【ロマン溢れる加賀越前編 その7】
盛者必衰は戦国の世の常とはいえ、そこには哀しい現実があります
今回は、そんな哀しい歴史を紐解いていきましょう
まずは「北庄城址公園 柴田神社」
「柴田神社」とは「北庄城」の本丸跡に建立されて、柴田勝家を祀ったものです
「北庄城」には柴田勝家とお市の方が豊臣秀吉に攻められて自害した哀しい
歴史がありますね
時代は豊臣秀吉に向かっていることを知っていながら勝負を挑み、夢半ばに散った柴田勝家
豊臣秀吉の側室になるのを拒み、子供たちの事を案じながら、柴田勝家と共に死ぬ事を選んだお市の方
豊臣秀吉の子秀頼を産んだものの、大坂夏の陣で失意の中で自害した茶々(淀君)
京極高次と結婚し、大坂冬の陣・夏の陣で最後まで和睦交渉に奔走し、落城当日に命からがら逃げたお初(常高院)
徳川秀忠と結婚して、三代将軍家光の生母となったお江
姉妹がみんな歴史上で重要な役割を果たしたとはいえ、あまりに儚いですね~
柴田神社には、今でも柴田勝家とお市の方が眠っています
因みにここには、在りし日の北庄城が復元されていますよ
福井には、江戸時代には北庄城は福井城として、再度築城されていますが
今では県庁になっていますよ~
そして、更に旅は続きます
どんどん山に入っていって
「一乗谷朝倉氏遺跡」にやって来ました
「一乗谷館」にも哀しい歴史があります
朝倉氏は越前の名家で、五代百年続きましたが
足利義昭に頼られて、織田信長と敵対し、勝てるわけないと思いながら、儚く散った朝倉義景
ここには、当時の城下町が復元されていますので、入ってみましょう
昔ながらの家がありますが
一乗谷といえば、やっぱりこの風景でしょう
今一つピンとこない方も、これを見たら思い出すでしょう
そして、在りし日の事を想像しながら歩いていくと
「朝倉義景館跡」に着きました
この景色は、戦国の世の儚さを物語ってますね~
中はこうなっていますが、切なすぎます
ひっそりと朝倉義景のお墓もありました
今の世は平和に暮らせるので、あまりピンと来ませんが、いい時代に生きているのかもしれませんね

そうそう、朝倉義景といえばやはりこれですね

次回、最終回ですよ~
