
広島県安芸高田市八千代町土師の土師ダムの湖畔に咽声忠左衛門のお墓があります。
土師の集落は眼前を可愛川が流れているのですが、なにぶん低い所を流れてるので
灌漑用水に利用することが出来なかった。
百姓であった忠左衛門は何とかこの水を土師に引き畑作以外に役に立たない土地を
水田にしょうと、同士を集めて四キロメートル上流の矢櫃に井出を設け
そこから溝によって水を通す計画をたてた。
しかし溝を掘るのに山と川が接する所が多く、岩盤を削って溝を通すことはきわめて困難で
工事は遅々としてはかどらず、同士もだんだんと少なくなっていった。
そしてついに彼一人となり、それでも工事を続ける忠左衛門を人々は狂人扱いするようになった。
その土地の庄屋も不可能な工事と判断し中止を申し渡したが
忠左衛門はあきらめず一人でがんばった
言うことを聞かないので庄屋は怒って彼を捕らえ、手枷、足枷、首枷を罰としてはかせた。
後に手枷と足枷ははずされたが、首枷だけは残されて、ついに忠左衛門は声が出なくなり
人々は彼の事を咽声忠左衛門と呼ぶようになる。
それでも溝を掘るのをあきらめず、一人黙々と仕事に励み
その姿を聞きつけた南方村の庄屋が応援を引き受け、ついに溝は土師までつながり
水がやってくるようになった。
その後、忠左衛門は義農として崇められ、咽声神社も建立された。
この咽声忠左衛門のお墓は土師ダムが出来るときに移築されたものらしい。

お墓の近くにある、咽声神社(だろうと思われる)

咽声忠左衛門の由緒書き

比較的新しいお墓です。
これだけすごい偉業を成し遂げた人なのに知名度はあまり無いですね。
私も民話とか伝説が書いてある本で初めて知りました。