12月・1月とまともに走れなかったことで
11月までの貯金をすっかり食い潰してしまったようです。
脇腹に余計な肉が付き
ビルドアップでちょっとペース上げるとすぐ息切れが来てしまいます。
春の訪れと共に、少しずつでもペースアップを図ろうと悪戦苦闘中。

先週の神奈川10kmに続いて、
この週末も10kmレースにエントリーしていました。

会場が埼玉県比企郡・武蔵丘陵森林公園と
千葉からだとかなり遠くなるんでどうしたものか迷ったのですが…
結局走ってきました(往復250km!のドライブ付き)

昨日のダイアリーに書いた通りで
激しいアップダウンに翻弄され思うようには走れませんでしたが
いいトレーニングになった筈だと自分を慰めています。


さて、日曜はもう一つ、近場でレースがあるのを偶然知ってこちらに行ってきました。
新聞の折り込みで入っていた、千葉市の広報誌を
あてもなく斜め読みしてた時に目に留まった記事・・・
千葉国際クロスカントリー大会開催の案内に
前座として行われる「市民クロスカントリー大会」の参加者募集、の記述があったのです。

「千葉国際クロスカントリー大会」は
クロカンレースとしては国内でメジャーな大会で
"IAAF permit"の国際格式だそうです。
参加ランナーも国内の有名どころが揃うようで
今年は箱根1区のワセダ大迫君や、7区区間新の東洋大設楽君、
やはり箱根で名を馳せた日清食品の佐藤悠基選手など、
豪華な顔ぶれが名を連ねています。
一流選手の走りを間近で観られる良い機会だと
のこのこ出掛けていきました。

$46歳の抵抗 -青葉のタヌキのランニング日記-


クロカンなんてものを走るのはもちろん初めてですが
昭和の森公園の起伏に富んだ芝生の上に、ロープでコースが造られていました。
1000m付近からのキツい上りは「心臓破りの坂」と称されているようです。
障害としては直径60cmほどの丸太が一箇所あるだけ。
(本チャンのレースは12000mなのですが、こちらのコースには階段もあるそうです)

前座の市民レースは小学生の1600m、中学生の3000mに続いて
高校・一般の3000mが行われました。
後に行われる国際レースには、全国から陸上有名校のランナーが集まってきますが
前座レースの方は陸上部以外の地元の小中高生も参加しているようで、レベルも様々。

レースの方は…スタートから周りのペースに巻き込まれ
1000m通過が3'58"とかなり速くなってしまいました。
心拍数が上がりまくり、とてもそのペースを維持できず。
ずるずる後退して、最後は高校生たちに抜かれまくりました(泣) 
結局、13'27"?でフィニッシュ。
正式計時もなく、完走証は空白のまま渡されました。

午後の12000mレースを観戦したいのはやまやまだったのですが
呼び出しがあったので走り終えてすぐ帰途に就きました。
来年はもう少しタイム縮めたいな…
45歳の抵抗 -青葉のタヌキのランニング日記-

昨日(7日火曜日)の朝日夕刊文芸欄に、ある追悼文が掲載されていました。
ポーランドの詩人、ヴィスワヴァ・シンボルスカの死去に際して
ロシア・ポーランド文学研究者の沼野充義さんが寄せた文章です。


シンボルスカはノーベル賞受賞者として高名な詩人だそうですが、
私のように詩とは縁遠い日常を送っている者にとっては
あまり馴染みの深い名前ではありません。

私が彼女の詩作を知ったのは、
昨年4月5日、11日のダイアリーにも記したように、
池澤夏樹さんの朝日新聞のコラムがきっかけでした。

池澤さんのコラムでは、シンボルスカ晩年の詩集「終わりと始まり」所収の
「眺めとの別れ」が一部引用されていたのですが、
この詩が震災後呆然自失ともいうべき状態だった私に、
立ち直りの契機を与えてくれました。

その後邦訳されている彼女の詩集をAmazonで取り寄せたりもしたのですが、
昨日の記事をみて久し振りに手に取ってみました。


4月11日のブログに引用した「眺めとの別れ」以外にも、
「終わりと始まり」と題された詩も
震災後の我々の心に深く染みいってくる力があります。

この詩の背景には、東欧の社会主義体制の崩壊とその後の混乱があることは
解説にも記されていますが、沼野さんの解説文には

「すべてが終わったとしても、たとえゼロからでも
また詩は新たに書き始められなければならない、という
きっぱりとした決意の表明ではないか」との記述があり、
いかなる悲劇を目の前にしても自らの仕事(=詩作)を継続していこうとする、
彼女の柔軟さと強靱さを讃えています。


追悼文の末尾に、東日本大震災に際して
シンボルスカが日本の被災者に送ったメッセージの抜粋が紹介されていました。
このメッセージの全文が、
東京大学文学部現代文芸論研究室のHPにupされていたので紹介します。

飾らない、率直な言葉が彼女の誠実さを偲ばせます。

http://www.l.u-tokyo.ac.jp/genbun/messages.html#anchor_szymborska


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 私の住んでいる国は、
これほど恐ろしい天災に苦しめられることはありません。
日本列島に住み、地球の自然の持つ力の攻撃に常にさらされている皆様が、
どのような気持ちでいるのか、辛うじて思い描くことができるだけです。
将来、いつの日か、きっと、
科学がそういった攻撃を前もって予見できるようになることでしょう。
いや、ひょっとしたら、予防することさえできるようになるかも知れません。
しかし、こんなにも重い悲しみに包まれた皆様には、
そんなことを申し上げても何の慰めにもならないでしょう。
 皆様の勇気と忍耐力に対して、共感と驚嘆の言葉をお送りします。

ヴィスワヴァ・シンボルスカ

クラクフ、2011年4月

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いずれ、「終わりと始まり」も紹介したいです。

今日の読売朝刊、文化面に掲載された
角田光代さんの文章を紹介させていただきます。
ちょうど彼女の代表作である「対岸の彼女」を読み終えたところだったので、
興味深く読ませて貰いました。(読んでまた泣きましたが) 
読売がお手元にある方は読んでみて下さい。勇気づけられます。

以下、引用を含みます。『』内が角田さんのオリジナルの文章です。
タイトルは見出しを一部改変。

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沈黙せず、無力感はね返す
  --奪われた言葉を取り戻すために--
                             角田光代

『四月十日、読売新聞朝刊に、六ページにわたって東日本大震災で亡くなった方々の名前が載った。会ったことのない方々の名前と年齢を見ていくうち、彼らそれぞれの人生の重みが紙面の向こうに立ち上がってきて途方もない気持ちになった。被災地にいかないかという提案を、私に何ができるという思いでいったんは断ったが、その名前を見ているうついにいかねばならないような気持ちになっった。何もできないというそのことを、身をもって知るべきではないのかと思ったのだった。』

 この導入の後、角田さんは岩手県沿岸の被害の大きかった市町村を訪れた感想を綴っていく。宮古市田老地区では、万里の長城と称され高さ10mを誇った防潮堤の上に立ち、荒涼たる光景の中で言葉のちっぽけさを痛感する。彼方まで続く瓦礫の山の中に、失われた一つ一つの生活、日常のなごりを見る。彼女は言う、片付けられずに積み重なっているのは生活の残骸ではあるが、「瓦礫」とひとくくりにされるべきものではないのだと。そしてこう続ける。

『避難者、行方不明者、倒壊家屋と、数であらわすしかないが、百という数は百の人生を、千という数は千の暮らしを示しているのだと、そんな当たり前のことを思う。そしてわからなくなる。いったい何が起きたのか。何が喪われたのか。全身から力が抜けていくような無力感を覚える。』

『三月十一日以降、すべてが大きく変わってしまったことを、今だれもが感じている。震災は、多くの人のいのちや暮らしばかりでなく、言葉の意味すらも奪っていったように私は感じている。自然や猛威という言葉がちぐはぐに思えるように、海という言葉を、波という言葉を、大地という言葉を、痛みもなく、かなしみもなく、恐怖もなく、もう使うことができない。そしてその痛みも悲しみも、人によってまったく異なるはずだ。がんばろうという言葉に励まされる人がいる一方で、苛立ちを覚える人も、傷つく人すらいるだろう。以前のようにシンプルな言葉で私たちが無邪気に語り合うことは、もしかしてもうできないのかもしれないとすら、思う。』

 これだけ巨大な喪失を前にして、言葉の無力さを思い知る、あるいは無力感に苛まれるのはやむを得ないことだと思います。(私もしばらくは全然ダメでした。)しかし、角田さんはそこから一歩踏み出そうとします。倒壊した家並みの中に残ったマンションの窓に、陽の光を受けてはためく洗濯物に、「揺るぎない」強さとうつくしさを見て、彼女はこう決意を述べます。

『言葉の意味が変わったことをおそれて、相手の使う言葉との差違をおそれて、沈黙してはならない。無力感にのみこまれてはならない。三月十一日の前にあったものの多くは戻らない。でも、戻るものもあると私は信じようと思う。かたちや意味が変わっても、何年かかっても、暮らしや日常や、海や雨といった言葉を、以前よりずっと大きな意味合いでもって私たちは獲得し、共有できることを信じたいと思う。』

 角田さんのこの姿勢は「対岸の彼女」のラスト、葵との間に立ちはだかる「解り合えない」壁を越えようと一歩を踏み出す、小夜子の姿に重なるような気がしました。私が角田さんの小説に惹かれる理由の一端がここにあるのでしょう。

 「八日目の蝉」が映画化され注目されている角田さんの作品ですが、私はそれほど熱心な読者ではなく、長編では「森に眠る魚」「対岸の彼女」しか読んでいません。ただ、年齢が近いこと(二歳ちがい)、NumberDoに載った東京マラソン完走記「それでもとにかく走るのだ」を読んだこともあり、勝手に親近感を持っています。

 先々週は池澤さんの文章に力をもらいましたが、今度は角田さんの文章を読んで励まされた気分になりました。私も、少しずつでも前に進もうと思っています。
一人にできることは限られているけれど、何もできないわけじゃない。


「対岸の彼女」の感想も(折を見て)書ければと思ってます。