我が娘(中学1年)は
きっと、一般的な中1女子に比べたら
うんとうんとうんとファンタジーを内包した子だと思う。
まちがいなく。
ものごころつく前から
抜けた乳歯を窓際に置いておくと妖精さんがそれを石やコインと交換してくれるし
カレンダーはカレンダーの妖精さんが夜のうちにめくってくれるし
季節のテーブルは、季節の天使さんが夜のうちに整えてくれるし
お手伝い天使のドワーフさんが住んでいて、
お願いしておくと夜のうちにあれこれ仕上げてくれたり、
(ときどき残しておいたおやつを食べちゃったりするんだけど)
クリスマスの時期には
もちろんクリスマスの天使さんが
くるみの殻に包まれたアドヴェントカレンダーを
毎年ちいさな贈り物とともに運んできてくれて
イヴの夜には、
サンタさんにクッキーとコーヒーと手紙を用意して
朝起きたら、今年も来てくれた形跡がある…
そんなふうに過ごしてきた。
そしてそれは今もなお。
一般的に育ったわたしとしては
親と言えども、
自分が作った習慣と言えども、
13歳を迎える娘が、
今なおどこまで何を信じているのだろうか….と
探りたくなる気持ちもある。
うっすら探ってみることもある。
でも、どうやら、けっこうなパーセンテージで(98%くらい?)
いろんな目に見えないものごとを
心底信じているようなのだ。
そして揺るがない。
娘「今年も天使さんがくるみのアドヴェントカレンダー持ってきてくれるって~!」
母「え~。中学生のところにはもうないんじゃない?
小さな子のところへいく時間が減っちゃうじゃん」
娘「天使さん、来てくれるって言ってたもん!」
母「え~、いつ言ってたの??」
娘「天使さん、言ってたもん!ハタチになるまで来てくれるって!」
母「ハタチ~~~!!!!まさか~~~!」
わたし自身でも笑ってしまうようなやりとりだけれども、
実際笑ってしまうのだけれども、
娘はいたって本気で、まじめで、真剣で、
母が全部用意してるって知ってるんじゃないか?と思いたくなるけれど
つっこみたくなるけれど
そこはぐっと堪えて、
「どうだろうね~」と流す。
そして、
日々の忙しさと、
「12/1の朝には、デーブルの上に小さなツリーと一緒にくるみが並ぶね♪」と
毎年繰り返されてきたことを、
今年も同じことが起こると信じ、
わくわく待ち望む娘の様子を何度となく見ながら、
これは本当に本気なんだな…というのを確信すると
母は焦りつつ、いそいそとアドヴェントカレンダーの中身となる
ちいさな贈り物を24個用意するのだ…
そして、なんとか12/1の朝に間に合わせる……💦
娘は最大級の喜びと「ほらやっぱりね」という確信ともに
アドヴェントの訪れを安心で満たす。
こうやって、彼女はいつでも自分の願望を実現してきた。
自分で何かをじたばた叶えようとしているわけでなくて、
結局はまわりがそうなっていくことを
ただ揺るぎない信じる心と
すでにそうなっているかのような気持ちの高揚や安堵や喜びとともに
「そうなる」「すでにそうである」ことを受け取るだけ。
毎度のことながら、ほんと、これってすごいなぁと思う。
わたしが幼い頃は、うちにはサンタクロースは来なかった。
だから「うちには来ない」と理解し、そう思い続けた。
何か強く意識しないところで、あきらめていた。
「うちにもサンタさんが来たらいいな」という願望、にもなっていなかったのだと思う。
サンタクロースが来ない現実を創っていたのは、
誰でもない「わたし」だったんだなぁ
と、いま、中1の娘を目の前にして、
彼女の、
サンタクロースのことに限らず
願望をひとつずつ確実に実現していく様子を目の当たりにして
気づかせてもらっている。
そして
彼女の在り方を見て
願望って
ある意味むずかしくなく
実現していくものなんだ…と思えるようになってきているわたしがいる。
さて、
サンタさんは、娘に何を届けてくれるんだろう....