犠牲祭を知ったのはつい昨日。

動物園に行くといった僕にタロさんが「もしかしたら開いてないかも知れません」と教えてくれた。僕は首をひねった。

犠牲祭はインドネシアの中でも大きなイベントであり、観光名所である動物園とは言えど閉園していることがもしかしたらあるかも知れない。それはネットで開いていると表示されていても普通に閉まっている、と。

犠牲祭がどのようなものであるかタロさんの説明を聞き、折角だからその催事を見に行くことを決めた。あまりオススメはしません、と微かな苦笑を浮かべながら言われた。

モスクはホテル前にあることを昨晩確認していた僕は部屋を出て10秒で衝撃的な現場に立ち会ってしまう。

牛の惨事を目撃してからすぐに道を駆け、ほかのモスクへ向かった。しかしそちらの方は既に解体が済んでおり、皮を剥ぎ取られ吊し上げられたヤギがカットされていた。こちらは柵に囲まれた園内で作業をしているために近づくことが叶わない。もっと近くで見たい、元のモスク周辺に戻った。

2頭ヤギは牛と同じように喉を抉られ、頭は可動域よりも上を向いている。喉からは赤く染まった骨を覗かせ、生命が断たれていることは瞭然だった。引きずられたのか地面には血跡があり、その上を通行人は避けて歩く。通路横にはすでに殺したヤギをヒモで吊るし、人間にあたるスネの部分からナイフを差し込み、解体、ヤギの皮を剥ぐ作業が進んでいた。ヤギの後ろ足はヒモを掛けられ吊るされているのでその部分だけ毛並みがついているが、それから下は青白い肉だけ。残った毛皮は人の手でベリベリに剥されていく。腸をバケツに落とし、前足は完全に断つ。ナタをがんがん降り続け首を折り、あとは人が取れかかった首を捻じりながら引っ張り、完全に首を取った。

奥に、先ほどの牛がいたので近づく。パックリと裂かれた喉から肉がはみ出ている。

僕は、横で包丁を研ぐ人に斬り殺されるんじゃないかと不安に思うくらい最前に近づき、スマホで撮影した。

牛の図太い骨に包丁をたてるとコツンと音がする。相当硬いのか、ヤギを解体するような刃渡りの短いナイフでは捌けないようで、ナタを持ってくる。まな板のように牛の首下に木製の細板を置き、時間をかけて首を取った。首は重要ではないのか、ごみ袋のようなものに雑に入れられ運ばれようとする。

男は牛の首を撫でて笑う。なに笑ってんだ、と内心で思いつつ他の人間の行動を観察する。ヤギの声を真似する男、それに同調し笑う男。男の子はわりと興味津々なのか僕と同じように近づいて作業を見ているが、女の子は遠巻きに指さして見ている。大人の女性はもっと遠くから様子を眺め、関わりたくと言わんばかりの様子だった。

僕の近くにいた女性が「初めて見たのかぃ?」的な口調でインドネシア語を投げかけてきたので「そうだ(ya)」と答えた。

奥にいるヤギたちはブルーシートの上でスムーズに解体され骨と肉がバラバラにされていく。実に手際が良く、食事の時に魚の骨をまんま取り外しているようだ。昨夜うまいっすねと言って食べた焼き鳥もああなるのだと思うと胃が変な感じがする。

牛の皮は順調に剥されていく。順調と表現するほどに手際がよく、ひょっとしたら牛を解体できるのは手練れの人だけなのかも知れない。青白い筋をナイフで切り裂いていく様子はさながらリンゴの皮を剥くようで、途切れることなく牛から皮だけを取り外していく。白く濁った肉が鮮明に見えてきた。牛の半分、片足から牛の頭の直線までの皮剥ぎが終わった。

爺さんが木製の長椅子ベンチを用意し始めたので、何食わぬ顔でそれに座る。1番の特等席だ。するとなぜか爺さんがタバコを1本差しだしてきたので、トゥリマカシ(ありがとう)ともらい、吸いながら作業を見続けた。雰囲気から、タバコ吸っていいんかい、なんてツッコミは湧かなかった。僕はそのくらい場に溶け込んでいた。

作業はいつの間にか進んでおり、バケツから溢れんばかりの腸が牛から取り除かれていた。牛の糞が出てきた。生きてきた証みたいに思えた。牛に残っていた残り脚2本も切り離された。絨毯のように広がっていた牛自身の毛皮は布団みたいに折り畳められてゴミ袋に捨てられた。


部屋に戻ってからベッドに飛び込んだ。

9時から行われた犠牲祭は昼にはその絶頂を過ぎていた。

部屋に入ってスマホで撮影した動画を見返す。あそこまでショッキングな光景を直接見たことはなかった。その疲労が一気に体を襲い、ポカリを飲みながら気持ちを切り替える。

価値観が変わりそうな、不思議な時間だった。

村田沙耶香さんの消滅世界という書籍を読んだときにも感じた感覚。

体感したことが当たり前であるという常識に囚われてしまい、一般世界の感覚にズレが生じてしまい、うまく噛み合わない世界を不思議に思ってしまう。僕が見た犠牲祭のような牛・ヤギの喉を切り裂くことはニッポンでもありふれた光景なのか、と誤った価値観に染まってしまいそうになる。

夢現(ゆめうつつ)といったところか。現実と夢の境目が曖昧になりかける。

試しに、実家が家畜農家である高校時代の友人にLINEした。

「豚などの家畜って死ぬときは刺されるの?」

「薬で死ぬ!」

少しホッとした。

しかし「お前は薬で死ね!」と追文されたので、そいつには鶏で食あたりになってほしい。