たかはたあきこ
1979年生まれ。山羊座。
神奈川県在住。
夫と娘とわんこ
願望実現クリエーター☆
体と心と魂のバランスを整えるロミロミ
アクセスバーズ(ミニリーディング付き)
スピリチュアルカウンセリング
人生の羅針盤を得る"あなたの魂の構造リーディング" などをしている。
マクロビオティックをベースとした食を10年以上実践していて
食と暮らしの会を定期開催していたが、
わんこが我が家に来てから、おやすみ中。
趣味は、ビーガンおやつをつくること。(正統派はつくれない...)
海と山と散歩が好き。
せかいのしくみ、意識とエネルギーをうまくつかって
わたしの望む「いまここ」をクリエイト現在進行中!
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プロフィール↓↓↓
3人姉妹の末っ子として育ち、
少し冷めた客観的な視点を持つ
子どもらしくない子ども時代を過ごす。
母方のおばあちゃんは第六感が敏感なひとだった。
手相や人相にも詳しくて、昔ながらの智慧を携えていた。
学校が終わると、いつもおばあちゃんの家に帰宅していた。
おばあちゃんが大好きだった。
(かわいいおじいちゃんのことも大好きだった!)
そんな血を引く母は、
見えない世界のことが好きで、
わたしも少なからず、
「見えない世界は存在する」
「見えないけれども守られている」
というその影響を受けて育つ。
思春期の頃は、
いつも暮れる空に輝く金星や、
真夜中の星空や、
明けの明星ばかりを見ていた。
いつも、自分の所在がふわふわしていた。
高校3年のとき、
自分を探しに、
自分を試しに、
1年間アメリカに留学させてもらった。
結果。
言葉を話せても、
話す中身が自分にないことに気づいた。
衝撃。
でも、アメリカの高校で「写真」の授業と出合い、
帰国後は、写真の専門学校へ行く。
20才のとき、
母よりも母のようなひととの出会いがあり、
そのひとに導かれるように、
ネイティブアメリカンの文化に
触れるきっかけとなるひとと繋がる。
そして気づいたら、
ラコタ族の居留地(サウスダコタ州)を訪れる、
名もない決まったスケジュールもないツアーに
一緒に参加していた。
なぜ自分がそこにいるのか、
が、そのときは全くわからなかった。
気づいたらそこにいた。本当に。
直前まで、
精神を病むような状態で仕事をしていて、
退職したばかりだった。
1週間くらいのツアーだったと思うけれども、
終始あたまがぼーっとしていて、
あまりよく覚えていない。
2003年の夏だった。
子宮回帰とも表現される生まれ変わりの儀式、
スウェットロッジセレモニーに初めて参加した。
ドーム状のテントのような「イニィピー(子宮)」は
狭く真っ暗闇で、
高温サウナのような状態で、
低い天井を見上げると、
一面満点の星空で、
たくさんの何かが舞っていた。
横を見ると、
あたまにフェザーのついた飾りをつけた
ネイティブアメリカンのシルエットのひと。
すべてが非現実的で、
見えているもの、
感じるものが、
何なのかを考える思考力はなかった。
そのとき何を祈ったのかも、
覚えていない。
どこまでも続く平原で、
寒暖差がものすごく激しくて、
日が暮れて寒くなって、
ふと空にうごめく大きなものが出て、
よくよく見るとオーロラが空を舞っていた。
遅い夕暮れから寝袋を持って外へ出て、
平原でごろんとして、
空が赤く赤く暮れていき、
群青から星が瞬き始めて、
ずっとまどろみの中、
朝焼けで目が覚めた。
もう何が何だかわからないことだらけだった。
とんでもなく強烈だった、
ということだけは残った。
そのあと2003年12月から丸2年。
東南アジアのラオスという国の田舎町で暮らした。
帰国したら、もう1回、ラコタの地に行かなければならない、
ということだけはわかっていた。
決めていた。
ラオスは小乗仏教の国だけれども、
多民族でまだまだ精霊信仰も残っていて、
人びとの中に、
あたりまえに大自然に対する畏敬の念があり、
抗わず、受け入れること、
信じている目に見えない世界のことがたくさんあった。
それは、
目に見えていないけれども、
あたりまえに存在し
すでに見えているような、
そんな世界だった。
わたしは日本では気づかなかった、
気にも留めることもなかった暮らしのことや、
自然との関わり方やリズムを、
日々の中でたくさん気づき直すことができた。
目に見えないものが、
本当にたくさんそこには溢れていた。
叡智があった。
丸2年、暮らした。
英語よりも、ラオス語の方が話せるようになった。
2006年春。
決めていたとおり、
ラコタの地(サウスダコタ州)を再訪した。
何をしてどうだったかは、
やっぱりあまりよく覚えていない…けれど、
懐かしい気持ちになった。
再訪した懐かしさではなく、
魂が懐かしいと言った。
ものや情報が何もないラオスで過ごした2年間が、
わたしの感覚をもとに戻して、開いたのかもしれない。
2度目のサウスダコタの旅で、
唯一鮮明な記憶として残っているのが、
昼夜がないような旅の行程の中で、
あまりに長く長くつづく道を車で走っていたとき。
意識が半分以上
「ここ」
でなくなっていたのかもしれない。
太陽の光はぱきんとしていて、
右を見ても、
左を見ても、
ピンクや黄色や黄土色の層になっている小高い山々で、
ずっとずっとつづいていて、
見たこともない不思議さで美しくて、
信じがたかった。
「ここは宇宙かもしれない」
と思った。
夢を見ているのかもしれない、
とハンドルを握りながら、
その宇宙のような光景の中を
ひたすらに走り続けた。
その後、結婚するまでの数年。
日本でネイティブアメリカンの教えをもとにした
学びや儀式を通して、
さらなるあれこれ深みを体験することになる。
自らのビジョンを求める儀式(ビジョンクエスト・ハンブレチア)では、
置き去りに生きてきてしまった、
「わたし」というものに出会うことにもなった。
「わたし」がいる、在る、ということに驚いた。
そのときに見た数々のビジョンの意味は、
いままだわからないものもある。
どんなときもあたたかく寄り添い、話を聞いてくれた
母よりも母のようだったひとは、
先に逝ってしまった。
突然にあっけなく。でも、わかっていたかのように。
旅立ちの1週間前には一緒に旅をして、
いつもとはちょっとちがう何かが、そこにはあった。あとから思えば。
2008年春。
ハワイ島に行った。
それまで、ハワイには全く興味がなかった。
しかし、相次いで、
当時の近しい友人たちがハワイ島を旅して、
ハワイ島の話をたくさん耳にした。
行ってみよう、という気持ちになった。
友人の紹介で初めて受けた、
ハワイ伝統のマッサージ「ロミロミ」。
ロミロミが何か、
あまりよく理解していなかったけれども、
施術後、突然味覚が変わった。
ジャンキーな炭酸飲料を、
口も体も全く受け付けなくなっていた。
なんだか、すごいものを受けた、ということだけは
はっきりとわかった。
生命力溢れるハワイ島は、
言葉にできないくらいのちからがあった。
生命力として目に見えるものも、
ただただ感じる、畏敬の念に溢れる「何か」も。
なんとも言えない、強烈な時間、場所、体験だった。
結婚して、
我が家にやってきてくれた娘は、
とても感受性が豊かで、
見えない美しいものが見えて、
それがリアルな存在だと知っていて、
知りたいことは見えない世界のことばかりな
ちょっと不思議でまっすぐな子に育っている。
わたしのことを20才のときから見ていた、
とよく言う。
本当なんだと思う。
娘が幼稚園に通っているとき、
ロミロミを学んだ。
自分の手だけを使う仕事がしたいと思った。
大いなるちからに繋がることがしたいと思った。
ハワイ島での、忘れていた
ロミロミの記憶がよみがえり、
体・心・魂のバランスを整える施術、
じぶんとつながる施術、
祈りの施術、
これだ!と思った。
子育てを通して、
マクロビオティックの学びと実践、
ホメオパシーの活用、
シュタイナー教育の実践などなどなど、
娘が多くの道を開いてくれた。
それから、
アクセスバーズとの出会いも
とてもとてもとても大きかった。
でんぐり返しを3かいしたくらいの、
施術への影響や、
人生観への影響があった。
それは今も続いている。
そして、自分探しの深みへ。
現実を変えたくて変えたくて変えたくて
踏み込んだ精神世界の学び。
自分で作っていた壁を割って歩んだ先は
新しい出逢いと
新しい世界だった。
変えたいと思っている以上、
現実は変わらないことに気づき、
それを手放したら、
わたしの世界がくるんっと変わった!
いまもなお、
わたしがわたしの世界、
わたしがわたしの現実を創っていく
実験実践真っ最中。
すべてがあって、今がある。
今があるために、これまでのすべてがあった。
必然によってもたらされた今。
全部のできごとが繋がって、今がある。
そして、そんな大きな流れの中、
今は今のわたしが創っていける。
わたしの旅もまだまだ続く〜
ふわりふわりと飛びながら🕊️✨
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