2001年10月9日
「『太陽の季節』から45年。現代の『性』と『愛』を問う話題作。」「ヨッ
トでの事故、女との濃密な夜、売春シンジケートを巡る犯罪、美少女
の告白……息もつかせぬ展開の中で描かれる、結婚しない若者たち
の風俗、恋愛観、セックス……」
こういう新聞の広告に誘われて、石原慎太郎の小説「僕は結婚しな
い」を購入し、読み了えました。
石原のような国家主義、民族主義的傾向の立場からは、「生めよ殖
やせよ」とか「優秀なゲルマン民族の血を守れ」とかのスローガンが出
てくるものであり、ベクトルを異にする「現代の『性』と『愛』」というような
ものはそのような立場からは取り扱いにくいと思われ、石原がどのよう
に書いているのかという興味で本書を購入したのでした。
小説の舞台は、逗子のヨットハーバー、横浜・馬車道のバー、新宿の
高層ホテル、代官山のカフェテラス、世田谷・瀬田のスポーツクラブ、青
山のフランス料理屋などで、かつて村上龍や田中康夫が取り上げてい
たような世界であり、イギリス人スチュワーデスの惨殺・死体遺棄事件を
起こした六本木の金持ち青年が生息していたであろうような世界なので
した。
そういう意味で、描かれた世界はオリジナリティに欠けており、また出来
事も陳腐でリアリティがなく、「ちゃっちい」小説です。
いそがしい都知事がなんでこんな小説を書いたのだろう、読みながら
も、読み了えても、禁じ得ない疑問です。そして、石原の国家主義、民族
主義的傾向とこの小説で取り扱われる「現代の『性』と『愛』」との関係い
かんという購入動機の興味に対する答もさっぱり出てきませんでした。
そして、購入動機の興味の設定が、そもそも間違っていることに気づき
ました。
すなわち、国家主義、民族主義的傾向の石原が「現代の『性』と『愛』」を
どう取り扱うかという問題設定は、そもそも転倒しているのであり、むしろ
「現代の『性』と『愛』」をこのような小説にする石原がなぜ国家主義、民族
主義的傾向をもつのかと問題設定をするのが適切なのだということに気
づいたのです。
続きは次回に。