2013年8月30日
833で寒山詩を取り上げた(本年2月14日)。そこでは現代語訳なくチンプンカンプンであるとしたところだが、何となくもったいない気がして、その後しばらくして一日ひとつ寒山詩を読むことにした。現在読み終えたのは300余のうち64となっている。仏教思想や中国文学の観点からすれば「はてな印」の付くようなものも多いと思われるが、それがまた寒山詩のいいところなのかもしれない。
適宜印象的なものを紹介することにした。
今回のものは岩波文庫58ページ掲載で、筆者は勝手に「この朽木船に乗りて」という題名を付している。
(注1)
【 寒山とは唐の時代の中国・天台山中に極貧生活を送ったとされる隠者・仙人で、「寒山拾得」の二人組として中国や日本の絵画にも数多く取り上げられている。(森鴎外にも「寒山拾得」がある。)
真相は、実在の人物ではなく、誰かが宗教的・教育指導的目的をもって創造した人物であり、かつまたその誰か自身の生活と心理にかなり似せて作られた人物だと思われ、詩もまたそのようなものと思われる。
あの良寛さんが「寒山詩」という漢詩集を愛読していたと知り、それをきっかけに購入した岩波文庫の「寒山詩」を読んでいる。】
(注2)
【詩中にある「朽木船」とは般若心経に出てくる「五蘊」、すなわち「色」と「受想行識」の喩えのようであり、般若心経で本来「空」とされているものである。
また、「ジン婆子(じんばし)」とはインド産の樹木で、花、実、葉、茎、みな苦く、五欲(財欲、色欲、飲食欲、名欲、睡眠欲)がもたらす「苦」の喩えのようである。】
読み下し文(本とはすこしちがう)
この朽木船に乗りて かのジン婆子を採る
行きて大海の中に至れば 波涛また止まず
ただ一宿の糧(かて)をもって 岸を去ること三千里
煩悩何によりて生ずるか 愁いなるかな、苦によって生ず
原文(旧字は改めている、ジンの字は送信不能)
乗茲朽木船 采彼ジン婆子
行至大海中 波涛復不止
唯齎一宿糧 去岸三千里
煩悩従何生 愁哉縁苦生