2013年9月13日

 今回紹介する詩に筆者の付けた題は「険ギ測るべきこと難し」である。「険ギ」とは山がけわしい様子のことであるが、脚注によれば「人心の危うきを喩えたるなり」とのことである。この詩には実感がこもっている。よほどの怒り心頭に発する実体験があったのであろう。仙人寒山にしてはおおいに心乱れる様子がうかがえるのである。岩波文庫65ページ、74番目の詩である。

 世に一等の愚有り       (世の中にはこれでもかというほどの大馬鹿者がいる。)
 茫茫として恰(アタカ)も驢に似たり           

(ぼんやりして驢馬のようである)
 還(カエ)って人の言語を解し (が、人間の言葉を理解し)
 婬を貪(ムサボリ)て状(カタチ)猪の若(ゴト)し   

 (みだらなことに貪欲で、姿は猪のようだ)
 険ギ測るべきこと難し     (人の心の危うさを予測することはむずかしい)
 実語却って虚となる      (誠実な対応がかえって逆目に出る)
 誰かよく彼と共に語らん    (誰がそんな奴を共に語り合うことができようか)
 令教(サモアラバアレ)此(ココ)に居ること莫(ナカ)れ

(ままよ、こんなところにとどまっているものか)

 最終行は、馬鹿者に対してここを去れと言っているとも解釈できるが、本人の離脱宣言としたほうが意味に広がりがあると思う。「世の一等の愚」の存在は単数ではなく多数であるからだ。  
 仙人寒山の人間的なところが出ている詩だ。厭世、出世間のきっかけは、思弁的なものであるよりは、こんな実体験の積み重なりによることのほうが多いのではなかろうか。