最近 神社とかをお参りする事が多く


また山とかに行くと不思議なモニュメントとか石柱だとかいわくありげな物を発見するので


本図書館で、広島の伝説だとか地域の歴史を書いてある本を借りてきて読んでます。かお


その時に借りてきた「安芸の伝説」によると、以前「首なし地蔵」として紹介したお地蔵さん。


$ありんこの自然観察日記-首なし地蔵


この本によると、広島県東広島市安芸津町風早から大田への近道の宇井坂峠に


「首なし地蔵さん」がある と 書いてある。えっ


そういえば県道353号線沿いにある案内板には


首なし地蔵まで500mと書いてあったのに


目の前に見えてるよ。あせる


もう少し標識をしっかりしてほしいなぁメモ


ちなみに後ろの林の中に亀山神社があります。


$ありんこの自然観察日記-首なし地蔵

案内板付近から首なし地蔵らしき祠を望む。


なので、もう一回調べに行ってきました。


結論


大田小学校付近から先を調べてみたのですが、それらしき物は発見できず。


今帰ってきてからyahooの地図で調べてるけど、もしかしたら


北方面に行くのではなくて、東側の狭い道を登るほうが正解だったかも


その道だと風早から大田への近道と呼べる道のような気がしてきた。


今度 近くを通った時にその道を通ってみよう。パー


$ありんこの自然観察日記-首なし地蔵

首なし地蔵かもしれない祠


$ありんこの自然観察日記-首なし地蔵

こんな風に地蔵大菩薩と崇められてるので、これではないかと思ったのだけれども・・・


$ありんこの自然観察日記-首なし地蔵

三体のお地蔵さんが祀られています。ニコニコ


どちらにしても今の段階では断定できず。


地元の人に出会う事無く、聞くことが出来なかったのは失敗ですね。


首なし地蔵の由来


寿永四年(1185)平氏が壇ノ浦で滅亡した頃、平家の武将 悪七兵衛景清 が東広島市


西条町に逃れて、国分寺や福成寺の勢力を借りて再興を図ったが、源氏方 源範頼 の征西軍


の猛攻に敗れ、福成寺から山道をとって大田の宇坂山に落ちのびて篭城した。


景清は信仰心が篤く、数度の合戦で討ち死にした一族の菩提を弔う為に


峠に堂宇を建立し、この地蔵を祀った。


景清はこの地で生涯を終えたということらしい。


私は道端で昔のお地蔵さんを見かけることがあるのですが


たまにここだけではなく、頭が無いお地蔵さんを見かける事があります。


昔のお地蔵さんの頭が無いのは、当時の武士の風習として


お地蔵さんで試し切りをしたらしいです。


景清は武運の占いの為に峠の地蔵さんを試し切りにし、その首を落としたといわれている。


でも、自分の一族を祀ったお地蔵さんの首を斬るとは考えにくいので


この説は私はどうだろうかと思いますが・・・パー


悪七兵衛景清の伝説として、白ツバキの根に景清の軍資金が隠されてると伝えられているが


昭和十一年に赤ツバキの数珠に抱かれた素焼きのかめがあらわれ、骨や刀・唐銭などが出土した。


景清の骨壷だったのだろうか。はてなマーク


首なし地蔵さんは 所願成就 諸病平癒 特に眼病に霊験があると伝えられています。