2013年12月1日



「晩年様式集(IN Late Style)」は大江健三郎の最新作である。大江健三郎は(本書の記述によれば「同時代ゲーム」(1979)以来)長江という姓を使って家族の物語を、どこまでが本当でどこまでがフィクションであるのか読者には判別がつかぬかたちで、書き続けてきた。そして今回の「晩年様式集」はそのことを解き明かすかたちで書かれたものだが、それがどこまで本当か、どこからがフィクションか、今回もまたわからないという複雑な様相を呈している。



 その膨大で複雑な内容の物語について語ることは、筆者の能力を越えている。毎回感動をもって読み終えつつ、果たして記述内容をまともに理解しているかどうか、そもそも覚束ないのである。そして、物語の中に出てくる極めて印象的な文章、あるいは単語を紹介することが、これもまたまともに理解しているか覚束ないのだが、何とかやっと可能なことなのである。



 「晩年様式集」でそういう文章は、今回、大江健三郎においてはっきり自覚的であり、最終章の題名とされ、また本の「帯」にも書かれている。

 すなわち、

 「私は生き直すことができない。しかし/私らは生き直すことができる。」

 がそれである。

 本当かフィクションかわからないが、大江(小説では「長江古義人」)は孫を得る。その孫への詩で(「晩年様式集」の最後に掲載される)「小さきものらに、老人は答えたい、」としてこのフレーズが出てくるのである。



 さて、「私ら」とはだれのことであろうか?

 これまで同様、理解が覚束ないことに変わりはないので、思い付きを断言するほかないのだが、それは、例えば、「強者」に対する「弱者」、「支配民族」に対する「虐げられた民族」、「権力」に対する「大衆」というような固定的な集団についての概念ではないと思う。

 「侮辱された人間性」、これが「私ら」の意味するところだと思う。

 「私らが生き直すことができる」のは「生き直す意義がある」からである。

 「侮辱された人間性」は回復されなければならない。それは人類が自らに課した責務だからである。

 「侮辱された人間性」は回復される意義があるのであり、その結果回復されるのである。

 その希望ある確信を述べているのがこのフレーズだと思うのである。


 この「私ら」についての思い付きは、「晩年様式集」P187で中野重治の短編「春さきの風」から引用されている文章中の戦前の共産党弾圧で赤ん坊を失った母親の言葉「わたしらは侮辱のなかで生きています。」及び同じページに記載されている大江(あるいは「長江」)の代々木公園での反原発集会呼び掛け人としての挨拶の中の言葉「私らは侮辱の中に生きています。」から生じたものである。(原発について筆者は大江と異なる意見であるが、我々が諸々の問題において「侮辱の中に生かされている」ということについては認識を共にする。)