A blue 10yen coin.

A blue 10yen coin.

coduのブログです。若いうちにしか書けない事書いていくで。たぶん毎日18:30に更新するで。

Amebaでブログを始めよう!
ようやく形になったので、本日を持ちましてbloggerに移転します。
画像2MB制限もなくていい感じ。
ではでは。

http://a10yd.blogspot.jp










特に意味はないですがbloggerに移転しようかな、なんて考えてます。

よく考えたらアメブロって使いたいと思ったこともないし、
アクセス解析も胡散臭いし、アメピグも読者とかも好きになれないんです。
別にブログ同士絡み合う必要とかないし、
好きな文章を書いて写真載せて広告が少なければそれでいいんです。
最近は何をやるにしてもコネクションがないと一人ぼっちみたいで、
逆に何をしててもコネクションの一部で、
インターネットの日陰じゃないけど、友達登録とかイイネボタンもなく、
もちろんコメントもメールもないひっそりとした場所が個人的には必要で。
だったらチラシの裏にでも書いとけよってな感じですが、
パソコンの方が饒舌になれるし、もし仮に家が焼け落ちてもログは残るし、
正直根っからのネット好きなんでブログという形式は殺したくないんですよね。
そんな訳なんですが最近は家事も勉強も息抜きも忙しくてなかなか書けません。
書けないってことは書きたいことがないってことなので別にどうも思いませんが。
やっぱり起伏には波があるようで、少し外が涼しくなってきたら急に思考が増えました。
てな訳で暇なときに移転します。











夏が終わり、静けさと涼しさが到来するということは、
秋の訪れが肉体的に過ごしやすくなるということですが、
逆に自分の危機的な状況は熱を帯び、
ますます避けられない日の目に晒される時期が近づいているということになります。
その季節を逆説的に航行するような船旅も、まだ楽しめた初期ののどかな海原ではなく、
ますます荒々しい暗い水の上で、風雨と鋭い波にさらわれないよう必死で甲板にしがみつき、
いつ開けるかもわからない嵐の中を、だいたいの指標となった羅針盤を手に、
ひたすらに進むという状態です。
賛同を求めると同時に批判的な意見を受け取るということも、時には必要で、
僕が僕自身に納得させていることが、身近な人にも伝わらないことがたまにあります。
それも受け取り方は様々で、やっぱり悲観的に捉えるべきではなく、
経験を基軸にした展開として、それも自分を生かす材料として、肯定的に吸収するのは不自然ではありますが、
必要なことだと思います。
否定的な意見には耳を貸したくないし、同じように否定的な意見としての自分の考えで、
後日改めて消極的に自己保身に浸ることはできますが、それは当時の意見として、
柔軟にカテゴライズされて保存されるべきデータなのです。
自分だけが気づいている、だなんて思い上がりは後で恥ずかしくなるばかりで経験上よろしくないし、
みんな気づいているし、行動してる、その中で自分はどう考える・動くのかという方が、
後ぐされも引け目を感じないように思います。
結局のところ人を中心に円滑に作用しているこの社会では、社会に適合するというよりも社会の多くを知らなくてはいけないのです。
そういった点でまだまだ自分は未熟で、未熟な身の上に対して頭を下げるつもりはないですが、
可能な限り今の考え方を記録して、そういったものの残りカスを道しるべにこれからも生きていきたいです。









今年も残り120日を切っているようです
365日なんて全然多くないですね
無為自然に過ごす事もできれば、
荒ぶる激情に任せて瞬間的に過ごす事も出来る
僕の場合はそれらの間くらいでしょうか

よく好きな人と過ごす時間はあっという間で、
嫌いな人と過ごす時間はとてつもなく長く感じるといいますが、
今年は去年一昨年に比べても相当早く流れた気がします

たぶん、悪い意味で慣れちゃって、居心地の良さまで感じてるのかもしれないです
それとも、本当はとても辛いけど、希望の未来を想像しながら寂しさを押し殺して、
無理矢理自分自身を納得させているのかもしれません
どちらにせよ、現状は打破して次のステップへ
人生回り道も立ち止まるのも悪いこととは思いませんが、
いつまでも燻っていても仕方がないです
満足した瞬間にそれらをぶち壊して、また次の自分を創造しなくては
その繰り返しなんです

過ぎ行く日々は億劫に、顧みる過去もまた億劫に、
正面に立ちはだかる壁も億劫に、その先の未来には愛と幸福を、
求める先には大きな理想を、常には前進することを、
努力のない達成は求めず、浅ましい価値観は掃き捨て、
自己と対立し、他人と協調し、異国の情緒に焦がれ、
愛と理想と音楽を愛し、神と自然と人を敬い、
いつまでも敬虔で聡明な人物であらん事こそ望む

簡単なことです
引用でも何でもないですよ
僕が思うに神のような存在は自分の中にありますね
基本的に僕は不可知無神論者ですが



深夜三時の静けさに乗せてブログを書きます。


ちょっとだけハマったChevelleを聴きながら。
音がめちゃくちゃヘヴィなんです、もうメタルなんです。
出だしのリフでばっちり決めてくる曲の多い事多い事。
だけど歌が普通のエモっぽいロックボイスなんです、
だからヘビメタのリフにわりかし聞き慣れたロック調の歌声がマッチしてるんで、
かなりいい感じ。

さりげなくこういうエモとかグランジっぽいオルタナからも影響を受けてます。
なかなか自分の作る物には反映されてないですけどね、機材が機材だからかな。
やっぱアンプ+ディストーションでジジーンってやってるサウンドもいいよね。
僕の場合、多方面に影響を受けていざ作ろうとすると意外としんなりした曲になる事が多い。
明確なヴィジョンが足りないのか、若しくはやっぱり自分はガツガツしたのより、
空間系とかシューゲとかニカとかフォークとか、ちょっぴりポップなのが好きなのかもしれない。
深めのリバーブかけてポロポロアルペジオするより、
パワーコード鳴らしてる方が簡単なんだけどねギターは。
GREENDAYくらい簡素な作りでわかりやすい曲作れたら楽しいだろうなぁ。

日本のアーティストって曲に凝りすぎててあまりリスナーに上手く伝わってない部分がかなりある。
それこそギターとか作曲経験ある人にしか分からないような。
みんな上手にやってんだけどね、ストレートな洋楽の方が結局受けたりするんだよね。
その内にもっとわかりやすい曲作りに、やっぱマーケティング意識するとそうなっちゃうから、
本来もっと器用なことできるはずなのにあり触れた進行に妥協したりしちゃう。
リスナー側に素人が多すぎるんだよね、音楽といっても専門分野なんだから楽器弾けなくても
多少の教養とか専門知識がないと分からないんじゃないかな。
経験者と一般素人の音楽に向き合う感覚がかけ離れすぎてて、それはもう完璧に二極化されてるからね。
例えるとサッカーや野球のルールを知らなければ試合観戦が楽しめないようにさ、
プレイヤーじゃなくてもルールは押さえとけよみたいな。
そうなれば本来もっと音楽的な技巧とか曲作りとかのセンスがある人が持ち上がってきて、
間違っても30年前から一切変わらないコード進行の曲がヒットすることはないと思うんだけど、
これは行き過ぎた心配でしょうか。
イギリスビルボードのロックチャートくらいになると、
日本の20年くらい先をいってるから高尚すぎて逆に、何が凄いのか分からなくなるけど。
gotyeのsomebody that I used to knowとか、
最初何が良いのかわからなかったけど繰り返し聴いてると確かに良い曲。
あれが7週連続で1位取ってるんだからリスナー側の質が高いんだろうなぁ。
だって日本なら確実にアイドルグループの下になっちゃうでしょ。

話は変わりますがcharと布袋寅泰の対談番組をyoutubeで見てたら、
ギターって何て奥深いんだろうって思いました。
あとギタリストってね、良い意味で図太いよね。
今は結構ふにゃふにゃな引きこもりでもギター弾けるけど、
やっぱり昔は結構恐い人とか我が強い人しかやってけない世界だったのではないかと思う。


さぁ、今日はたまたま夜眠れない病なんですが、ゴルゴムの仕業です。
いや、ブギーマンの仕業かな、まぁどっちでもいいや。
そろそろ寝ましょう。