今日、とある本を読んでいたら、大阪の南港で釣りをしている

場面があり、南港に釣りに行ったことを思い出しました。

 

もう26年前になりますが、住んでた千里から、新御堂を南下し、

阪神高速に乗っていった南港の海釣り園だったか。

小学生だった娘も一緒に釣りましたが、

ここでは小さな魚しか釣れなかった記憶があります。

 

そして和歌山にも行きました。

吹田インターから中環で松原インター経由で和歌山道を

走り和歌山へ。もう道路も変わったことでしょう。

行ったのは、少し前に有名になった雑賀崎ではなく、

和歌山築港だったか?もう忘れました。

妻のお友達夫婦と一緒に行って、釣りをしてからバーベキュー。

ここでも雑魚しか釣れなかった。

 

大物を逃がしてしまったのは泉佐野の魚港での太刀魚釣り。

たぶん場所はこのあたり。Google地図より。

 

漁港の防波堤で、太刀魚釣用の仕掛けと、釣りあげた時の

鋭い口をもつ太刀魚の口に手を食われないように準備した

大きなペンチのような金具を持っていきました。

しばらく釣れないので、ぼーっとしてたら

防波堤に置いていた竿が海中に飲み込まれてしまったのです。

竿が飲み込まれる際の速いこと、ビックリしました。

太刀魚の姿が見ていないのですが、これは太刀魚が

かかって竿が持っていかれた、と今でも固く信じているのです。

 

実は、自分は大物を釣り上げたことは多くありません。

30cmを超える魚を釣ったのは、河口湖でのブラックバスと、

震災前に相馬港の沖防波堤で釣ったドンコくらいのものです。

河口湖のブラックバスは、入漁料をとられなかった30年くらい前だったか、

早朝、河口湖大橋のたもとの産屋ヶ崎とか八木崎公園の近くの

浅瀬でもよく釣れました。周りにいる釣り人が誰も釣れてない中、

自分だけ釣れるのは単純にうれしいものです。

みんなこっちを見ていて、竿を持って近づいてくるのです。

こっちにバスがいる、と思って。

 

そして、相馬港の沖防波堤にいったドンコ釣りは、海の中に

ある防波堤まで小さな船で送ってもらい、釣った後

また船に迎えにきてもらう方式です。

トイレもないただの防波堤です。

テトラポットの間に潜むドンコは誰がやっても入れ食い状態で、

たくさん釣れましたが、東日本大震災の4年くらい前だったかと思います。

震災でこわれた沖防波堤も新設されたようですが、津波を考えると

もうここに釣りには行けませんね。

 

太刀魚に続いて、大物を逃がしたのは、うちから近い荒川です。

これも30年くらい前だったかもしれません。

荒川には鯉がいるので、早朝釣りに行って護岸に釣り竿を2,3本

並べて立て、かかるのを待っているだけなので、普通はヒマなのです。

10回目くらいの日だったか、いつものように針がいっぱいついてる

仕掛けにダンゴをセットして投げて、待っていると

1本の竿が倒れたのです。

おっと、きたなと思いリールを巻くと、大きな手ごたえあり。

巻いて巻いて、あと2mくらいまでになると、

1mくらいの暴れる鯉が見えたのです。

ところが、その時はタモ網を持っていなかったのです。

そのままリールを巻いて、あと数十cmくらいになった時、

糸がプッツン!

ということで釣り上げることはできませんでした。

家に帰って、この話を妻にしたら信じてくれません。

「逃がした魚は大きい」なんて、笑っていました。

悔しくて、その後タモ網を買って、同じ場所に釣りに

2、3回行ったのですが、釣れることはありませんでした。

たとえ釣っていたとしても鯉は臭くて食べられない、

という話を聞いたので、鯉釣りは辞めることにしたのです。

 

ことわざ通り、太刀魚も鯉も、

「逃がした魚は大きい」ということでしょうか。