TODAY'S
  弱い自分がしっかりとだれてきたところで
成りたい自分を想像してみよう。

STEP.1 まず大きくて抽象的な目標から、

 

私は資本主義の社会で自分と自分の周りにいる人で共に勝ちを掴み取りたい。自分だけ勝っていてもなんだか寂しい、しかし自分は成功を収めていたいし勝っていたい。

STEP.2そのためのもう一段階具体的な道のり

 

 私は負けず嫌いだ。だから他の人が成功しているならば、同じ道でなくてもいいから私も成功してなければならないし多勢に対する優位性は持っていたい。それが本質にある。しかし自分の力で他の人が成功するならばそれはむしろ喜ばしい。心的三大欲求に準拠しているが、傲慢さはしっかりと持っている派生バージョンと言える。それを達成するためには現状への満足は捨てなければいけない。ただ私は考慮すべき現状の側面が他人より優れている場合、その現状の側面にレッテルを貼るのは他人を見下すことになるんじゃないかというジレンマによく苛まれる。他人より優れていたいが、他人を見下したくはない。この両立が私には難しい。両立の何が難しいのか理解できない方もいることでしょう。しかしこの両立のためには自分を駆動する必要があり、自分を駆動するためには先人たちの歩んできた道や隣を歩く人の道を見て、彼らが自分の描く理想へどれだけ近いか遠いか、または彼らの道は自分の理想たり得るかを自分の尺度で測ってそのギャップで自分のロールモデルを決める必要がある

 

 うーん、文字起こしをしたら自分の考えが整理された。「自分は先に進むけど君は取り残されるね。」がとっても嫌いなのだ。でも資本主義は他人よりいかに進むかのゲームだ。受験勉強だってそうだった。私は東北出身の東大生なので世の中の知能の格差を最も理解している立場の一人だと思う。ただ、その格差をよく見て来たがために心の中で「自分は先に進むけど君は取り残されるね。」を少なくとも受験勉強では最もやってきた。それが心の三大欲求の一つの有能感にも繋がっていた。しかしその他人のことを思うと胸が痛い時がある。これこそ周りを舐めすぎかもしれない。人はたくましいのでそれぞれが自分の力で幸せを見つけられる力を持っているかもしれない。むしろこの考えは、人に施しを与えたいという欲求からくるものかもしれない。こういった苦しみは過度な競争思想が生んだ歪なものであるけれど、競争に最後まで勝てなくても負けたくはないので少なくとも30歳までは心にこのジレンマをかけたまま競争に全力で投じよう。それまでにいろんな知見に触れてゆっくりと答えを出そう。以上より目標は具体化へと進む。30までに競争社会に勝ちつつ他人との比較という価値観から抜け出す方法を知ること。