どうも。
お久しぶりです。
雨が物凄いです。えげつない。
コレはきっと、私の心を表しておるのです。
本当に心の中もどしゃ降りです。
私のインコ人生36年に終止符が打たれてしまいました。
りょまさんが亡くなってしまいました。
今年最初から色々大変な事が起きまして。
私の人生で一番大変な事が起きてしまっておりました。
コレに関しては今度詳しく書きたいと思います。
それに追い打ちをかけるかのように、5月くらいから りょまさんが体調を崩し入院。
ちょこっと長くなってしまいますが書いていこうと思います。
5月10日
右目の傷?白いもの?みたいなものに気付く。
え?白内障?
5月16日
やっと予約が取れ右目を見てもらう。白内障ではなく、ぶどう膜炎ではないかと。
(先生は目に関しては知識が少なく、詳しい獣医さんを紹介しても良いが
小鳥さん専門ではないので保定が出来ない。あまりお勧めは出来ないとの事で様子見に。)
一応お薬をいただく。
5月22日。
夜寝る時、まさかの初めての痙攣。
(羽をパタンパタンさせてお家の中を走り回る。)
5月23日。
痙攣も気になるし、ゴハンも食べる量が減って来ていたのでクリニックへ。
体重は減っているものの、筋肉は適度についていて良い感じ。
この日の夜、再び痙攣。
22:20~0:00近くまで続いた(お部屋の電気を消すと何故か起きる現象)。
痙攣時は触ってはいけないので、何もしてあげられないのが辛い。
5月24日。
ゴハンもあまり食べられず痙攣もあるので入院に。
動脈硬化も少し進んでいた。
5月30日。
お試し退院。
いつもの如く、お家に帰ればゴハン食べるかも作戦。
体重28g切ったら即再入院。
ちなみに入院中は一切痙攣はなかったらしい。
5月31日。
ゴハンを食べないので再入院に。
6月7日。
ゴハンはまだだけど吐き気がおさまっているので退院。
やっぱりゴハンは食べない・・・。
あげくこの日の夜、頑張って飲もうとしてくれるものの飲ませたお薬を全部吐いてしまう。
(物凄いマズイお薬が追加されていた。)
6月8日。
お薬を飲ませても吐いてしまうのでクリニックに電話して看護師さんの指示を仰ぐ。
教えて貰った通りやってみたら飲めた!
ゴハンも少ーし食べてくれた。けど、体重が減ってしまい再々入院に・・・。
6月11日。
ほんの少しゴハンを食してくれ、絶食糞も治まって来たが まだまだ全然足りない。
このままではいつ退院出来るかわからないという事で、
昔からお世話になってるクリニック唯一の男性看護師さんに給餌の練習を勧められる。
昔一度練習した事があるのですが、全く出来ず断念した事があるのでかなりドッキドキ。
この日はまずは保定練習。これまた昔からいらっしゃる、
お宿もやっていて毎年お世話になっていたとても穏やかで優しい大好きな看護師さんに習う。
難しい。
強制給餌の保定は難しい。
両あごを親指と中指でしっかり押さえ、人差し指を頭に添える。
この時、足がバタつかないように気をつける。
6月13日。
この日は男性看護師さんから給餌練習を習う。
前回思いの他、保定が上手く出来たので早速シリンジとチューブを使う。
悪戦苦闘するも、1回出来た。りょまさん、頑張ってくれた。いい子。
6月14日。
この日は比較的新しめの看護師さんから習う。
3回やって3回成功。結構早めに習得出来ているので
もう少ししたらテストをしてみましょうと。
担当の獣医師さんの前で強制給餌し、先生がOKを出したら退院。
6月15日。
この日は男性看護師さんから給餌を習う。
何故か1度も成功せず・・・。
「練習の前に食事を済ませてしまったからかも・・・。
1週間経たずに意外と出来ているので多分大丈夫でしょう。」と看護師さん。
「いやぁでも基本的に、今までのは まぐれで出来たと思っているので安心出来ない。」
とネガティブ発言を吐くと、
「まぐれでも出来てたんだから自分を信じて下さい!」と褒められる。
「よし、じゃぁ次でテストって事で!」と4日しか習っていないのに
次はテストと決定される。お、鬼ですか?
「テストの前に練習しましょう!予約時間より30分早く来てくださいね!」と。
うん、鬼ですね。
6月17日。
強制給餌テスト前の練習はほぼ完璧に出来た。
練習中、先生が覗きに来る。怖っ。
先生:「なんならもうテストしちゃいましょうか?」
男性看護師さん:「どうします?」
ナルさん:「やります!(←面倒な事ややりたくない事は後回しにしたくないタイプ。)」
結果、合格。看護師さん達にはとってもお世話になり感謝です。
りょま、退院。
ここからずーっと1日2回の強制給餌生活突入。
クリニックでは1日3回だったらしいので少し進展。
7月6日。
相変わらず1日2回くらいの強制給餌生活中だけど、
自力めしも ほんの少しずつ増えて来た。
7月11日。
クリニックへ。
少し筋肉が落ちて痩せてきている。
でも、強制給餌の方が肝臓用のゴハンだし栄養バランス的にも良いので
この状態でも大丈夫かなーと先生。
右目もまだ違和感が残っているらしく「瞳孔が開いてるからまぶしいのかもしれない。」と。
7月19日。
まさかのまた換羽スタート?
7月28日。
今だ強制給餌生活中。
気付くと左足をずっと上げている。
7月30日。
左足は腫れているので骨折ではないかと。
ただ年齢が年齢なので、もしかしたら病的なものかもしれないと。
腫れ以外の症状がないので何とも言えない。
8月1日。
気付いたら換羽終了。
8月4日。
日に日に足の状態が悪化。
何もしてあげられないのが辛過ぎた。
8月5日。
痛がっている足を見ると白いプツプツがあるような気が・・・。
「・・・まさか、痛風?」とビビりながらクリニックへ。
「ああ、遂に来てしまったね・・・痛風ですね。」と先生。
お薬もゴハンも肝臓のものをストップし、痛風=腎臓なので腎臓のお薬・ゴハンに変更。
ただ、心臓のお薬はやめる訳にはいかないので続行。
腎臓のゴハン(フォーミラAK)は肝臓のゴハン(フォーミュラAL)と違い、
完全にペレットなので強制給餌はかなり難しい。
砕いてすり潰して溶かして強制給餌(どうしてもシリンジ内で詰まってしまうらしい)。
そして痛風は急死してしまう恐れもある・・・点滴も必要・・・。
それを踏まえつつ、連れて帰るか入院か。
ゴハンを食べれない事にはどうにもならないので悩みに悩んで悩みつつ入院を選択。
コレがな、私的には失敗だったなとかなり後悔。
8月6日。
クリニックに電話。
あまり変化がない様子で痛みのせいでじっとしているらしい。
8月8日。
朝8:30に先生から電話。
「りょまさんが亡くなってしまいました・・・。」と。
余りにビックリして涙が全く出なかったけど、電話を切った途端大号泣。
泣きながら妹と祖母に報告。
「ああ、りょまたんゴメンね。やっぱり連れて帰って来れば良かった・・・。」と大後悔。
今まで小学5年生からずっとお家にインコさんがいる生活を送ってきたけど、
どの子も一度も看取ってあげる事が出来なかったので
りょまさんだけは絶対看取ると決めていたのに・・・。
11:30に りょまをお迎えに。
白い箱、その上にキレイなカワイイお花が乗っけられ診察室の机の上に。
そこでは箱は開けませんでした。
「私が土曜日(8月6日)の夜10:30くらいに見に行った時は
頑張っていたんだけど、(日をまたいで)0:30くらいに見に行った時には
もう亡くなっていました・・・。月曜にはママが迎えに来るよ。
頑張ろうね!って言ってたんですけどね・・・。」と先生が仰っていました。
先生もこんな早くに亡くなってしまうとは思っていなかったそうです。
先生は申し訳なさそうに話してたけど、全然ですよ先生。
本当に良くしていただき感謝しかありません。
ただ、お家でもなくクリニックで1人痛みと戦いつつ逝かせてしまった、
看取れなかった後悔がデカ過ぎて先生の前では泣けませんでした。
なのに帰り受け付けの看護師さんが
「りょまちゃんも頑張ったし、〇〇さん(私)も頑張ったんですよ。」と言われ
涙ぐんでしまいました。
この看護師さんは多分、前に りょまさんがお薬を全部吐き出してしまった時に
アドバイスをくれた方だと思う。皆さんには本当に感謝です。
ただ、お宿の看護師さんと男性看護師さんが不在だったので、
「お二方には本当に昔からお世話になっていたのでよろしくお伝えください。」
と伝言してもらい帰宅。
お家に帰って来て白い箱を開けるとガーゼにくるまれた小さい りょまさんがおりました。
元々ちっさい子でしたが、更に小さく見えた。
「りょま、おかえり。頑張ったね。いい子ちゃんかわい子ちゃんえらい子ちゃんだよ本当に。
ゴメンね看取ってあげられなくて・・・。」と頭をなでてあげた。涙が止まらない。
本当に本当に看取ってあげたかった。申し訳ない気持ちでいっぱい。
というか、まだまだ一緒にいられると思ったし、良くなって帰って来ると思ってたのに。
土曜の夜中に亡くなったのか日曜の深夜に亡くなったのかわかりませんが、
私的には土曜日中はがんばってくれたと思いたいので
りょまさんの命日8月7日という事にしようと思いました。
私の誕生日が8月3日で、4日からゴハンが全く食べられなくなった。
りょまさんなりに何か考慮してくれたのかなと思ってしまう。
本当になんて良い子なんだ・・・。
夜、祖母の訪問看護師(小学校中学校高校が一緒だったお友達)に電話した。
今年になって祖母の担当になり、ビックリしたけど
短期間ではあるものの りょまさんの事を可愛がってくれてたので。
物凄い驚いて泣きそうになってた。
色々話聞いて貰い、
「りょまちゃんは(看取れなかった事)責めていないと思うよ。
多分あんたには凄く感謝してると思うよ。
だってあんなに あんたの事大好きだったんだから。」
的な事を言われ泣いてしまった。
後悔の念は完全には消えないけど友に話して少し気が楽になった。
明日、りょまさんを火葬して貰う予定です。
今まで火葬した事なく、いつも花壇の隅に埋葬してきました。
というか、グぅさん(りょまさんのお兄さん的インコさん)の時代まで
火葬して貰えるってなかったと思うのです。インコさんは。
私が知らなかっただけかもだけど。
りょまさんも 埋葬にしようと思っていたのですが、
今までで一番長く生きてくれ、私の側にずっといてくれたので
遺骨を持っていたいなと思ったのです。お守りかわりというか何というか。
後悔の念は完全には消えないけど、
いつまでもウジウジしてたら りょまさんに怒られそうなので
楽しかった12年と約8ヶ月を思い出し乗り切っていけたらなと思います。
よく考えてみたら凄いよなー12歳と8ヶ月。
みんなにも言われる。凄い長い事頑張ってくれたねって。
本当に あんな小さいのに物凄い存在感。
きっと虹の橋で、ルぅさんやグぅさん、そしてグルさんや他の子達もみんな待っててくれるね。
赤ちゃんの頃から体が弱く入退院を繰り返して来たし、
色々大変な事もあったけど、りょまを選んで本当に良かった。
(最初違う子を買おうとしてた。でも、りょまがずっとコッチ見てたので
気になり過ぎて選んでいた子をやめて、りょまさんに決めたのです。)
人見知り王だけど物凄い甘えん坊さん。
りょまたん、本当にありがとね。
これからもずっとずっとずっと大好きよ。
『マーブル』 the PeteBest
長くなってしまいましたが
読んで下さった方、ありがとうございます。
では。