私は公園に付き添うのが大嫌い
息苦しさを感じてしまいます
理由は全て自分発信です
普段から着飾る余裕がなくて
ダサい自分が恥ずかしい
他のお母さん方と仲良く喋れなくて
ぼっちな自分が恥ずかしい
息子はいじめられていないか
お友だちと仲良くしているのか
気になってしまうことも多くて
早く帰りたいと思います
息子が楽しく遊んでいるから
息子のささやかな幸せを願って
早く帰りたい気持ちが発動して
しんどいのに私は帰りません
子どもが生まれる前なんて
育児をすると公園に付き添い
先ほど書いたような
帰りたい心境になるなんて
息苦しさを感じるなんて
想像すらしませんでした
よくのおうちの教育と
うちの考えが違うときもある
息子が倒れて泣いているので
息子の側に近寄ると
息子をつき飛ばした男の子が
謝っているから許せという態度で
ごめんねって言ったと正当化し
何度も繰り返し訴えてきます
謝ったから相手を許せるなんて
人間の心は簡単ではありません
泣いている息子を見て別な子は
嘘泣きだと思うと非難します
どう見ても本当に泣いていて
嘘泣きではありませんでした
嘘泣きだと非難する子に
なぜ嘘泣きだと言うのかと聞き
しばらく子どもたちと話したら
この程度で泣くなんてと思った
この程度で泣くことに対して
その子の基準で許せないのです
息子のお友だちは泣くことを
保護者が決めた基準で我慢し
たいしたことがない程度なら
禁じられているようでした
日本人にありがちな教育は
泣くことを禁じ我慢させます
この程度で泣かないと大人が
泣きそうな幼い子どもに言い
泣きたい子どもの心を操作して
泣かないように促す人がいる
泣きたいときに泣けないとは
幼少期に随分と冷たい教育です
哀しいから泣きたいのに
泣きたいときに一番やさしく
抱きしめてもらいたい相手から
泣くことを禁じられるなんて
冷静に考えると精神構造が歪み
心が折れ寂しさが残ります
泣きたいときに泣く子を見たら
嫉妬心が沢山出たことでしょう
子どもは養育者や保護者が大好きです
愛されたくてたまりません
泣くことを禁じられ
泣かないと誉められたら
条件つきの愛情をもらうことになり
誉められたくて、泣かないでしょう
本当は泣きたくてしょうがない
やさしくしてもらいたちのに
嫌われたくないから
泣くのをこらえます
厳しい現実ですね
大人になったら更に
上記の癖が強くなり
泣きたいときに泣けないどころか
哀しい気持ちさえ封印してしまい
不満やイライラが多くなったり
被害者意識が高まることでしょう
泣かなかったら偉いと誉めて
泣くと甘ったれと非難します
大人は、自分の子が泣くと困り
泣き声が迷惑になると気を遣う
泣くことを禁じる声かけを
保護者都合で言うみたいです
社会や風潮があるので
人目を気にしてしまう
大人の暗黙のルールで
泣く子はうるさい、迷惑だと
公共の場所は厳しくて私も
プレッシャーになりました
育児中の大人ひとりひとり
感じ方や教育方針は違うため
正解、不正解の意見は様々で
性格も様々、終始がつきません
息子に嘘泣きだと言った子は
死ぬほど痛いの?と聞きました
人は死ぬほど痛くなければ
泣いてはいけないのでしょうか
死ぬほどの痛みを知っているので
例え冗談でも私は笑えません
死ぬほどの痛みを知らない方には
冗談が通じない大人に私が見え
発する言葉ひとつとっても
受け手の感情は様々です
そんなつもりで言っていないと
噛み合わないこともあるでしょう
私は知らない人に襲われ殴られ
口から血を流し死にそうでした
私の弟は交通事故に遭い
死ぬほど痛いときは既に
外傷から身体の内側も弱り果て
生きることができなかったです
痛いから泣くのは当たり前
思うがままに泣くことを
嫉妬の目で見る子もいます
乱暴な振る舞いをする子を
叱らない、気づかない親もいる
分かり合えない意識の中で
様々な子どもたちが遊び
トラブルがあったり、
楽しく笑ったり
仲良くなったり
モヤモヤしたり
いろいろある
謝っているから許されると思う
懲りない人や子に謝まられても
またかと更に怒りが込み上げ
すぐには許せないと思います
哀しい、泣く、の感情が増え
相手に怒りや怨みを抱くもの
大人も子どももされたことは
しっかり覚えているものです
一緒に遊ばなければいいのに
それでも子どもは遊びます
不思議ですね
全部私自身の内側の問題で
息子を始め誰も悪くない
こんな私でも何とか今も
公園に付き添えています
