今から60年くらい前の釣りを想い出しました。

 

それは、父に連れられていった相馬の大洲海岸。

 

現在は、東日本大震災で一部の道路が流されたものの

復旧しましたが、この3月の地震によって

まだ一部通れないところがあるようです。

 

以下は、2018年に相馬に行った時の写真です。

遠く鵜ノ尾埼灯台が小さく見えます。

 

釣り人もいました。

 

この松川浦大橋ができたのは、1995年とネットに書いてありましたが、

 

 

この写真からさかのぼること60年近く。

福島原発もできてなかった頃です。

昭和30年代の大洲海岸の道路は、巾3mくらいの砂利道でした。

それも轍というか、掘れた穴のようなのがいっぱいで、

自転車が難儀するような道路でした。

私は父の乗る自転車の後ろに乗せられ、兄は小さな

自転車を自分でこいで、ついていくのが大変でした。

 

大洲海岸には南の方の磯部集落の方から入って、

中ほどあたりだったか、しばらく行ったところなのか

小さな自分にはずいぶん遠く感じられました。

 

その砂利道から海岸までは数十mくらいだったか、

小さめの松と、うっそうとしげった笹をかきわけて海岸に

向かう途中では、カニがするすると逃げていったり、

風で笹がすれて音がしたり、笹で自分の足を切ったり、

海藻や貝の饐えた匂いの入り混じる今でも何とも懐かしい

風景や匂いなど、忘れることができません。

 

海岸に出ると、釣りの準備です。

エサは塩漬けの袋ゴカイ(というこかどうかわかりません)で、

大きな錘をつけて投げます。

先ほどの写真の釣り人のように、2本の竿を立てて待っていると

いうこともありましたが、基本は1本の竿を手に持って

あたりを待つ、というやり方でした。

獲物は、主にイシモチです。

たまにスズキやエイが釣れることもありました。

イシモチはそれほど大きくはありませんでしたが、スズキは大きかった。

そしてエイの尻尾には針があって気を付けなければなりません。

 

釣り道具は、いま自分が持っているこんなリールではなく、

 

父は指で回すこんなリールも使っていました。

自分で書いたイメージですが、これは父が買ったのか自分で

作ったのか、亡くなってしまったので聞くこともできません。

 

当時、クーラーボックスなんてのはなかったので、

少しひんやりした海水が染み出てくるまで砂を深く掘って

そこにイシモチなどを入れていました。

母が作ってくれた、シソの葉をつけたおにぎり、

一本丸ごとのきゅうりの漬物をかじり、夏には畑でとれた

とうもろこしやトマトを潮水で洗って食べると、

塩味がきいていて、美味しかった!

 

その後、父がバイクを買ってからは、夕方から夜釣りに

行ったとか、今では懐かしい思い出です。

 

たまに、スーパーでイシモチが売っている(あまり売ってませんが)と、

買ってきて塩焼きやお吸い物にして、当時を懐かしんでいます。