2001年9月10日
前回の続きです。
前回のように「芸術は日常性を攻撃するものである」ということに
なると、攻撃の対象となる「日常性」とは時代とともに変化するものであり、
民族・国家によって異なるものであり、階層・階級によっても違うものであ
るため、それを攻撃する「芸術」も対応して変化・変容せざるをえないとい
うことになります。
その結果、「芸術」とは時間と場所を超えた普遍性というものを持ち得な
いものである、「芸術」とはある時代、ある社会に対してのみしか有効性の
ないものである、「芸術」とは攻撃対象の変化によって消えてなくなる「はか
ないもの」であるということになります。
「芸術」の普遍性を否定するこの命題は正しいでしょうか。
その答は、「芸術」は普遍的な攻撃対象を持っているか、すなわち人間
にとって普遍的な「日常性」というものがあるかということにかかっています。
そして、人間にとっての普遍的な「日常性」というのはあるのであって、そ
れは人間が人間であるかぎり持ち続ける「人間である」という意識でしょう。
時代的制約、社会的制約をすべて取り払ったとしても、「人間である」とい
う意識が普遍的なものとして究極的に残るのではないかと考えられます。
ところで、「人間である」という意識への攻撃とは、言い換えれば「人間は
超越的存在ではない」「人間は神ではない」という意識への攻撃か、あるい
は逆に「人間は他の動物とは違う」「人間はモノではない」という意識への攻
撃ということになります。
そして、そのことは、ストレートに言えば、攻撃のメッセージは「人間は超
越的存在である」「人間は神である」、あるいは正反対に「人間は他の動物
と同じ動物に過ぎない」「人間は単なるモノである」ということになります。
(もちろん、「芸術」がこのようなメッセージをストレートに意識して表現してい
るとは考えられませんが……)
この点において、普遍性を目指す「芸術」は、「宗教」「哲学」との接点を必
然的に持つことになります。