今日は昭和19年11月5日に比島沖で戦死したおじさんのお墓参りに岐阜へ行きましたので、私が活動を続けてきた理由でもある、おじさんのお話しを書こうと思います。



おじさんは父の2番目のお兄さんであり、父とは16歳離れていました🍀
父は兄弟姉妹の末っ子です。
父がまだ赤ちゃんの頃に戦死してしまったので、もちろん父はお兄さんの事は覚えていません。しかし、赤ちゃんの父と最後に会ったときの事をおじさんはハガキに書いていて、それを父は大事に持っています。
そこに書かれていたことは
「たけしは泣いてばかりで笑ってくれなかったね、大きくなりなさいね」
と書いてありました。

おじさんから家族への葉書


おじさんは

昭和17年5月1日~昭和17年7月31日
大竹海兵団

昭和17年8月1日~昭和18年3月7日
機雷学校

昭和18年3月8日~昭和19年1月11日
佐伯防

昭和19年1月12日~昭和19年11月1日
最上

昭和19年11月2日~昭和19年11月5日
那智

昭和19年11月5日 
比島 戦死

と軍歴証明書に書かれていました。
最上が沈み那智に乗りましたが、最上の乗員として戦死しています。



2019年に父とおじ、おばと一緒に広島へおじさんを辿る旅行へ行った時に撮りました。







たくさん書きたいことはあるのですが、今回はおじさんと私の甥っ子の事を書きます。

実は私はおじさんの写真を父の実家に飾ってあったものでしか見たことがなく、父から手紙や葉書を見せてもらった時に、改めて軍服姿の写真を見せてもらいました。
見た瞬間、衝撃を受けました。
写真に写ってるのは大学生の甥っ子なんです…。父に「これがおじさん?…ナオヤくんやん…」と言った私に父が「そうだね、よくにてるね」と微笑んでいました。
あまりにびっくりしたので、すぐ兄にメールして写真を送ったんです。
兄から「ナオだ…。手の形までそっくり…ナオに見せたら本人も「自分に似てる」って驚いてる」と返事がきました。

私はナオヤくんはおじさんの生まれ変わりなんじゃないかと思っています。
大学生になり、勉強し、スポーツやキャンパスライフを友達と楽しんで、様々な経験をしてるんだな…って、そう思ったら涙が出ました。

15歳で志願して17歳で戦死したおじさんの出来なかったことそれを今ナオヤくんがしてる。そう思うと書きながらも泣けてきます。

ナオヤくんの手には生まれつき痣があります。先日Twitterで見かけたものですが、”痣は次生まれてきた時にその人だと分かるように印をつけたもの”だとも言われているそうです😊
大事な恋人にまた出会えるためのもの?
また親子として生まれてきた時のしるし?
きっとそれぞれの想いがあるのだと思います🌸
そのツイートを見た時にふとナオヤくんの痣を思い出して「そう言えばお兄ちゃん、おじさんの写真見た時最初に、手の形までナオにそっくりだ!って驚いてたな…もしかしたらおじさんとナオヤくんとのつながりの印なのかもしれないな」と思いました。

私が保守の活動をしているのは、若くして亡くなったおじさんの命を無駄にしたくないからです。おじさんが守りたかった家族…そしてこの日本を次の世代にきちんと繋いで行きたい。
私如きができる事なんて小さな小さな事だと思いますが、それでも私のできる事を精一杯やって行きます😊

🍀そして私の大切な友人robaさんへ🍀

私はあなたの”祖父の軍歴証明書を申請した”というツイートをみて「そんな事が出来るんだ❗」と、すぐメールをし、申請の仕方を教えてもらいました😊ずっとお兄さんの事を知りたがっていた父やおじさんおばさんたちがおじさんの足跡を知ることができました。
気づかせてくれて本当にありがとう🌸
そして呉に行った際には私の代わりに最上の慰霊碑にお参りしてくれた事、心から感謝しています。

祖母宛てのお手紙
長男宛のお手紙

おじさんのお墓参りに行く前に、岐阜の護国神社へ参拝に行きました。






明治大帝の銅像

護国神社、お墓参りのあとはもちろん実家に帰り父と一緒に食事をして帰宅しました🌸

私の拙い文章を最後まで読んでいただき誠にありがとうございます。

ではまた🍀