以下、古くさい本の話なので興味のない方はスルーして下さい。

少し前に、学生時代の人たちとのLINEを見ていたら、

学生時代のことを思い出してしまいました。
それは、柴田翔さんが書いた「されどわれらが日々」です。
学生寮にいた頃、話題になってたこの本を読んだのか、
読まなかったか、記憶が曖昧だったため、読もうと思い図書館で

検索したら、芥川賞全集の一部にあったので借りてきたのです。

古臭くもあり、黴臭くもあった本でした。(笑)




この作品が、第51回芥川賞受賞作とは知りませんでした。


何という難しい文章が続くのかと思い、途中読むのをやめようか
とも思ったのですが、中ほどから面白くなってきました。
柴田翔さんは東大卒で、東大の教授にもなられた文学者なのですから
自分のような者が評するのは畏れ多いのですが、
まあ文体は難しい。ほぼ60年前の本だから、なのかもしれません。

この本が書かれた時代は、日本で学生運動が盛りになる前の
昭和30年前後のようですが、自分が学生時代を過ごした昭和40年代
の終わりの頃には学生運動は終盤に差し掛かっていました。
1969年(昭和44年)の東大安田講堂事件、1972年(昭和47年)の

浅間山荘事件は覚えているし、学生寮に住んでいたので、

学生寮の自治問題とか政府批判の内容は否応なく考えさせられた

環境にあったためかもしれません。

この本に出てくる主人公:大橋とその婚約者:節子をめぐる高校生時代から
東大を経て卒業までの若い時の日々がつづられています。
小説の文学的な価値なんてわかりませんが、誰にもある若い頃には、
楽しい想い出の他、苦い思い出や間違い、男と女いろいろあるものです。
この本の時代は、自分の学生時代の20年くらい前の話ですが、

自分にとっても、若い頃は懐かしくもあり、ほろ苦くもあり、
今は、「されど戻らない日々」であるとも思ってしまうのでした。

この本の中には、古い言葉がいくつか出てきます。
「国電」や「汽車」はいいとしても、
BGとか「宮城前広場」というのが出てきます。
BGは、Buisiness Girlの略でOLの前に言われていたようです。
宮城は”みやぎ”ではありません、”きゅうじょう”と読み、
戦前まで皇居のことをこう呼んでいました。
ずいぶん前に、自分の父親を車にのせて首都高環状線の代官町のあたりを
通った時に、父から「ここは宮城(きゅうじょう)か?」と言われました。
その時、「左手は皇居だよ」と話しましたが、その時初めて昔の人は
そう呼んでいることを知りました。

 

そして、昭和30年当時は女性は結婚してご飯をつくるだけ、とか

”女の子”とかいう、今では差別語のようなのが普通に出てきた時代

だった、というのも再認識してしまった次第です。

本とは関係ありませんが、ネットで柴田翔と検索してたら、櫻井翔が

自分の名前の由来について、「母親が柴田翔の大ファンだったので、

”翔”と名付けられた」と書いてありました。
一昨年の日テレ番組で、櫻井翔本人が語ったそうです。

この全集の2作目 第53回芥川賞受賞作 「玩具」も続いて
読んだのですが、これが面白い。
「されどわれらが日々」が難しく書かれているのは本人の趣味(笑)かもしれない。
津村節子さんという方が書いたのですが、同じ作家である吉村昭さんが夫で、
「玩具」に出てくる夫:志郎は夫がモデルのようですね。
吉村昭さんの本も1冊くらい読みましたが、船か海に関する本だったような。
何だったか・・忘れました。
 

ネットで検索したら、柴田翔さんも津村節子さんも御存命のようです。

お二人に感謝して、おしまい。