童心をいつまでも
遊び心を

いらない常識
【年相応】
はいらないと思う
私は子供の頃親から
お姉さんだから…
言われ続けて捻じ曲がったからね😁
今じゃそれも地球に生まれた訓練とは思えるけど
親の言葉は強力な洗脳装置です
そして世間も

童心とは無邪気さだと思う😊

 #筆文字千日修行 162/千


さて
年相応の美しさとか
年相応の振る舞いとかあるが、それはそれでいんだけど

年相応って何?から始まる


童心というワードから
なぜそこに飛んだかというと

親から言われてた言葉が思い出されるからだ
10歳らしくしなさい
6年生らしくしなさい
その頃毎日というほど言われた
というのも
リカちゃん人形の遊びを1人でしてたり
弟に殴られたて大泣きしてたらしたので
母は呆れ顔で
お姉さんなんだからもういい加減に六年生らしくしなさいと
泣いてる私が悪者のように毎回言ってた

だから何?
私は好き好んで六年生になったわかではない
できれば3歳で停めて欲しかった
今でもその感情の震えを感じられるほどの怒りだったんだな

そこで童心というワードが出てきました

親からの愛情は
捻じ曲がって変な洗脳も含まれる伝わる

社会に出て恥ずかしい思いをさせたくないという
思いが親の子育てにはあったらしく
私には無邪気に遊んだ記憶や観覚がないんですよ
いつも何か言われて怒られたらどうしようと
悩まされていました

だから
童心という言葉でこの親との関係で一番引っかかるエピソードがついて回るんです



本当の無邪気な童心とは

精神的幼さの童心ではなく
精神的に成熟した無邪気な心持ちを
それが遊び心となる


だから
世間的には恥ずかしくない生き方を
目指していたら
童心という世界にすら介入することはなく 
童の体の怯えた生き物になる


それともう一つ
時間の概念はないので年齢すらありません!
年齢も刷り込まれた常識です
歳をとると老ける衰えるが当たり前になってるので
若く見せようっておかしな方向の努力をするんですね

童心を得たら
するべき努力するだけで
見た目も変わるんですね

精神的鍛錬は
他人から見た自分を磨くのではなく
己の中の己を磨き
他者にも良い影響を与えることです
光のエネルギーを放出してるからね😁


年相応の美しさは
貴方ならではの美しさと言い換えればいいですね
そうすると
年齢だと一括りに集合扱いですが
貴方ならではでは貴方について語ってます

童心からずれまくってますが…

童心は幼い稚拙な心ではなく
成熟した精神の持ち主が
無邪気に自由に心が喜んでることですね

童=幼い=未熟
童は幼くて未熟ではなく尊く成熟した物なので
くれぐれも認識の違いをしないでくださいね😊



ここまで読んで頂きありがとうございます