4月の中頃起きてきた
5月の末から6月にかけての
変容の予感
でも、
まさか!
まさか!!
こんな展開になるなんて、、、汗
今、僕は未知の世界へと向かう
人体実験のウズの中にいる
その人体実験とは、
意識の枠から抜け出す実験だ
変容真っ只中の5月の中旬、湯布院の
ある場所でこんな問を投げかけられた。
現実とは何からできているのか?
その時点での僕の答えは
現実は過去の記憶からできている
すこし深掘ると
現実=思考での選択の世界=認識できている約3%の世界
従来の馴染み深い現実創造の習慣は散々やり尽くしたので、今はその次元から抜け出る真逆のアプローチを人体実験しているところ。
具体的には3月も4月も5月も、一般的には
大切とされている経済活動を全くせずに
無意識下から湧き上がる直感だけに従って
生きている毎日
やりたい事をやり
逢いたい人に会い
行きたい場所に行く
なぜこんなことをしようとしているのか?
直感なのでその時点ではその理由すらよくわからないまま
自分とつながる過程の中で、ただ自然にそうなってきた
まずは
やってみる
動いてみる
逢ってみる
ときには
やらない
動かない
逢わない
を直感のまま
『直感(無意識)の世界は、少しのタイムラグを経て、起きてくる現実とともに認識される』
きっと無限に広がる可能性を生き始めてるんだと思う。
たぶん。。。
(たぶん。と記すのは、まだ見ぬ世界に向かっているから。そして未来に起きてくる未知の可能性を過去の記憶内に限定したくないから)
自らの変容を予期した5月には
2つの大きなイベントがあった。
大分〜阿蘇にかけてのリトリート
鳥取県大山町での大自然との共生
結論を言うとそこで起きてくる数々の現象を経て、僕は「龍」を自覚することとなった。
龍???
2年ほど前に見えない世界が見える人に
『青原さん、龍族ですね』
と言われたことがあった。
龍族???んなわけないじゃろ???
とその時は受け取らずに言葉を跳ねのけた。
が、、
どこか100%否定できない自分がいたのも事実
なぜなら、鬱から抜け出し、まだ自らの足取りや経済活動もままならなかった2018年のあの頃から、気がつくとやり続けてきたことが龍に縁がある場所や人と人をつなぐことだったから。。。
イベントを含めると4年間で300人以上の人をその場所や人とつないでいた。
僕自身がそんなに龍が好きなのか?
そんな意識は全くなく、ただその場所の空気や人に惹かれ、そこ大切な人をお連れすると喜ばれたから。というようなありふれた理由。
気がつくと自然に人を案内するようになってた
龍に縁のある場所とは、広島県のちょうど真ん中辺り(ヘソ)の位置にある
神農湖という龍の形をした湖🗾
その神農湖のヘソの位置にある大成龍神社⛩
その向かいに1人の男性が50年かけて創られた命の宿る龍の杜⛰
さらにその場所から車で15分ほど先にある座敷わらしで有名な蕎麦屋わらべとも2年ほど前から急速につながりが深まり、そこにもやはり龍にまつわる蔵があった。
龍にご縁が深い存在も沢山僕の前に現れ、瞬間的に僕はその存在に惹かれ、つながっていた。
変容を予期した2021年5月は特にすごかった💦
ソレを証明するかのような出来事が日々怒涛のごとく起きてきた。出逢う存在、訪れる場所、現れる現象が次々に、その存在と関わりを伝えてきた。
おい、ao!そろそろ自覚せいよ!!!
と言わんばかりに、これでもか、これでもか、これならどうだ!と伝えてきた。
そして鳥取の大山町。
大自然の中で迎えた5月26日射手座の満月🌕
深夜に目が覚め一瞬のうちに起きてきたワード、記号、ソレらを携帯のメモ機能に記録した。
愛龍(ao)〜airyu〜♾
愛
も
龍
も
、、、
それまでの僕自身のセルフイメージでは、どこか小っ恥ずかしく、、青原あいつ頭がおかしくなったんじゃないか?と思われそうだな〜という思いが正直何度も脳裏をよぎるワードだった
が、次第にそれもそれでいいじゃないか。と思えた。
愛龍
悪くない
愛龍
いい響き
愛龍
なんかしっくりくる
そして、ソレを自覚した一番の決め手はやはり
すでに起きている現実、現象を信頼して生きてみたい!と強く思ったからだった。
それが僕が辿り着きたい場所に辿り着く最短の
ルートだと直感的に感じるからだった。
未知の世界〜龍を自覚した先にこれから先に
いったい何が起きるのかは全くわからない。
ただ、わくわくしているわたしがいる。
これはスピリチュアルなのだろうか?
それとも幻想だろうか?妄想だろうか?
正直それもわからない。
が、現実を生きていたと思っていた今までよりも、実は超現実的な選択なんじゃないか?と感じているわたしがいる。
なぜなら、すでにソレは起きている事実だから
ずっと起きていたソレを気のせいだと流していただけだったとしたらどうだろうか?
無意識下ではすでにソレに気づいていて、何度も何度も何度も何度も、現実として表していたにもかかわらず受け取っていなかったとしたらどうだろうか?
まだ見ぬ理想の自分をどこかに探している間、
ずっとあきらめずにわたしがソレに気づくまで、わたしがソレを自覚するまで、現象として目の前に現してくれていたんだとしたら、
いったいどちらが幻想、妄想で、どちらが
現実を生きるということなんだろうか?
その答えを唯一知れる方法は、今ここで起きてくる現実を全信頼して今ここを生きること。
だから僕は2021年6月1日
「龍を自覚して生き始める」
と決めソレを宇宙に宣言しました。
とはいえ今までと何かが大きく変わるわけではありません。
全てはわたしの中にある
わたしがわたしを生きる
人は毎瞬生まれ変われる
という指針も今までと変わりません。
なぜなら今までもすでに龍はわたしの中に共に在ったからです。
変わったとしたら「自覚」です。
「自覚」したソレが、今後どのような現象として目の前に現れてくるのかが楽しみです。
愛龍(ao)〜airyu〜として〜
龍のごとく力強くしなやかな軸をわたしの中に育み、わたしがわたしを生きることを体現しながら、人が生き生きと輝く瞬間に立ち合っていくことを再びここに宣言します。
〜Oneness ♾ 無条件の愛〜にむけて
2021年6月1日
愛龍(ao)『青原英彦』
〜初めて描いた愛龍airyuです〜
