悪かろと良かろと
日にがきたら退院です。
言語障害に体感麻痺、四肢麻痺、
いろう、排尿排便障害で家に連れて帰りました。
今は排尿排便障害も治り、口から
ミキサー食ですけど、食べれるようになりました。
6/29、リハビリ回復病院に転院することになりました。
私は転院に対して期待を持っていました。
すぐに良くなるそれを信じていました。
ただ、目に見えて良くならないので、焦る気持ちも正直あります。
リハビリは、失敗しながらも、少しづつできる様になりました。
飲み込む練習。
足に器具をつけて歩く練習。
手を動かす練習。
座る練習。
など
今もリハビリは続いています。
6/3、膵臓の管が取れ、先生に1週間後に胃ろうを勧められました。
先生が言うには、「管が通っている状態では、リハビリの邪魔になるし、本人も苦しいのでラクにさせた方がいい」ということでした。
しかし、私は『胃ろう』と聞いただけで良い印象はなく、判断するのを躊躇しましたが、娘に相談し、胃ろうを決意しました。
今思えば、いい決断だったと思います。
5/21、ICUから普通病棟に移りました。
リハビリで車椅子に慣れるために、よく乗っていました。
お風呂も普通病棟になってからはじめて入りました。
相も変わらず、飲み込み練習はしてますが、うまくいきませんでした。
旦那も自分の口で食べることを望んでいるので、なんとか出来る様に口腔ケアの先生にお願いしていました。
この頃、自分の力で寝返りがうてるようになっていました。
旦那はよく「帰りたい」と言っていました。
私もできれば連れて帰りたかったですが、今の状態では、無理なので心苦しかったです。
5/10呼吸器がとれました。
左足も少し曲げました。嬉しい。
立つ練習や車椅子に乗せる練習を3にんがかりでしていました。
同時に飲み込む練習も始まりました。
とろみの水でも飲み込みができませんでした。
少しづつですが手も足も動くので、このまま順調に回復できるかも、、、、と思う反面、
出来ないことがあると、やっぱり不安になってしまいました。
脳幹出血で倒れた夫。
脳の腫れも治まり、ホッとしていたところに胸が苦しいと言い出し、呼吸器をつけることになりました。
肺炎を起こしていたのです。
夫の顔を見ていると苦しそうで、胸を締め付けられる思いでした。
その後、膵臓に水が溜まり、水を抜く手術をしました。
次から次へといろいろ起こり、心が休まることもなく、手術の度に決断をせまられ、一人で決まられず娘(42歳)に相談しながら何とか乗り切りました。
死と隣り合わせ、いつ亡くなるかわかならい、そんな思いが常にありました。
今年の5/2、突然夫が倒れ脳幹出血と診断されました。
私は、これから先、どうしたらいいのかわからずに、ただオロオロするだけでした。
その時に、医者に
「延命治療はどうしますか?」と言われ、
は「延命治療はいりません」と答えました。
その時の夫の様子は
脳が腫れて、その腫れが治まればいいが、そのままだったら死亡してもおかしくない状態だったのです。
実は、病気になるずっと前から夫婦で、『もし、なにかあったときはお互いに延命治療はしないでおこう』と話し合って決めていました。
まさか、本当にそんなことを決める日が来るとは思ってもみませんでした。
ただただ、ベットで横になっている夫に「一人にしないでよ、、、」と声をかけるしかできませんでした。
