どうも海猫です。
ご覧いただきありがとうございます。
今回もちょっとヘヴィなのですが、
ここを過ぎたら多分おちゃらけ回になると思うので
1回我慢でお付き合いのほど、よろしくお願いいたします。
海猫初心者の方は、自己紹介など(お気が向かれましたら)。![]()
両手を拘束されていることに気がつかないほど
体が軽く感じられていましたが、それはベッドに寝ていたからで、
また、それは体の感覚を失っていたように思います。
目が覚めて最初に気づいたのは酸素吸入器が付けられていることでした。
意識がはっきりしてくると、左の腕にはぶっとい点滴の針がぶっ刺さっていて、
体には心電図のモニターにつながる電極、他にも何かいろいろつながっていましたが
見回りに来た看護師さん(男性)が勢いよくいくつかの管を外して去りました。
ベッドから動けないので、知らぬ間に紙オムツデビューも果たしていました。
後に紙パンツに出世しますが、KZ病院では紙パンツ(オムツ)が普通に
患者みんなに使われているようでした。長期入院ならわかりませんが
私はパジャマもレンタルしていました(手配は旦那)。
そうして私は途切れがちの意識の中で、旦那と娘と会っている時だけ
目を覚ましているような感じでした。
大量に飲んだ薬はどうしたのか、それもわからないまま数日が過ぎ、
やっと私がオーバードーズ(OD)した時のことを聞きました。
私が寝床を離れたことに気づかずぐっすり眠っていた旦那は
いつも通り朝のアラームで目を覚まして、
私がまた(よくあることだった)眠れずにリビングに行って
こたつで寝ているのだろうと思いながら階下に降りたら、
私が昏倒していて、こたつの上の大量の薬の空袋を見て全てを察し
救急車を呼んだとのこと。
娘にはハグと家で待機するよう言って、救急車の後を追いかけて車を走らせたそう。
そして私は翌朝まで目が覚めなかった、というわけです。
あれは本当に不思議で、奇跡のような感覚でした。
まるで生まれたての赤子になったような。
ここで強調しておきたいのは、私はODしようとしていたのではないこと。
死ぬつもりでした。
この違いを、後に依存症病棟でわかってもらえず
『薬物依存』と言われるのは心外でした。
私は後にも先にもODしたことは死のうとした1回きりです。
まあ、退院してまだ2週間しか経ってないんだけど。![]()
なぜ、死のうと思ったのか…
それは、次に書きます。多分。![]()
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