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空の心。
ああ そういえばこんな場所に作っていたものがあった。
このブログ、放置しすぎて 作った本人の記憶からも なかなか掘り起こせない様な場所に追いやられていたね。
もし読んでくださっている人がいたら 本当に有難う、 そして ごめんなさい。
ここのところね、
とってもいい感じなんだ~~(^0^)♪
なんというか ずっと欲しかったものを手に入れた という感覚があります。
うまく言葉にできないけれど ・・・
どうしても納得できない事があったんだけれど
それが そぎ落とされて来た という感じでね、
落ちたのは、欲の様なものかも知れない。
あんまり欲を落とす事にばっかり意識が行くと 現実面での三次元的な動きが鈍るのかと思いきや・・
実際、欲を落とすと 動きは早まる。
その動きっていうのは ほんとにささやかなものなんだけれど その中に毎日、確かな輝きを見つけている。
大げさな表現や 大多数へのメッセージ なんてものは まるで意味が無い。
そんな事はわかっていたのだけれど より理解が深まった感覚だ。
小さな本当の祈りは どんな大げさな表現にも勝るのだ。
いろんな意味で 外面的な表現をできる限り削除することに努めていたのでね
何年間かとてもボロボロの雑巾の様な生活が続いていたかも知れない。
今着ている服も だいぶ痛んで汚れたパジャマと サイズが大きすぎるぶかぶかセーターだ。
髪の毛はボサボサでオリーブオイルを塗ったくり無理やりつやを出している始末。
ファッションチェックされたら最悪な評価だろう 笑
でもね。
本当の目に見えない冠や 目に見えない本物の純白のドレスを纏っている様な感覚だよ。
大きな何か重要そうに見える何かに 今の私は騙され様が無い。 とても、冴えている。
私の得た感覚は どんな天才的な盗人にも盗む事は出来ないだろう。
どんな宝石よりも どんな称賛よりも どんなこの世の美をもっても
この内なる光には代えられないのだ。
人間の世界の価値では計れない 何かを 私は内側に見つけたのだ。
愛 という言葉さえ 互いを二分させてしまう 二元論の幻想なのだとしたら
私は 拡大することでしか 真摯であれない。
私という 枠組みの時空を超えた拡大だ。
このブログは もう機能していない。
私がもっともっと大きくなってしまったからだ。感覚が収まりきらない。
大きくなることは 嬉しくて悲しい。
拡大し続ける嬉しさと 拡大の意味を勘違いしている友人を見る悲しさがあるからだ。
偽物の宝石をつかむ誰かが とても気の毒に映る。かつて自分が欲したものもあったかも知れない。
「その宝石は 本物なのか?」
世界の殆どの輝きは むなしい。
この世の美は 集めれば集めるだけ 輝きが失われ・・・
称賛され注目されればされるだけ 光の冠は失われる。
なんという矛盾。
なんという幻想の時代。
私は自分の中に、真摯さという基準を 磨き続けようと思う。
そうしたらいつの日か 扉の前に立った時
全ての友人に役に立つ贈り物ができるかもしれない。
今はまだ 私の贈り物を受け取ってもらえる自信がない。
このボロに包まれた光は まだ私の為に使われる分しか用意が無いからだ。
拡大し続けることだ。
どうかいつの日にか 扉に立ち
自分を捧げることが出来るように。
私はきっちり準備をしなければならない。
つきましてはインターネットでの表現等々日記公開等々はしばし保留という形になります。
溢れだした光をあなたに届けたくなった時
私はどこか別の場所に 何かあなたの喜びそうな役に立ちそうな何かを 今よりももっともっとスマートで良い形でプレゼントできるのかもしれない。
いつか、また、ね(^3^)
名もなき天使より。
最後の色。
もしかすると 最後にのこる感覚 というものは
自分自身では見えない、「透明色」なのやもしれないね。
他人にははっきりくっきり見える 色だけど
自分からみると 透明色。
ふつうに、
とうめいに なるんじゃないのかな。
ふつう色を ふつうにまぜあわす と
とうめい色ができる。
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砂漠の砂 と ポストカード。
きのうの朝、目覚めるときに 砂漠の中にいた氣がする。
多分エジプト。
周りには友達がたくさんいた。
友達のうちのひとりは画家で、
彼女は自作のポストカードを砂にならべはじめる。
カードは風で吹き飛ばされそうになりながら
新たに飛んできた砂によって少しずつ地中に埋まっていく。
砂の中に半分埋まったポストカード。
カードの絵は 砂に削られていずれ見えなくなるのだろう。
そしてカードそのものもすぐに砂でぼろぼろになるだろう。
でも
彼女は せっかく創った大事な作品なのに
そんなことは全く気にせずにその様子をじっと見て
静かにたたずんでいる。
私はそのとき
その友人が 砂の世界と完全に調和している事に氣がついた。
彼女は ただ単純に
自然の中にとけ込んでそれを楽しんでいるのだった。
とてもうつくしいものをみた と思って私は目を覚ましました。
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近頃 いろんなことにあらがうのをやめようとかんじる。
一番楽しくて大好きな瞬間が とても単純で身近な瞬間であることに氣づく。
お洗濯とか料理とか 誰でもできるようなことのなか に
とても小さな瞬間に たくさんの綺麗なものが埋まっていて
それを見つけるのが 愉しいのだ。
近頃、最寄り駅前にできた喫茶店によく行く。
上島珈琲という喫茶店。
上島珈琲の ぶどうジュースにはまる。
上島珈琲の ぶどうジュースにはビネガーが入っていてとてもよいあじ。
今月 二度も飲みにいったよ。
ぶどうシュースを飲みながら ものすごく深くいろんな事を感じた。
ただのジュースと思う人が多いのかも知れないけど
私には特別においしいのみものに感じたのだった。
小さなことを見逃したくない と かんじたりもするけれど
頑張って探すのも しなくていい。
いつもしたい事をリアルにしていこう と感じる。
誰か 知らない誰か 知ってるだれか いっぱいいるだれか
集団のだれか 無知のだれか 賢いだれか
それともただの妄想や
集合意識や
世間の目
そしてじぶんの作り出す コントロールの力を完全にはずせば
人生が
とても単純で味わい深いものになるのだね。
私の味わう 平和の空氣。
とても静かな時間のなかで、
深い会話を沢山交わす。
溶ける
解ける
とけていく。
いいものはいがいに ここにいっぱい持っているの。
ひとつ一つをきちんと味わえば
人間は
しぜんになっていくよ。
私のリアルを沢山味わえば
私は私のカタチがとても心地よく、
そして
幸せなのだなァ と感じます。
(^^)
ではでは おやすみなさい。
AOI。

