2013年9月26日


 今回紹介する詩に筆者の付けた題は「しかず、河辺の樹」である。「河岸の樹木に及ばない」との意である。岩波文庫68ページ、79番目の詩である。


 徒(いたずら)に労して三史を説き  (徒労でしかない歴史書の説明をし)
 浪(みだり)に自ら五経を看る    (あてもなく五経を読む)
 老におよんで黄籍を検(けみ)し   (老いに至って聖人天子の書にも手をつけるが)
 依前として白丁に注される      (これまでと同様、無官の平民のまま、処遇が変わるわけでもない)
 筮(ぜい)しては連ケンの卦に遭い  (運命は「行き悩む」とのことであり)
 生きては虚危の星を主(つかだど)る  (「死喪哭泣」の星のもとに生きているようだ)
 及(し)かず河辺の樹        (河岸の樹木に及ばない)
 年年一度青きには          (河岸の樹木は毎年、毎年、青々と甦る)


 毎年、毎年、青々と甦る木々に及ばないという自己認識はわかるが、作者は三史、五経、黄籍の日々を否定しているのであろうか、肯定しているのであろうか、無官の平民の身分が変われば満足なのであろうか、単に不運を嘆き、現世での肯定的生活の可能性にまだ拘泥しているのであろうか。
 「河岸の樹木に及ばない」と言ってはいるが、それが完全なる諦念の表明とは読み取れない。
 この詩もまた仙人寒山らしからぬ面を見せている。