天正十二年三月十七日早朝 尾張国 羽黒
「いや~長篠での奇襲といい、左衛門殿は奇襲の達人でござるな」
林の中、拙者は馬を並べて走る酒井左衛門殿に声をかけるも、左衛門殿は顔をしかめて答える。
「半蔵。お主には緊張感というものがないのか?ようやく足軽頭になったというのに・・・」
「足軽頭になったのと、緊張感がないのは関係ないでござろう」
「関係ある。上に立つ者は、下の者の見本になるが如くしっかりしなければならぬ」
「へいへい」
拙者のあっけらかんとした態度に左衛門殿は苦笑いを浮かべる。
「まったくお主という奴は」
そして、左衛門殿は馬を止め真剣な表情で拙者を見据える。
「儂は迂回して奴らの退路を断つ。正面の敵はお主らに任せるぞ」
左衛門殿の言葉に拙者は笑顔で答える。
「御意」
その後、左衛門殿の隊は我々とは別の方向に進んで行きました。
本能寺の変の後、甲斐・信濃を手に入れ五カ国の大名となった徳川家康公。
一方、織田家の方はというと、明智光秀殿を討ち仇討ちを成功させた羽柴秀吉殿が台頭。
織田家筆頭家老の柴田勝家殿まで破り、天下の趨勢は秀吉殿に傾きつつありました・・・しかし、そんな中、秀吉殿と関係の悪化した織田信長殿の次男・織田信雄殿から家康公に救援の要請が入りました。
そして、我ら徳川は信雄殿と共に打倒羽柴秀吉の兵を起こしたのでありまする。
当初、織田家家臣・池田恒興殿も我らと共に兵を挙げる予定でしたが、突如羽柴軍に寝返り尾張国・犬山城を占拠。
これに対し我らは小牧山城に布陣し相対すると、池田恒興殿の娘婿で『鬼武蔵』の異名を持つ森長可(ながよし)殿が小牧山城を攻めるため羽黒に出陣。
この森隊目掛け我ら徳川軍は五千の兵で奇襲を行うのでありました。
・・・・・・つづく