サンタさんは
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半年間

ふう

久しぶりのほっと一息な休日2日間にほっ

 

忙しかった...

仕事に遊びに人生に

総じて良い数ヶ月であったと概観してよいか

 

思い返せば幸せになるようなことをたくさんできたから

 

昨夜寝付けなくて、やると決めたことのここ数ヶ月の進みの悪さに気が付いてしまい震えたけれども、じゃあ取り替えるかと言われたら取り替えることは選ばない数ヶ月だったよ

 

異動してちょうど半年(まだ半年か)

一山こえて、今は山をつくる方に力を振れているから、良かった

さっきたまたまにfunny fails in footballの動画を目にした(面白かった)

掴んでくる相手チームの選手をタイヤトレーニングのように引っ張りながらボールを蹴らんと進むシーンがあったけれどさながらああいう感じで、周りにある多種の障害を背負い込みながら戦いながら迂回しながらの半年だった...

自分はメンタルタフネスだと信じてきたが、本当にダメかもしれないと思うときもあって、その要因だと自分で感じることは一般的には些細であるのかもしれないようなことだった

もっと言えばそれは自分に直接関係のない事象であり、それがこれほどまでにストレスになり得るということに驚いた

 

彼との向き合い方にはまだ解が出ておらず、

今は緩和しているというだけで、いつかは自分なりに決着をつけないといけないと思っている

 

現部署では、社内政治的な案件、対外的なかかわり、激動の市場状況、チーム運営、このあたりが前より過酷

書いていて気が付いたことには、今は過酷である理由である分野から離脱しつつある だから楽になったのか

意思を持って離脱に導いたのではあるが、それで未来の社会にとって真によいのかは真剣に考えないといけない

ふう. 月曜日から考えよう

 

そのほか、蹴りをつけた新規案件と

新しく参加している新規案件があり

こちらとのかかわり合い方は少し悩むところもあるけれど

手は抜かないと決めている

一つ浮かべば、ぐっと楽になるから、

アイディエーションを本気でファシリテートしよう

 

来週からは、適度な時間で頑張ることも目標に

早く帰るように仕事をしよう

 

キリキリ疲れているなか出張からの帰国すぐの週末に

キャビンでのキャンプに行った

暖かくて温かくて変わらないことがないのにそれは変わらなくて

移ろう色色が綺麗で飽きない

薪の燃えるのをずっと見ているのが心の底から幸せだった

今思い出しても幸せな気分になる

 

また行きたいな

 

また行こう

マシュマロもあるしな

 

マシュマロをとろかす最上の方法は、遠火でじっくり、だそうです

短気なわたしは2個ほど燃やした

 

「ソ連史」を読んだ

「ロシアの源流」を読んでいる

後者の方が今のところ面白い

 

ロシアについては教科書的な知識は他の国に対してと比較して相対的に豊富な方であったけれど、それだけだったということに行って見て気がつき衝撃を受けたのは今年1番良いことだったかもしれない

 

面積の大きい国、寒い、社会主義、革命あるいはクーデター、技術開発...

 

そういうのであってそういうのではない

西洋なのか違うのか

「日本人的考え方」いわゆる日本人の特徴が、日本の歴史の中で醸成されたと同じことが(日本人でありながらその中身を主観的にでなく客観的に正しく表現できる自信はないのだけど)

当然ロシアにもあり

 

私個人が今まで馴染みのあり多少なりとも想像できていた文化・国民性とまた違う、「ロシア」がどうやって生まれてきたのか、「ロシア」を知ることとそこを考えることがゾクゾクするくらいに面白かった

 

モスクワのトレチャコフ美術館とアンドレ二コフ修道院とサンクトペテルブルクのロシア美術館

ロシア美術の世界を垣間見られたのもとても良かった

 

感覚を忘れないうちに意見と知識として言葉に落とし込みたい

 

さて、久しぶりに掃除と読書と買い物をする2日間にしよう

トイレットペーパーが今にも無くなりそうです

初心であり所信

一昨日は友人の結婚式でした

 

お相手の方の主賓が大学の学長先生で、

話し方とシニカルさに、懐かしい気持ちになった

 

 

適当に済ませていたことのツケがいろいろとまわってきている

パソコンの容量がなくなったりとか。

 

しょうもないこういう作業で人生が終わったらどうしようという

恐怖に打ち勝って、データ整理をするための環境構築を

ほぼ終えられそう

 

これはまだ”やりたいこと”だけれど、”プロとして”やっていきたいこと

だから、きちんとしようと心に決める。

こういうことの積み重ねが、責任感のある大人をつくっていくと信じて。

 

時間がたりない

時間がたりない

時間がたりない

 

会社を辞めたい気持ちに襲われるけれど

それは今の段階では頭の悪い選択でしかないので

まだ踏みとどまっています

 

 

30年後に、このままの形で世の中があるとは思わない。

そうなったときのことにびびっていてもしかたがなく

どうなっていても(ある程度)生きていけるようにしておきたい。

 

大それたことは思わない。

子どもがほしいと言うなら、子どもと、自分のまわりのすこしのひとと、自分と。世の中のすべてのひとに対しては、優しさを忘れないで。

 

 

なにを自分はやるべきか。

学ぶにしろ、本を読むにしろ、どこかへ出かけるにしろ

平日の数時間と、休日の2日間という貴重な時間において、

なにを自分はやるべきか。

曖昧で不透明でもの凄い速度で変化のある世の中で

優先度をつけて必要なことを積み上げていくのは大変だ。

完璧主義者的には、1の情報で判断するということは、

重要性は分かっていてもなお心理的負担はそこそこ大きく

頑張って決めてもぱっぱと見直さなきゃいけない。

変えすぎると積み上がらないし。

 

時間はつくるものだ、って言うけれど

あんまり成功したことがない。眠いものは眠い。

 

 

H=S-F

たまたま、なんとなく、読んだ記事が、心に残っている

一般的にやるべきと言われるがなんとなく気の進まないことについて

やらない理由付けが明確にできてよかった

 

 

さて、そろそろosのアップデートが終わります:)

#考えすぎ#悩みすぎ ているさま

2018年になりました

 

2018年にはいって、1ヶ月以上が過ぎました

 

 

1年ぶりに書く

 

どうしてこんなに期間が空いたのか考えてみると、
書かなくてもいいやと感じはじめていた

書くことに臆病になっていた

なにかと時間がなかった

 

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自ずからわき上がる、我ながらしょーもない心中の合いの手...

発想力の源です(ポジティブ)

 

書こうが、書くまいが、表にあらわれるものには影響がないって思い始めていたし(そもそもブログはそういうものとして書いていた しょーもないこととか、溜めきれなくなったものをほどほどに吐き出す場として)

適当な言葉を使うことに気持ち悪さが増してきて、表現がどんどん重作業になってきていた

そんな心中にちょうどよく忙しさといういい理由が重なって

なんとなく離れていたように思います

 

久しぶりに、書きたいな、って思ったのは

 

そういうところを尊敬しているひとのtwitterで、

日記がそのひとについて良い働きをしたと書いており、考えてみれば、確かにその通りだな、っと思ったのが、ひとつ大きい理由だったりします

そのひとがどういう使い方をしたからそう思えたのかは分からないし、日記にはいろいろな使い方があると思うけれど、私の場合は、もやもやした諸々を形にして、ピン留めをする役割を果たしてくれる

流れていって、そのままいってしまって、あったことも忘れてしまうような、ともすればあることにも気が付かないような薄靄を確かにそこにあったものとして具現化するために、書くということは役立っていたなとはっきりと気が付いた

 

記録、とか、記憶、とか

おざなりにしがち(今が大事)だったけれど、考えてみれば過去からの学びはないよりあったほうがよい

高校のときの部活ノートは超やって意味があったし。

 

さて

 

なんだかあらたまって振り返りすぎて、

たいそうなことしか書いてはいけない気分になってきたけど笑

 

それは無理笑

 

今悩んでいること どうやって、やりたいことを形にするか

今やっていること やりたいことの、整理整頓

今気をつけていること 易きに流れない 他責でなく自責を旨とする 深く考える

 

悩みすぎて苦しい

悩みが広い

悩みもやりたいことも多すぎて、どう考えても一生じゃ足りなくて、逆に自暴自棄になるという意味わかんない現象が発生しかけている

意味わかんない...

みんな好きはみんな嫌いと一緒で

みんな知りたいはみんなどうでもいいってことなのかも

優先順位をつけなさい、って話なんですね

それか、考えすぎずに行動しろ、ってほうかな

両方かな

走りながら考える

時間は少ないから、よく考えて、効率的に行動しなきゃ、って高校のときの反省から思い詰めていたけれど

時間は少ないからこそ、立ち止まっているひまなんてないのかも

あのときだめだったのは、感じるままに行動していたからで、やるべきは立ち止まって考えることではなくて、行動しながら考えるっていうことだったのかも

 

でも、何がすすむ、ってことなのかよくわからない

無数にあるやりたいことのうち、どれをやれば進んでいるということになるのか

あるいは、20年以上は、大きくは考え続けて生きているわけだから、

各案件に対して多少ざるな思考でも、結果、向かう先はなんとなく収斂されていくのかもしれない

ジョブスしかり。

 

ロジカルシンキングの微妙な研修を受けたときに、

幾層にも幾層にも重ね得る思考の過程をその講座上の言葉の定義に合うように切っているだけとしか思えなくてそりゃ当然そうなるわなとしか思えなくてこの研修がこの教室の外で全然役に立つと思えなかった

 

思考の整理整頓は無限にできて、それをやっていたら無限にできる

どこかで判断しなきゃいけない

同じ結果になるなら当然早い方がよい

 

迷いは実は、少ないし、もっとシンプルなのかもしれません

 

「もっと良いやり方があるかも」という欲にまどわされず

自分の限界を素直に認めて、今この瞬間に思いつける最大限良いと思えるやり方で、ゴリゴリ走っていけば、いいのかもしれない

それは遠回りかもしれないし、予期しないお花に会えるかもしれないし、自分を耕すということになるのかも

 

行動は、絶対何かを生むから

 

ううむ。

 

 

すごい

ハッシュタグの候補で、#考えすぎ#悩みすぎが自動で表示される笑

 

まずは良い日曜にしよう:)

口にできない。

誰にも言えないこと。

 

祖父の体調が悪いです。

何年前だったか脳幹で倒れて普通死ぬところと言われたところ奇跡的に助かって、

左半身不随でリハビリのおかげか思う通りには動かないはずなのに何でもできて、

介護施設の順番がまわってきて入所して呆けた騒ぎもあったけれど痩せたけれど元気だった。

今はこの1ヶ月で2回危篤といわれている。

 

私ってどうしてこうも馬鹿なのだろ。

1ヶ月前に連絡があったとき、とてもくだらない会議をしていて、

おじいちゃん>仕事

だったから自分にとってなにが大切なのかいつも把握しておくことって大事だと思った。

すぐに帰ったしそれからは朝仕事して17時とか18時に退社して週に何回かは会いに行った。

 

時間をかけて目やにをとったり顔を拭いたり錯綜する思い出話を聞いたり

点滴から流動食へレベルアップしていくことを喜んだり、

笑ったり笑ったり体をさすったり手を握ったり、

家族にしかできないことっていっぱいあって、それは私にも、きっと祖父にもあったかい気持ちをくれた。

段々安定してきて、転院の話も出てきて、

そうしたら先週と先々週の私ときたら、1回も行かなかった。

仕方ないと思っていた、凄く働いていて、朝早くから夜更けまで、でも忘年会行ったし仕事だってもっと頑張れたはず。

なりふり構わずやれば時間はつくれたはずなのに

あーほんと馬鹿。

こういうふうにすぐに大事なものを見失っちゃう。

 

もっと行ってれば順調によくなったのかも。それは驕りだし夢なのかもしれないけれど、

生命活動って不思議だと思うから。思いもかけぬところで元気になったり、気持ちが弱ってると風邪ひいたりするし。今日もご家族の刺激はあったほうが、って先生言ってたし。

 

あんなに強く思ったのに、安心の気持ちが出た途端、すぐに目の前の分かりやすいほうに

流れた自分に呆れ果ててる。

 

 

お母さんつらそう。

みていてつらい。

 

祖父もつらそう、苦しそう。

こんなこと絶対に口にできないけれど、生きているのは苦しいかな、とも考えちゃう。

生きていてほしいと思うのは周りのエゴなのかな、って。

でもきっと祖父はそういうふうに諦めるひとじゃないと思ってる。

がんばれがんばれ。

 

生物は生きたら死ぬし、当たり前のことなんだ、とも考えちゃう。

だけど死んでほしくなくて、それはこれからがなくなるからで、

でも会わないのだったら結局これからなんてないのに。

だから、ひとは必ず死ぬんだから、

分かりやすく生きているうちからこれからをたくさんもたなきゃいけない。

今、相手を大切にできないひとに、誰かが死ぬことを悲しむ資格なんてないよね。

 

持ち直しますように。

 

 

素直になろう。難しいけど。

無邪気最強にして最弱

12月になりました。

 

身辺いろいろとあって、周りのひとにもいろいろとあって、

いろいろと考えることが続いている。

 

とりあえずは朝3時出社の20時退社ないし忘年会という鬼畜スケジュールの週がもうすぐはじまろうとしていて楽しみです。

てゆか電車ないよね...

妥協して7時かな...

 

自分よりも年の下なひとと会う機会があるのだけれど、

事前にfacebookでストーキングをしていると、誕生日が1998年とかって出てきて驚く。

入社したばかりのころ、

生まれ年ネタをよくやられて相当いらいらしていたけれど

ようやくあの頃のおじさま方に他意も悪意もなかったことに気が付く...

ただ純粋にびっくりしたんだね。ごめんなさい。

小学生の頃から大学生くらい迄は、年をとることは見える世界が広くなることだって

かなりしっかりと意識していたけれど、最近その気持ちを忘れていた。

とりあえず自分の食い扶持を稼ぐという意味での自立は決して終着点じゃないのに、

まだまだ見える世界は変わっていくはずなのに、

もう大人(精神は完成形)、って、なんだかそういう気になっていた。大いに反省。

まだまだ年によって人生のステージも変わり、仕事も変わり、仕事上の責任も変わり、

世間からのみられ方も変わる。外環境が変われば当然自分も影響を受けるはずで。

そう思ってみると、30代も40代も50代もとても楽しみ。

 

たとえば50歳になったときに、自分を支えてくれるものを大切にしていこうと思います。

 

といいこと思えた同じあたまで、

東洋経済新報で晩婚さんの記事を読んじゃう(1度類似の記事を読むとおすすめが関連の記事ばかりになる)のはなんの因果なんだろうか...

ステレオタイプに安易に乗っかるのはだいっきらいなのだけれど

世間のひとつのみかたであるのはたぶん事実で、そういう事実に接したときにどう振る舞えばいいのかって難しい。

無邪気なふりは最強だったな、って思うけれど、

もう無邪気は卒業して、そうすべきものごとは強くはっきり表現していこう。

 

この間、自分の気持ちにしかかかわらないことで

相手をよく怒れたのは人生初めての快挙。

 

飲み会でのキャラつくりにも些か疲れてきた。

 

走りにでもいってこようかな。

寝ようかな。

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