夫の介護日記

夫の介護日記

突然、夫が脳幹出血で倒れ、生活が一変しました。
今は、少し少しつづですが、回復にむかっています。
主婦の介護日記です。

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昨年はブログをしたいなと思っていたのに私の挫骨神経やら主人が入院したのやらでゆっくりブログができませんでした。

今年は私の眼底出血で手術しました。

今は主人も私も少しですけど落ち着きました。

少しずつですけど日常の生活を書き残していきたいと思います。

2月の3日から通所リハビリに通っています。
何事もなくすごしてます。
食事も3食ミキサー食に。
だけど手足が動かない主人はうわごとのように何故生きらしたて暴れることがしばしばありました。
私は、悲しくて何度もかくれて泣いてました。
だけど少しずつでも良くなってきてるので、やれることはなんでもしようと思い、夫を支えてきました。
顔のマッサージ、右手でボール握りと夫婦二人三脚で頑張ってます。
主人が昨年の12月に退院しました。
悪かろと良かろと
日にがきたら退院です。
言語障害に体感麻痺、四肢麻痺、
いろう、排尿排便障害で家に連れて帰りました。
今は排尿排便障害も治り、口から
ミキサー食ですけど、食べれるようになりました。

6/29、リハビリ回復病院に転院することになりました。

 

私は転院に対して期待を持っていました。

すぐに良くなるそれを信じていました。

ただ、目に見えて良くならないので、焦る気持ちも正直あります。

 

リハビリは、失敗しながらも、少しづつできる様になりました。

 

飲み込む練習。

足に器具をつけて歩く練習。

手を動かす練習。

座る練習。

など

今もリハビリは続いています。

6/3、膵臓の管が取れ、先生に1週間後に胃ろうを勧められました。

先生が言うには、「管が通っている状態では、リハビリの邪魔になるし、本人も苦しいのでラクにさせた方がいい」ということでした。

 

しかし、私は『胃ろう』と聞いただけで良い印象はなく、判断するのを躊躇しましたが、娘に相談し、胃ろうを決意しました。

 

今思えば、いい決断だったと思います。

5/21、ICUから普通病棟に移りました。

リハビリで車椅子に慣れるために、よく乗っていました。

お風呂も普通病棟になってからはじめて入りました。

 

相も変わらず、飲み込み練習はしてますが、うまくいきませんでした。

旦那も自分の口で食べることを望んでいるので、なんとか出来る様に口腔ケアの先生にお願いしていました。

 

この頃、自分の力で寝返りがうてるようになっていました。

 

旦那はよく「帰りたい」と言っていました。

私もできれば連れて帰りたかったですが、今の状態では、無理なので心苦しかったです。

5/10呼吸器がとれました。

左足も少し曲げました。嬉しい。

立つ練習や車椅子に乗せる練習を3にんがかりでしていました。

同時に飲み込む練習も始まりました。

とろみの水でも飲み込みができませんでした。

 

少しづつですが手も足も動くので、このまま順調に回復できるかも、、、、と思う反面、

出来ないことがあると、やっぱり不安になってしまいました。

脳幹出血で倒れた夫。

脳の腫れも治まり、ホッとしていたところに胸が苦しいと言い出し、呼吸器をつけることになりました。

肺炎を起こしていたのです。

 

夫の顔を見ていると苦しそうで、胸を締め付けられる思いでした。

 

その後、膵臓に水が溜まり、水を抜く手術をしました。

 

次から次へといろいろ起こり、心が休まることもなく、手術の度に決断をせまられ、一人で決まられず娘(42歳)に相談しながら何とか乗り切りました。

 

死と隣り合わせ、いつ亡くなるかわかならい、そんな思いが常にありました。

今年の5/2、突然夫が倒れ脳幹出血と診断されました。

 

私は、これから先、どうしたらいいのかわからずに、ただオロオロするだけでした。

 

その時に、医者に

「延命治療はどうしますか?」と言われ、

は「延命治療はいりません」と答えました。

 

その時の夫の様子は

脳が腫れて、その腫れが治まればいいが、そのままだったら死亡してもおかしくない状態だったのです。

 

実は、病気になるずっと前から夫婦で、『もし、なにかあったときはお互いに延命治療はしないでおこう』と話し合って決めていました。

 

まさか、本当にそんなことを決める日が来るとは思ってもみませんでした。

 

ただただ、ベットで横になっている夫に「一人にしないでよ、、、」と声をかけるしかできませんでした。