2001年10月10日

小説「僕は結婚しない」の主人公、34才の男性、のリッチでお洒落で
スマートな生活ぶりについて、石原はいささかも批判的でも否定的でも
ありません。石原も共有してるはずの主人公のブルジョア世界について、
自慢げであるとも感じられます。

要するに、石原はそのような世界が大好きなのです。
自分が現に生活している、自分の大好きな世界、「かっこよく」遊んでい
る世界、それをこの小説で読者に提示しているのです。
極端に言えば、そのためには小説形式をとる必要はなく、豪華版の「る
るぶ」を制作すれば、石原の目的は達せられたでしょう。
小説が「ちゃっちい」ものになるのも無理からぬところです。

さて、そのような世界は、「comfortable」なだけで、少しだけ観点を変えれ
ば、大きな虚無に接しています。「無意味」「無価値」「退廃」との攻撃を受
ければ、極めてもろく、ひとたまりもありません。
小説家石原がそれに気づいていないわけがないでしょう。
自分の大好きな世界がもろいものでしかないことを知り、かつそれを理
念的に守ることができないという自覚、それが石原の不幸だと思われま
す。

そして、そのような場合に最も安易に立てこもりやすい城、石原の弱さ
をカバーしてくれる「男性性」という石垣に囲まれ、議論を拒否するがゆえ
に議論に負けない「伝統」という漆喰で固められた城、それが石原の国家
主義であり、民族主義なのです。

石原は、「現代の『性』と『愛』」を取り上げてナウいところを見せようとした
のにとどまり、「現代の『性』と『愛』」を攻撃にさらしてみて果たして耐えうる
かという、小説形式が可能な思考実験に挑戦していません。
すでに「のすたるじじい」の立場に石原は逃げ込んでしまっているのであり、
思考実験に挑戦していれば生じたであろうドラマの生じる余地は、この小説
にそもそもなかったのです。