前々回の記事、「・・その1」では、

「生まれつき持っている性格は、存在しない」

「どんな性格も、相手や場合によって変わる」

「性格は、”「こうあるべき」パターン”によって決まる」

という、性格の正体について、書きました。



前回の記事、「・・その2」では、

「性格という概念が、人生の問題解決を防げることもある」

「性格を「良い」「悪い」で判断する絶対的、客観的な基準はない」

「過去からの視点ではなく、未来の視点から考える」

という内容について、書きました。


今回の記事では、

具体的な対策について、書いていきます。


~ざっと読むための見出し~

1.時間のとらえ方を、考えてみる
2.環境を変えれば、行動パターンも変わる
3.個人の性格と、集団の性格、現代を生き抜くのに必要なこと



1.時間のとらえ方を、考えてみる



時間のとらえ方は、

「こうあるべき」パターンと、

 

思考や行動の傾向を、

考える上で、とても重要です。


私たちは、普段から、

「時間は過去から現在へ、さらに未来へと流れている」

と考えています。

何の疑いもなく、普遍的なことだと、

そう思っています。


しかし、

約100年前に、アインシュタインは、

光の速度こそ、一定であり、

時間の流れる速度は、観測者によって、

変わると証明しました。

有名な一般相対性理論ですね。


私たちが、普遍だと思っている時間は、

既に、普遍ではないということが、

世界一有名な科学者によって、証明されています。




「時間は過去から現在へ、さらに未来へと流れている」

という考え方は、

実は、アンティークな西洋の価値観に、

基づいています。


この考え方は、

広く一般的に浸透していますが、

決して、誰かが証明したわけでも、ありません。

安心して頂くために、

私も、ここで、新たな主義主張を展開しようと

している訳ではありません。


新たな視点の考え方で、

時間を捉えると、

自分にとって有利なことが、

たくさんあるということを、

お伝えしたいだけです。


さて、話を戻して、

西洋に対して、

東洋のアンティークな世界観では、

「時間は、未来から現在へ、さらに過去へと流れる」

とされています。


どちらが正しいということではなく、

どちらのとらえ方の方が、

私たちにとって、

有利かという視点で考えたいのです。



 


「時間は過去から現在へ、さらに未来へと流れている」

つまり、

「過去の延長線上に未来がある」

と考えると、

人は、過去に囚われたままになってしまいます。

過去の記憶に基づいた、

「こうあるべき」パターンに囚われ、

本当は、自分自身は、変化しているのに、

それを認めることが、

出来なくなります。

無意識のうちに、

過去の自分もダメだったから、

未来の自分もダメだろう、

と考え、

その考えにふさわしい、行動をしてしまいます。


しかし、時間のとらえ方を、変えれば、

こうした認識も変わります。


例を挙げて、考えてみましょう。



少し遠いところにあるスーパーで、

特売品が売られていることを、

チラシでみました。

特売品を買うために、行ったとします。

しかし、着いた時には、既に行列。

急いで走って並んだものの、

直前で売切れてしまいました。

「わざわざ遠くまで来て、

並んだのに、がっかりだ。ついてない」

という悔しい思いを、抱えたまま帰路につきます。

遠くまで来たので、

少し休もうと、

途中にあった公園のベンチに腰かけて、

スマホを見ました。

なんとなく、

売切れだった特売品を、

ネットで検索したところ、

先程のスーパーよりも、安く売っている

ネットショップを見つけました。

「ラッキー!スーパーで買えなくて、

良かった!」と思いました。


ネットショップに、

同じ物が安く売っていたことを

見つけた瞬間に、

最初は、「がっかりだ。ついてない」と

思った出来事が、

「ラッキー」な出来事に、変わったのです。




「未来が過去を作る」

という分かり易い例です。

「未来によって、過去が変わる」

とも言い換えられます。



もう一つ、典型的な例が、

学校での進路指導です。

受験する志望校を、

決める際に、

「今までの成績が、こうだったので、

受験する志望校は、このくらいにすべき」

という考え方が、多いはずです。

しかし、

「この学校に行きたいので、

今までの成績では、足りない。

この学校に行くには、

これだけの勉強が必要」

と考えた方が、

望ましいはずです。


「過去の延長線上に未来がある」

と考えると、

未来は、とても限定的な、

限られたものになってしまいます。



時間のとらえ方を変えて、

これから来る「より良い未来」を

想定し、

そこから逆算して考えれば、

どんな現在も過去も、

「より良い未来」を作る為に、

必要な出来事に、変わります。




実際に、

成功する人は、

どんなジャンルの人でも、

このような捉え方を、

している人が多いです。


過去の自分の「性格」に

気に入らない部分があったとしても、

「より良い未来」を想定し、

そこから考えると、

むしろ、そんな性格だったのは、

ラッキーだったと、

変わるはずです。


「より良い未来」とは、

ゴールとか、目標と、

置き換えてもらうと、

分かり易いと思います。


クライアントさんに対しても、

必要な場合に、

このとらえ方を、

お話ししていきますが、

すぐに受け入れられる方と、

なかなか、受け入れられない方に、

分かれます。

どちらかと言うと、

後者が多いかもしれません。

ここでは、

このような考え方もあるのだと、

知っておいて下さい。




2.環境を変えれば、行動パターンも変わる



今まで、書いてきたように、

性格と思っている

私たちの、自己イメージは、

今まで関わってきた、

自分のまわりの人と、

自分を比べて、

自分に貼ったレッテルのようなものです。


自分は、暗い性格だ、

と思っている場合、

単に、

家族や友人と比べて、

自分のものの考え方や、

行動がネガティブだと感じている、

とか、

自分と、自分の周りの人の行動を見て、

誰かが、「暗いね」と

言ったということから、

自己イメージが出来上がっている場合が、

多いのです。


ここで考えられるのが、

「環境を変える」というアプローチです。


自己イメージや、

「こうあるべき」パターンに基づいた

思考や行動の傾向は、

環境、

特に対面している相手や、

一緒にいる相手、

の組み合わせによって、決まってきます。


頭の中にある、

無数の「こうあるべき」パターンは、

その時の環境や、

置かれている状況に応じて、

「このような場面では、

このように行動するべきである」

「このタイプの人に対しては、

このようにふるまうべきである」

といった決定を下すのです。


多くの人が、

家族の前と、

職場では、

異なる行動の傾向を取るのは、

頭の中の、

無数の「こうあるべき」パターンに基づいて、

「家族の前では、こういったふるまいをするべき」

「職場では、こういったふるまいをするべき」

と判断しているからです。

上司の前と、部下の前で、

態度が違う人は、

「上司の前では、低姿勢にふるまうべき、

部下の前では、強気にいくべき」

という「こうあるべき」パターンが、

出来上がっているということです。


このように、

私たちは、相対する環境によって、

無意識に「こうあるべき」パターンを、

使い分けているのです。


ですから、

環境が変われば、

「こうあるべき」パターンの選択も変わり、

自ずと思考や行動の傾向も、変わります。



例えば、

「すぐくよくよしてしまう自分」に、

悩んでいる人は、

振り返ってみてください。

いつも、24時間365日、くよくよしているでしょうか?

それとも、

「この人と一緒にいると、なんかくよくよしてしまう」

「このような場面だと、いつもくよくよしてしまう」

など、特にくよくよしてしまう状況は、ありませんか?

逆に、

「この人といるときは、あまりくよくよししない」

「この場面なら、あまりくよくよしていない」

と思うことは、ありませんか?


もしも、

特にくよくよしてしまう環境があるなら、

そこから出来るだけ遠ざかることを、

考えていきましょう。


一番良いのは、

まったく違う環境に住んでみる、

特定の友達が問題ならば、

距離を置いてしまうのが、

望ましいのですが、

すぐには出来ない場合も、

あるかもしれません。


であれば、

新しい知り合いをつくる、

新しい場所に行ってみる、

など、

環境を変える為に、

今、出来る範囲のことから、

始めてみるのが良いでしょう。

くよくよしないでいられる人と、

過ごす時間、

くよくよしないでいられる場面を、

増やしていく努力が、

大切です。


本当に、

思考や行動の傾向を、

変えたいと、思っているならば、

ときには、

大きな変化に挑戦することも必要です。


3.個人の性格と、集団の性格、現代を生き抜くのに必要なこと



私たちが「性格」と、

思っていた、

「こうあるべき」パターンに基づく、

思考や行動の傾向は、

個人に限ったことでは、ありません。

県民性、国民性、

などど呼ばれるものは、

集団の「性格」にあたります。


日本の国民性として、

よく言われるものは、

「礼儀正しい」

「秩序を重視する」

「従順である」

「他人の目を気にする」

「白黒をはっきりさせない」

「優柔不断である」

「自己主張をしない」

「生真面目である」

などが、挙げられます。

これからは、

古来から日本に入ってきた、

宗教、文化、

そして、

日本の地理的条件から、

培われたと言われています。


この辺の詳しい背景については、

別の機会に譲るとして、

この日本の国民性の、

良い面、悪い面について、

少し考えてみます。


性格の評価には、

絶対的な基準は、

ないと分かったように、

物事には、

常に、光と闇、

プラスとマイナス、

の側面があります。



マイナスの面としては、

「従順さ」が、

権力に対する無抵抗ぷり

などに、現れるなど、

諸々ありますが、

ここでは、

プラスの面に、

目を向けていきます。





「白黒をはっきりさせない」

「優柔不断である」

などは、

マイナスな面として、

批判されがちです。


たしかに、


「YES/NO」が、

はっきりしている欧米や、

大陸の人達からすれば、

理解できないのかもしれません。


これに関しては、

やはり日本の地理的条件が、

影響を与えていると思うのです。



島国であった日本には、

古来、外の世界から、

さまざまなモノが、

持ち込まれてきました。

学問、知識、宗教、文化、品物、、

さまざまなモノが、

さまざまな国から、

持ち込まれてきました。


その時々に、

見たこともないモノ、知らないモノ、

が、持ち込まれ、

外の国の事情も、よく分からない、

その為、

それらの良し悪しを、

すぐに評価できなかったのでないかと、

と思います。

そして、

その中には、

取り入れたり、使ってみたりしたら、

意外とよかった、というモノも、

たくさんあった訳です。


こんな背景から、

何事に対しても、

すぐに評価を下さず、

全面的に受け入れるでもなく、

否定するでもなく、

なんとなく、

とりあえず、やんわりと、

受け入れるという、


「こうあるべき」パターン、

思考や行動の傾向が、

生れたのではないか、

と思うのです。


そして、


宗教に関しても、

キリスト教や、

イスラム教など、

唯一絶対の一つの神が、

支配する宗教とは違い、


日本は、

古来から「八百万の神」

という多神教の神を、

親しんできました。



「優柔不断」

という言葉は、

優しく、柔らかい、

と書きます。


これまで書いてきたように、

性格には、

これが絶対だ、

これが正しい!という

基準は、ありません。


同じように、

物事にも、

絶対正しい、

絶対に良い、

と言い切れるものは、

ないと言って良いと思います。

必ず、両面の側面があります。


この点で考えると、


優柔不断であるということは、

視点が複数あり、

成熟した考え方の証でも、

あると考えられると思うのです。


もちろん、

その考えも

良い面だけではないわけです。



ちなみに、

こうした日本人の

思考や行動の傾向は、

言語にも現れています。


英語は、

主語の後に、

すぐに述語が続き、

結論がすぐに分かります。

これに対し、

日本語は、

最後まで聞かないと、

動詞と結論が、

分かりません。

さらに、英語では、

必ず主語が必要ですが、

日本語では、

「私は」

「私が」

という主語は、省かれがちです。

「私」を前面に出さなくても、

成り立つように、出来ているのです。



このような日本人の

思考や行動の傾向の中でも、

もう一つ美徳だと

思うものが、

「利他的である」

ということです。


これも、


入ってきた宗教や文化、

島国という環境の中で、

狭い集落内の人間関係が、濃密な分、

自分の利益だけでなく、

集落全体の調和や利益を、

優先させる必要があった、

などの背景から、

培われたのかもしれません。


もちろん、

こうした「利他的である」

という傾向が、

支配者に都合よく、

利用されきたという

マイナスの面も、あると思います。

少なくなったとはいえ、

未だに、

会社の為に命をささげる、

という意気込みで、

倒れるまで働く人が、いることも、

この影響かもしれません。



近年は、とくに、

個人主義の傾向が強まり、

自分だけの為にだけ生き、

自分と自分の家族の為にだけ、

働くという人の方が、

急激に増えてきていると、

感じるのは、

私だけではないと思います。



たしかに、

支配者に縛られたまま、

奴隷のように働いて、

終わる人生は、幸せだとは思えません。

一方で、

自分のことだけを考え、

自分の為だけに生きるのも、

やはり真の幸せとは、思えません。



「みんなが、自分の為だけに生きる社会」

「みんなが、他人のために生きている社会」


極端ではありますが、

少し、想像してみてください。

どちらの方に、

より幸せな感覚を覚えるでしょうか。



性格という概念が何なのか、

実態を知らないまま、

振り回されるのではなく、

自分の思考や行動パターンは、

何によって、規定されているのかを、

見定めること。


そうして初めて、

自分にとっての、

「本当の幸せ」は、

何なのかを、考える一歩が踏み出せます。


『自分の人生のコントロールは、

決して過去の記憶や、

他人に渡さずに、

しっかりと自分でコントロールしながらも、

利他の精神を失わない。』


それが、

現代社会を、

”強く優しく生き抜いていく”うえで、

大切なことだと思うのです。


最後まで読んでくださり、ありがとうございますm(  )m


このブログへの想いを、
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最後まで読んでくれた方に、

私と同じ思いで、

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