父、母、子 子どもは母がいて生まれる

父はきっかけにしかならない。

子どもは父、母を見て育つ。

これをしたらいけない、あれは良い、

あれをしたら怒られる、あれをしたら褒められる、

そうやって育つんだと思う。

子どもが大人になったら、また子にそれを教えていくんだと思う。

子は子でありたいと思う。

でもいつまでもその姿ではいられない、

だってその姿は仮の姿だから。

仮の姿をしていても誰もかまってくれない、

話してくれない、遊んでくれない から。

だから一歩一歩あゆみ続けなくてはならない。

あゆみを止めてしまったら、生まれてきた意味がない。

人間は意味=運命を持って生まれてくるのだから、

それを中途半端で終わらせてはいけないと思う。

中途半端で終わらせたら次が辛くなるから、

だから意味をはたしてから死んでほしい。

あゆみは一歩一歩確実に踏めるのだから

怖がらず進んでみよう。

進んだ先には良い事がたくさんあるのだから

止めてしまった人間が見ることができない世界が見られるはず。

そう信じてあゆんでほしい。
我はなぜ生まれてきたのか?

なぜ生まれて、苦しみ、笑わなければいけないのか?

この世に何を求めて生きているのだろう?

一人一人にかせられた運命はなんだろう?

運命をはたせなかったら次は違う人間が背負うのだろうか?

本当に生き物とゆうのはめんどくさいものだ。

でも本当に分かってる人間は少ない、わかっていても違う方を見てしまう。

向きあわずして運命からのがれようとしてる。

そんな生きかたが逆に自分を苦しめてるのだと思う。

運命どおりあゆんでも苦しみはあると思うが向き合わないよりはましだ。

考えても考えても分からないかもしれない、だって分からないんだも。

分かる人間は極わずかである。