、

問われるべきとも思ってる。


もし、一切責任を問われなかったとしても、


その場に居たら、必ず罪悪感という大きな重荷をずっと背負う事になる。


子どもの大きな怪我、もしくは未遂で自ら保育士を辞めてしまった先生を何人も見てきた。



命を預かっている。

幼い、7歳まで生きたらお祝いだと言われる


その小さな小さな命を、

預かっている。


仕事内容よりも、

その重圧が何よりも重かったのだと気が付いた。


保育をしてる時のモヤモヤはそれだった。

あのダルさはそこから来ていたのかも知れない。


そして考える。

今後もこの重荷を背負って保育の仕事をやるのか?と。


だけれども、怖くて泣きそうになりながらも、

進むしか無いという、謎の使命感。


やらなくても良いくらい、

ほかの仕事でやっていけるのに、


やらざるを得ない、

私の中の突き動かすもの。


求められている事実、

ありがたさ。


天職だという確信。


でも怖い。


毎回怖い。


「ここまで頑張れば」とか

「ここさえ抑えれば」がない。


保育を続ける限り、


「幼い、ひと様の子どもの大切な命を目の前で失うかも知れない、しかも自分のせいで」

「何が起きるのか分からない」

という、


恐怖からは逃れられないし、


その恐怖心を持っている事も、

保育士の素質のひとつなのかも知れない。


でも怖い。

怖くて涙がでる。


保育士は終わりのない恐怖、

大きな責任の中で日々を生きている。



プロ子育てあおいでした。