1998年には大阪から埼玉に戻り、応援は聖地駒場スタジアムへ。

 

浦和駅で降りて、東口から細い道を歩いて、中華料理屋やコンビニの

ところを通って、よく歩きました。

歩きながらビールを飲んだりしてましたが、試合のある日は

その道沿いには店も出ていました。

 

駒場も運動公園内にある陸上競技場なので、トラックがあって遠い。

 

昼の試合の開始前はのんびり。

 

2001年3月の試合の写真です。

開幕戦かもしれません。

これが、バックスタンドの立ち席の雰囲気をあらわしています。

2列の立ち席もいっぱい、応援旗が少し邪魔だったり

背伸びしないと見えないとかありましたが、それでも生観戦には

テレビにはないリアル感、楽しさがあります。

大きな応援やヤジも聞こえ、その場の匂いや雨や風も現場ならではです。

 

自分たちもこうして観戦していましたが、

いつだったか、80歳を過ぎたおばあさんが、同じ手すりにつかまって応援していました。

聞いたら、孫と一緒にきたとかで、その後も2回くらい見かけました。

年をとっても、サッカーに興味を持ち観戦する姿、今でも忘れません。

 

そして満員のスタンド。

 

1999年にはJ1から足を踏み外して、翌2000年にはJ2で。

主力選手もサポーターも、ほとんど留まった

浦和の団結力には驚かせられました。

マッチデープログラムは、その都度買いましたが

少し前に少しスキャナでコピーして、すべて廃棄しました。

これはスキャナでとっておいた表紙。

 

”クレイジー”ペトロヴィッチと一緒に小野伸二も載っています。

ペトロヴィッチの本名は、ゼリコ・ペトロヴィッチです。

イエローもらう、とか熱血感ペトロヴィッチは面白かった。

ベギリスタイン、ポンテなど、うまい職人もいました。

 

今ではあまり聞かなくなった選手の応援歌、この頃たくさんありました。

げっとごおおる ふくだー!

おかの おー、 おかの おー

おーしばけんじー ごおーるー

もうだいぶ忘れました。

 

持っていくカメラの性能が上がると、こんな写真も撮れました。

こりゃ、負けた試合の終了後の挨拶ですね。

福田が下を向いています。

移籍したばかりのエメの姿や、若い頃の啓太も。

 

でも勝った時には、試合後もレプリカ・ユニフォームを着たまま、

旗を持って意気揚々と帰りました。

浦和駅のホームで妻と。

 

自撮りできなかったこの頃、この写真は誰かにとってもらったのかなあ?

すっかり忘れてしましました。