『ブラック・スワン』

子役上がりのおばさん女優が主演したバレー映画。大役を射止めたのはいいが、プレッシャーに押しつぶされ、徐々に精神を蝕まれていくお話。主演している女優さんが大根役者なので、踊り方が硬いとダメだしを喰らうシーンには説得力がある。
『レスラー』が面白かったので観てみたが、バレェを実際にやられている方から見たら失笑ものの映画だとか。うんこマーク2

『サイタマノラッパー2』

何気に観てみた。ヤサグレ感がいまいち。ロングショットをフィックスで捉えて長回し。これに徹しているので絵図が単調だし、役者さんの声を拾いきれていないので、耳の遠いわしには辛かった。♫シュッシュッシュッの曲は耳について離れない。中々チャーミングやった。

『ザ・ライト-エクソシストの真実-』

統合失調症の妻を持つわしからしたら、悪魔払いに最も効果的なのは”オランザピン”や”リスペリドン”であって”聖水”は役に立たんと思います。”異言”に関する言及があるが、科学的に確証の得られたケースはなかったと思います。アンソニー・ホプキンスは夜のローマが似合う。

『LAバトル決戦なんちゃら』

タイトルが歳のせいか覚えにくくて、窓口のネーちゃんに「バトルフィールドくれ」と言って、怪訝そうな顔をされた。正式なタイトルは、また忘れてもうた。
かなり期待して行きました。もっと大掛かりなドンパチが見れると思ってたから。実際は小隊に視点を合わせ、そっから殆ど出てこない。バストショットの多用で、海兵隊に対するの賛辞を、何人かのとうじょうじんぶつが、割台詞で語る。うちゅうじんは?あれ?うちゅうじんは?と思っているうちに終わった。もうじき『カウボーイアンドエイリアン』も来るし、来年には『バトルシップ』とやらも
来るので、そっちに期待しようっと。期待しているうちにモノホンが来たりしてww


『アジョシ』

『母なる照明』では頭のネジが緩い坊やを演じてたウォンビンがヴァイオレンス映画の主役として
スクリーンに戻ってきた!良い!良いぞ!この映画!!最近の韓国映画は『悪魔を見た』とか
『黒く濁る村』とか、なんとなくサスペンスが受けてるみたいなので作ってみました的な作品が多かったので、久々に骨太のヴァイオレンス映画が観れて大満足。

韓国は何でも欲しがる国だ。

今までアジアからはブルース・リー、ジャッキー・チェン、リー・リンチェイ、松田優作、金城武などのアクションスターが出てきたけど、彼らの王座をぽっと出のウォンビンが掻っ攫う勢いでした。
兵役によって鍛えられたウォンビンの肉体美は魅力ですが、いかんせん彼は手足が短い。もっと
手足の長い人がアクションを演じれば見栄えはもっと良くなったと思うけど、贅沢は云えません。

キムセロンという子役が出てきますが、この娘が達者。薄幸そうな女の子を見事に演じよる。
こいつが行きつけの駄菓子屋に行って万引きをするけど、黙認している店主のセリフが振るっている「なぁに、子どもは万引きをして成長していくもんじゃで…」っておいおいww。

まぁ、お国柄の違いですな。万引きで人生を詰ませる国と、大目に見てやる大人がいる国。どっちが心にゆとりがあるのやろうかね。

今回、ウォンビンが対峙する悪は”絶対悪”です。この悪は、わしらの周りにも息を潜めて、わしらを狙っているかも知れない悪です。

こんな悪に絡まれた場合の身の処し方をあれやこれやと考えさせてくれる映画でした。

完璧映画。文句なし。
先週の半頃、家の隣の公園で坊やとキャッチボールをしていると猫が「にゃー」と鳴きながら近づいてきた。通常、猫は人に懐かぬものだから物珍しくて、しばらく、いらって(いじくっての大阪弁)遊んでいた。


白地に茶色の模様、茶色の目、大きな尻尾、まんまるの顔に、まんまるの大きな前肢。なんとなく”なでしこジャパン”の澤穂希みたいな顔つきだ。


しばらくすると、坊やの同級生の女の子たちがやってきて「マロンちゃん」と呼びかけている。訊けば赤ちゃんの頃に段ボール箱の中に入れられて捨てられていた猫なのだという。


「飼いたい」と坊やが言う。わしは「もし、つい来たのならば飼えばよろしい」と応えた。猫がついてくるわけなどないと思ったからだ。


猫はついてきおった。家の中に入ってきよった。


仕方なく、ほとんど使っていない子ども部屋をあてがう。その前に風呂に入れたのだった。猫は滅茶苦茶嫌がっていた。ドンキに行って猫缶などを買ってきた。

先月、16歳で亡くなった、実家のシーズー犬の”のんちゃん”に模様が似ているので、なんとなく切なくなった。

しかし、猫と犬は全く別の生き物であり、いくら人懐こいとはいえ、犬と存在感には遠く及ばない。

わしは犬のほうが好きだ。

猫を長く飼っていた友人に電話をかけアドバイスを仰ぐ。「飼うのはやめておけ」とそいつは言う。
「猫はおしっこが臭いし、壁もボロボロになるぞ」と言う。

わしは深く考え込んだ。考えながら寝た。

翌日、朝の4時半頃目覚めた。そんなに早く目覚めたのは、猫の事が気がかりだったのであろう。

猫の姿は消えていた。ちょうどマーゴン台風が大阪を逸れた朝だった。終業式の朝だった。

「マロンちゃーん」「マロンちゃ~ん!」とわしは呼びかける。カーペットの上に下痢うんちを遺して
彼女は消えてしまった。

窓は全部閉めきっており、逃げる隙などない。しばらくして息子が起きてきて猫の名を呼ぶと、彼女は「にゃー」と鳴きながら、子どものおもちゃ箱の隙間から姿を現した。

猫のうんちを処理しながら、わしは(所為がない)と感じた。犬のように存在感を示してくれれば、
世話のしがいもあるだろうが、猫はほとんど息づかいさえ感じさせない。

よく考えて、夜に猫を逃がすことにした。世話をするのはわし。猫砂と猫缶を買い続ける人生なんて、わしには思いつかん発想だと思ったからだ。

猫好きのマンションの住人のお兄さんが言うには、野良猫というのは総じて、何がしかの伝染病
なり病気なりを患っているものであり、飼うのであれば獣医に診てもらうべきだという。

それを聞くと急にかわいそうに思い、猫を病院に連れていこうと思い立った。猫を抱きしめて連れていこうとする。

猫は人に抱かれることを嫌うのだという。猫は車に乗せようとした途端、飛び出して逃げていった。

猫は今も、うちのマンションの下でニャーと鳴いている。気まぐれな生き物だ。まるで、わしら人間みたいに気まぐれだ。

猫にこれ以上、関わることはできない。

管理組合の投書箱に、心暗い何者かが、わしの名を名指しして”苦情の手紙”を投函することは必至だからだ。

なぜそのように思うのかというと、ねこ好きのお兄さんのお父さんはマンションの自治組合の元会長であり、猫を飼うことに反発を示すものが多数だったという話を聞いたからだ。

ほんの14.5年前、町は猫で溢れかえっていた。

地域猫という言葉もあった。その地域の住人たちが、互いに彼ら彼女らの世話をして育てようと
いう考えから出来た言葉である。

今、町に猫などはいない。地域猫という言葉を考えたおじいちゃんや、おばあちゃんもいない。



今は、みんな、土の下にいるのだ…。


猫の未来など誰が知ろう。我々の未来すらおぼつかないというのに。

世界は移りかわっていくのだ。それがよりよき世界であるなら良いことであるし、悪い世界であっても、それもまた良いことなのであろう。

なぜなら、未来を選択するのは、その時代に生きる者たちの総意だからだ。


※ものすごい厨二文で締めくくっていますが、今『映像の世紀』を視ながら、これを書いたのです。察してちょwww
311以降、映画など観ていない。現実が映画を上回る事態に直面し、只々、震え慄く日々を過している。『キック・アス』のBDも開封すらしていない。

しかし、人間とは恐ろしい生き物で、このような状態が持続していくと、次第に感覚が麻痺していき、徐々に順応していくもので、さすがのわしも慣れてきてしまった。開き直ってきてしまった。

今日は、放射能が日本全域を覆うと予測されていたが、最早、収束のメドは立たなくなってしまったようなので(6乃至9カ月で冷温停止ということは日本の土壌全域があまねく汚染されるということだと自分は解釈している)、(もう、どーでもええわい)と開き直って映画を観に行くことにした。

コーエン兄弟監督脚本、スピルバーグ製作の西部劇。1969年の『勇気ある追跡』というジョン・ウェイン主演映画のリメイク。

わしはコーエン兄弟の映画が大好きなのだが、コーエン兄弟の映画を映画館で観たのは『バートンフィンク』以来だ!(チェルノブイリ事故直後くらい以来)。一遍、シネコンの座席に慣れてしまうと、ガタイのでかいわしにはミニシアターの窮屈な座席に座ってまで映画を観ようとは思わんようになってしまったからである。

わしらの住んでいる地域はシネコンが乱立しており、ブロックバスター方式のメジャー作品ばかり掛けていても、集客できんからと判断したのか、ミニシアター系作品が掛かるようになってきた。
つーか、コーエン兄弟作品は、『ノーカントリー』辺りから、シネコンで掛かっていたかなぁ。その頃は坊やが赤ちゃんだったので、映画館に関する記憶が殆どない。

因みにわしは西部劇、苦手です。あんまりオモロイと思ったことがない。従って、元の映画は観ていません。『ダンス・ウィズ・ウルブズ』や『許されざる者』なんかを見てもオモロイと思わんかった。『ラスト・オブ・モヒカン』はオモロかったけど、あれはネイティブ視点で描かれた映画やから
西部劇とは言えないか。ヤングガンもおもろなかったなぁ。


…                           

お父さんを荒くれ者に殺され、仇を討つ為に奔走する14歳の少女が、ジェフ・ブリッジス演じる
お爺さん保安官に助力を求め、追跡していくというお話。

少女とお父さんの繋がりを描いた場面が一切、描かれておらず、気丈な少女が、保安官をスカウトする所からいきなり始まる。
きっちりと段取りを組んで、粛々と復讐作業に取り掛かる、女の子ちゃんの気丈な立ち振る舞いに唸る。男前過ぎてチビリそうになった。女の子ちゃんのルックスは、あんまり可愛くないけど可愛い@蒼井優ちゃんちっくなかんじで、劇中でも「ブス」と罵られてます。なんぼなんでもひどすぎるやろ。西部の荒くれ者共よ。

女の子ちゃんとお父さんの回想シーンなどのあざとい、お涙頂戴シーンは一切なし。物語を引っ張っていく要素が、荒くれ者の追跡だけ。なので、途中、ダレ場があります。『ノーカントリー』や『ファーゴ』みたいな衝撃的なシーンも少ないですし、景色も荒野ばかりで単調。わしが西部劇が嫌いなのは、景色が単調で、埃っぽいからなのかも知れない。

それでも、やっぱりコーエン兄弟の映画なので、只では終わらんやろなと思いながら見続けます。

『トロンレガシー』ではヴァーチャルリアリティーの中の無機質なキャラを演じたジェフ・ブリッジスが、へろへろの爺さん役で出てきて、何を言うてるかわからんエグイ南部訛りで(わしは英語しゃべれんので、別に南部訛りでなくても何言うてるかはわからんのですが)、粗野でタフな保安官の役を見事にこなしています。この人はあんまりかっこええと思ったことはないのですが、今作ではかっこええジジイを見事に演じきっとった。

この二人に”テキサスレンジャー”のマット・デイモンが絡んでくるのですが、わしはアメリカの歴史の事はさっぱり分からんので、テキサスレンジャーってなんやっったけか?と思いながら観てました。なんで別れ際に”アディオス”とか言うよるんかもわからん。スペイン領やったからなのか…。
白人至上主義の側面が色濃い、民兵組織だったらしいのですが、今でも州から認可を受けた警察組織として存続しているらしい。

キリスト教文化圏においては”契約”を重んじるという話をよく聞きますが、荒くれ者の徘徊する無法地帯においても、ぎりぎりのところで、契約は重んじられているように描かれていて、なるほどなぁと唸りました。

そして、14歳の少女を性的な対象として見なかった。子供は子供として扱われていた。という事にも驚きを感じましたが、そんな事に驚いてしまうほど、今のわしらを取り巻く環境はシャバいのだと、気付かされました。お子はお子でしか無いのですから、性的な対象になったり、女郎屋に
売り飛ばしたりなどという発想自体なかったと思います。一部の変態はいつの時代にもいたのかも知れんですけど。


ラストシーンでは、保安官の男前っぷりに涙が溢れそうになりながらも、当たり前や、これこそ、当たり前の行動や、と思いました。利他的行動を持ち合わせているからこそ、種は存続できるのです。魚にも虫にも内包されている本能。光を目指す走性です。これを言い換えると”正義”という
言葉になるのか?正義などという言葉を軽々に用いたくはないのですが。

わしにとって、良い映画かどうかの基準は観終わった後も感動や印象が翌日以降も残るか否か、どれだけ余韻が残るかです。この映画はナカダレがあったものの、物語の収斂のさせ方が
とてもよく出来ていたので、ずっしりと見ごたえのある佳編だと思いました。

仇役を演じていた役者さんは『グーニーズ』という映画にも出ていた子役上がりの人で、お父さんが『カプリコン1』に出ていたジェームズ・ブローニンです。ブローニンという苗字だけ印象に残っていたので調べてみたらそう書いてました。女の子のお父さんを殺したけど、冷酷非情な賞金首というわけでもなく、普通の荒くれ者の役で、劇中にはちょっとしか出てきません。ここらへんもコーエン兄弟映画らしくて深いです。

主演の女の子ちゃんは、いきなりアカデミー賞助演女優賞にノミネートされました。惜しくも受賞はしませんでしたけど。凛とした佇まい。透明感があって、よい雰囲気でした。
【読まれる前に】おっさんブログらしく音が出る仕様になってます。うるさかったらミュートしてね。それと、誤字脱字が多いかも知れませんが、単に老眼が進んでるだけで、深い意味はないので許してね。あと、これは現実に起こったニュースではなく、わしの頭の中のお花畑で起こった出来事に関するつぶやきです。フィクションですのでよろしくね。電気を大切にね。

※半原ぱつデ毛に15000人

4月10日に高えん児の”鍋”の人達の呼び掛けで、沢山の人が集まり、道路を練り歩いた。鍋の人たちは、去年12月、ツイッター上で絡んだ事があったので、よくぞ、ここまでの事を成し遂げたと思う。

でもあれは、若者たちのウップンばらしの為に行われた感じがした。選挙の日に行われたのもあざとい感じがした。

ああいうことをしたら、海外にも”ちゃんと反対運動もやってるでごんす!まともでごんす!おいどんたちは!!!”というアピールもできるし良かったと思う。
大阪府民に嫉妬して、墨田区にでっかい通天閣建ててみたり、いじらしいのう都民は。

統制がとれ過ぎてるし、持っているプラカードも統一されてるし、どこに向けて訴えているのかわからんとこに違和感を感じるとコメントしてる人もいてはったけど、意地悪いコメントやと感じた。命がけでやっているとわしは思った。けれど…

見てて、すごいと思いながらも、わしは逃げて欲しいと痛切に願う。取り敢えず、若者たちは逃げてくれ。黄色い飴は花粉とちゃうんちゃうか?ひとまず、我が身の心配を優先させろ、若者。

あと、こんな事云うたら頭狂っとるとおもわれるけも知れんけど、とっくに思われてるから全然おKやけど、もしカメラに写ってる顔を認識して、個人を特定するシステムみたいなものがあったら、それをじっけんする為にも好都合やったやろうな。でも、そんなすごい装置なんて現実には、まだ開発されてる訳ないから、ありえないけどな。ドラえもんの道具やあるまいし。え、あるん?

どっちゃにせよ、サウンドでもって恐ろしい手法やし、効果的な手法やと思った。これは怖いなぁとも思った。いつでも、誰かに軌道修正されたり、操られたりすることが可能やからや。

レゲェラップのネーちゃんとかストリングス・オブ・ライフには さぶイボ立ったけど。魂が打ち震えたけど。



※PullT君の周辺の地域の学校で、悪い空気の規制地緩和。

1.どこにも逃げ場所なんかない諦めてくれ。もっと最悪の状態になるから。

2.現代の医学をなめるな。後遺症の殆どは、今では著しい医学の進歩によって治療可能やぞ!!かかってこいや災厄共めが!!グリベックも保険適用したるぞ!!

どちらかやと思う。2であって欲しい。頼むからそうであってくれ。



※震災一月目。

永かった。永い。永すぎる日々がこれからずっと続く。未来永劫。あるいは続かないかも知れない。終わりを常に意識する日々。平凡な日常を失うかも知れない恐怖に押し潰されそうになり凍える毎日。耐えられない。

式典の模様を映していたテレビを眺めながら、このブログを書いていたら、また緊急地震速報*4。電源喪失。果つる底なき恐怖は続く。

太平洋の遥か遠くに20万戸分の家屋の残骸と犠牲者の亡骸が固まりとなって漂っているという。
3年後にアメリカの西海岸にたどり着くという。
3月11日のお昼までは、何事も無く平和な暮らしをしていた人たちが、今は海の藻屑となって漂っている

この世界は不合理に出来すぎている。地上こそ永遠の地獄なのだ。



※商事チンコ

コプロラリアのお爺さん。でも、この人は昔、若者たちのカリスマやったらしい。斉藤和義みたいなもんやな。そら、年寄りは支持するわな。
この人がタブー発言じみた事とか、取り敢えず早口で怒った口調でなんか云うたら、「よくぞ言ってくれた!!」とか言うて拍手喝采する人たちを見てたら、去人ファンと被る。強い者に自分の姿を重ね合わせてみる心理は、チワワみたいで可愛らしいとは思うけどなぁ。




次章は”世界は地獄を見た”です。