マシューマテゴは、パリで活躍した、多才なハンガリー出身のデザイナー、建築家、芸術家、アーティストでした。 

 

マテゴはフランス軍の志願兵として戦場に赴きますが、ドイツで囚人として拘禁されてしまいます。

しかし捕虜収容所での経験はマテゴが革新的な素材と技法を生み出すことになるインスピレーションを得る重要な時間となりました。

 

マシューマテゴ

 

 

彼はのちにその素材と技法にリジトゥールという名前をつけます。

リジトゥールとは金属製のチューブと穴の開いた金属板を組み合わせて設計する技法のことを言います。

織物のように折り曲げ、そして折り畳むことで、透明性と近代性をデザインした家具を作ることができるようになったのです。

 

 

リジトゥールが使われた家具

 

マテゴはリジトゥールの特許を取得し、作品作りを本格化させます。

 

1950年から10年半の間、彼は家具やインテリアのデザインに専念し、幅広い独特のデザインを生み出します。

 

そしてマテゴは自身の工場を2つ設立します。

1つはパリに設立され、2つ目はモロッコのカサブランカで従業員たちは汗を流しました。

両方の工場では限定400点で家具が製造されましたが1960年に入るとマテゴは突然生産を終了し、タペストリーの仕事に専念することになります。 

 

マシュー・マテゴはタペストリーとメタルの家具作りを
していたインテリア・デコレーターです。

 

彼のバイオグラフィーを読んでいると
1950年代前半(40代の頃)が家具作りで
一番のっていた時期だったようです。

 

マシュー・マテゴの家具作りの工房はモロッコの
カサブランカの近くにありました。
ただ1956年にモロッコがフランスから独立したのを
機に工房を閉めざるをえませんでした。

そのあともいろいろとあったようで
1959年には今後は一切、家具作りはしないと
決めます。
それ以降はタペストリーに専念することになります。

 

形が斬新で今みてもかっこいいマテゴの家具たちは
ほんの短い期間しか作られていないので
貴重です。

 

トレイもつくられていました。




 

ブックシェルフ


 


マシューマテゴのマガジンラック

 

 

 

コパカバーナという椅子 (1955年)