記念すべき第1回(全1回)の投稿は僕と松本山雅FCが出会った時のことを話そう。

2013年某日、それは何気ない日常の中での突然でもあり必然でもある出会いであった。

当時、松本山雅FCは頻繁に「無料チケット」を地元小中学生向けに配っていた。そのチケットの存在は小学生の頃から知っていた。が、特に気にもかけなかった。

そんなある日、転機が訪れる。

『あのガンバ大阪が降格した』『ガンバ大阪が松本に来る』

ガンバ大阪サポーターには申し訳ないが当時のJ2サポは「おらが街に『あの』ガンバ大阪が来る」と喜んでいた。実際に愛媛や水戸のホームゲームは1万人超え、緑東や岡山のホームゲームでは1.8万人を超える動員を「ガンバブランド」が集めていた。アルウィンでも1.7万人が試合を観戦した。これは当時のクラブ最多動員記録となった。

サッカーを詳しく知らない僕でさえ、ガンバ大阪を知っていた。そんなチームが松本に、と聞いた僕は次第にサッカーに興味を持ち始めた。2013年の春のことだった。

地元には松本山雅FCというチームがある。それは以前から知っていた。故松田直樹の一連の報道を過去にテレビで見たからだ。しかし松本山雅とはどんなチームなのかは知らなかった。僕は次第に興味を持った。そして学校から無料チケットを何気なく持ってきて何気なくスタジアムに行った。

何となく興味を持って何となく貰った無料チケットを片手にスタジアムへ。その何気ない出来事は、サッカー日本代表の試合を何となく観る程度の、あまりスポーツに興味のなかった中学1年生の生活を大きく変えることとなる。

5月12日の夕暮れに始まった初めての現地観戦は引き分けに終わった。前半早々に点を奪われる。後半になって喜山(現岡山)がゴールを決め同点に持ち込んだ。そのまま両チーム追加点を得ることは出来ずに引き分飽きたからやめるわ。