訪問看護師研修2の続きです

 

 

訪問看護師さんの仕事は、もちろん医療ケアのサポートが本業です。しかし、訪問看護師さんとなると、利用者の生活環境を把握しなければなりません。さらに対象者の家族の心情の変化の把握も重要になってきます。きちんと把握していないと取り返しのつかないことになりかねないです。

先ほどは、私の心情をするどい洞察力で見抜き、私と娘の社会参加を上手に繋げてくださった看護師さんのお話をしましたが、次は、反対に悪い例の看護師さんの話をします。

 

 

私も訪問看護師さんを3年程使わない時期がありました。あんなに最初お世話になって、看護師さんの信頼も深く看護師さんという仕事を尊敬していたのに、利用しなかった時期があったのです。その理由は、信頼できないと思う看護事業所と契約してしまったからでした。

東京都の居宅介護支援事業の対象から外れると民間からの訪問看護事業所が入る事になりました。2回目の民間の訪看事業所さんが入った時のことでした。そこの事業所の看護師さんたちは、言葉遣いは、いわゆる常にため口、訪問時間を守らない、利用者の心情を無視した発言をするといった状態でした。中でも特に我慢できなかったのは、10歳も若い看護師さんに、会って間もないのに私に対して敬語を使われずいたことでした。彼女の3回目の訪問で私の我慢も切れ、指摘をしました。すると所長が謝罪にやってきたのですが、そこで所長が私に言った言葉は、本当に耳を疑う言葉でした。「お母さんが、上下関係にうるさい、そういう世代ですもんね。」でした。その言葉で、私はその訪問看護事業所と契約を辞めたました。トップがこれだから、部下もこれなんだと納得し、逆にそんな上司の下で働く彼女たちが気の毒になったくらいです。

皆さんどう思われますか?もし、自分の留守にこのような看護師さんたちに家に入られたら。皆さんは、同じ看護師さんですから、きっと私以上に怒りが湧くと思います。私はこういう性格ですので、嫌な事は嫌と言いますが、在宅が始まったばかりの時でしたら、きっと嫌と言えなかったと思います。なぜなら、当時は、小児の訪看事業所がとても少なかったので嫌でも我慢せざる得なかったことと、訪問看護師さんの仕事を知らなかったので、こういうものなんだと思うしかなかったからです。

このように、本来は介護への負担を軽減するはずのサービスが、サービスの質の悪さというより人格を疑うような援助者からサービスを受けることが、逆に介護の負担へと繋がります。

 

私が、娘が病気と診断ついてから、在宅が始まった心情の変化としてピッタリあったものがありますのでご紹介します。皆さんも看護学校で勉強されてると思いますが、「キューブラーロスの死の受容」です。自分の死を受け入れるまでの段階を心理学で表現したものですが、わが子ですから自分の命と同じような段階を踏んで行きます。

 

第一段階 否認と隔離

第二段階 怒り

第三段階 取引

第四段階 抑うつ

第五段階 受容と希望


私で言うならば、第一段階、第二段階は、まさに外出先での出来事や療育へ行くまでの段階です。後者の事業所が入ったころは、第四段階くらいには来ていたと思います。この全ての段階の時に看護師さんはケアに入ることになりますので、看護師さんのご苦労もよく分かります。しかし、わが子の命が明日どうなるかわからない状態の親の心情は尋常では無くなることも理解してサポートをしていただきたいのです。逆に言えば、利用者の状態が今どの段階にいることが把握できていたら、その心の状態にあった支援に入りやすいということにもなると思うんです。

 ちなみに、私が、娘との現状の生活を受容したのは、娘が13歳になった時でした。ちょうど介護開始から10年が経った頃でした。その背景にあったのは、在宅介護の充実と自分の諦めていたことへの挑戦ができるようになったことだと思います。





 

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うちの在宅がスタートしたばかりの時、今ほど社会福祉資源が整っていませんでした。小児専門の看護師事業所も訪問リハビリの事業所も利用者が選べるほどありませんでしたし、事業所が見つかっても順番待ちと言われることもありました。順番待ちっていわゆる利用者が亡くなるってこと?って思ってすごく悲しくなった記憶もあります。

訪問看護師さんから「スタート」し、訪問リハビリさんが入り、訪問学級が始まり、ついに訪問ドクターが入りました。

写真は、訪問医が治療の点滴をしてくれているところと、娘の足先の横や足のこうからルートを取ってる写真です。娘は、ドクター泣かせの血管ですので、往診が始まる30分くらい前から体を温め、血管を見えるようにしておきます。

訪問ドクターが入る前、大学病院の通院は、往復の道のり、待ち時間から、点滴時間まで入れたら、ほぼ半日はつぶれていました。冬場になれば、風邪をもらいに大学病院に行くようなものでした。肉体的にも精神的にもとても疲れますので、訪問ドクターが在宅で持病の治療をしてくれることは、私たち家族にとって、難病とやっと上手に付き合える環境になれたと実感することができました。

環境が整うと、人生が大きく変わってきます。私はずっと諦めていた二人目の子どもを欲しいと思うようになってきました。残念ながら授からなかったのですが、不妊治療で体外受精までチャレンジしましたので、全く悔いはありません。反対にずっと欲しいと思いながら不妊治療をチャレンジ出来ていなかった方が、私の性格では後悔が残ったはずです。しかし、不妊治療に通うのは本当に大変でした。当時は、先ほどの悪い例であげた看護事業所を切ってから、訪問看護師さんを利用していなかったので、ヘルパー事業所さんや、ショートステイを利用して不妊治療に通っていました。そして、昨年から、再び訪問看護師さんを利用しています。やはり娘の状態が悪化していますので、点滴の交換や排痰などのケアに看護師さんに入って貰った方がいいとドクターに判断され利用することにしました。

 

 

 

 

在宅看護(介護)14年間を振り返って

 在宅開始について、いろんな看護師さんに聞かれることがあります。なぜ、たった3ヶ月の入院で在宅に移行しようという気持ちになれたのか、普通、在宅で医ケアのある子を家で看るのは不安だと何年も病院にいる子が多いのにと。私たち夫婦が、在宅にすんなり移行できた理由は、患者会でした。

私たち夫婦は、娘が難病と分かって直ぐに医師から患者会があることを聞きました。日本でたった100人しかいないと当時聞いていた病気ですから、患者会があると知っただけで藁にもすがる思いでした。この先、どうなってしまうのかという不安と、うちの子はまだ元気でいるからこの先も大丈夫なんじゃないかという期待も含め、診断がついて直ぐに患者会に入会しました。患者会に入会したときは、現実の厳しさにショックを受けました。初めて行った勉強会で、ストレッチャーや車いすで参加してる患者さんとそのご家族と話をすることで、状態が悪くなっても家で生活ができるということを知りました。だから、娘が急変し介護が必要になっても、すんなり在宅へ移行できたのです。そして、在宅になってからは、患者会の先輩たちから、不安なことや介護の軽減の方法などをたくさん教えていただけましたので、介護に対する不安はありませんでした。しかし、患者会の患者さんは全国に散らばっています。同じ地域にはいませんので、患者会に入会しても地域とは繋がりはありませんでした。ですので、療育に通うことは、心の支援にとても大きな影響をもらえました。あんなに嫌がっていた私がいうのもなんですが、今、患者会でも若いお母さんたちに地域と繋がる方がいい、療育へ通った方がいいと言っています。

 

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この家族写真は、娘の中学3年の修学旅行で行った潮来です。スカイツリーの写真は、今年のゴールデンウイークに韓国海苔巻を作って隅田川のテラスへ家族で散歩したときの写真です。

在宅介護14年間を振り返り思うことは、訪問看護師さんの存在の大きさです。あの時、私が視線に偏見を持ったままでいたら、きっとあのまま誰にも心を開かず八つ当たりをし続けていたでしょうし、あの時、療育に通っていなかったら地域で孤独を感じながら、外出をすることを避け続けたでしょう。



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14年前の私は、自分の人生は全て諦めなければならないのだと悲観するだけでした。しかし、訪問看護師さんの支援を始め、在宅介護の環境が整い、すばらしい出会いがあり、私は今、どんなことにもチャレンジが出来るようになりました。

今年に入り、以前から夢であった趣味で始めた韓国語を使いながら韓国料理教室を、娘を在宅で介護しながら自宅で行うことが出来ています。簡単に紹介させていただきますと、私は運営企画をしております。実際に韓国料理を教えるのは調理師免許を持つ韓国人男性です。イケメンです。韓国語や韓国料理にご興味をお持ちの方、ここ一番メモるところです。ご連絡お待ちしています。

おわりに

娘が難病と言われたのが今から16年前です。診断が付いた時、娘は、15歳まで生きられないと言われました。在宅介護が始まった時、子孫も残せない遺伝子を持って生まれた私と娘は、なんのために生まれてきたのだろうと思い悩んだことがありました。そんな時に「人が生まれる意味は長さじゃない、人の人生にどれだけ影響を与えたかってこと、寝たきりの人でも、障害があっても、人の心を動かすことが出来ますよ。」と言ってもらえたことがありました。確かに、友人や知人が娘に会うと「私も頑張らなきゃ」って思った、「唯ちゃんは偉いよ」って言ってくれます。そういう時、私は、娘は何もしゃべらなくても人の心を揺さぶってるんだと思い嬉しくなります。

それから、私は患者会の窓口をやるようになって感じることがあります。子どもが難病と診断されたばかりのご両親は、絶望と不安が手に取る様にわかるくらい動揺しています。そこへきて子どもがあれよあれよと悪くなっていきますから、親としては尋常ではいられません。しかし、1年くらいすると、「あれ、このママさんこんな性格だったんだ」と思う事があります。それが本来の性格なんです。家族の危機は、自分の人格を変えてしまいます。家族の危機から脱っせられたとき、それは障害や環境を少しずつ受け入れ出した時だと思いますが、本当の自分の性格に戻ることができてきます。そして、そこには、訪問看護師さんの力がなくてはならないものだと、私は自分の経験から強く感じています。ここにいらっしゃる皆さんのご活躍を期待しています。ご静聴ありがとうございました。

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