去年はあまりにも悲しいことがありましたが、
今年はとても嬉しいことがありました。
赤ちゃんが帰ってきてくれました。
そしてなんとか、生まれてきてくれました。
今年に入って治療を開始しようと思いましたが、生理が来ず。治療がしたいのになぜ来ないのかとイライラ。生理予定日から1週間後に検査薬を試したところ、本当に薄く陽性。多嚢胞の卵巣の位置が痛くて、化学流産か子宮外妊娠だと思い、泣きながら不妊治療クリニックを予約しました。
受診日は生理予定日から2週間は経ってました。
採血でHCGは上がっていて、内診。でも胎嚢はもしかしたらここがありえるか…?みたいな本当に小さな影。化学流産、子宮外妊娠の可能性があるので来週診ましょうと診察室からでました。
トイレに駆け込んで泣きました。
化学流産なら耐えられるかもと思っていましたが、
そうでもありませんでした。失うのはもう嫌だとなかなか泣き止めませんでした。
毎日引き寄せの法則の言葉は唱えていたものの、やはりポジティブにはなれずで、
毎週受診の度に動悸が酷く、吐きそうになりながら内診台に座っていました。
週数は最終月経からでは合わずで、2週間は遅れた状態ながらも、胎嚢確認や心拍確認ができていきました。診察後は毎回トイレに駆け込んで泣いていました。嬉しいと言うより、やはり怖さと不安で。
そしてバイアスピリンを処方され飲んでいました。
出血がある時は血の気がひきました。
なんとか不妊治療クリニックを卒業でき、
去年お世話になった病院へ帰ってきました。
私の検査数値的にはバイアスピリンの適応ではないのですが、先生の采配で28週まで継続処方となりました。
不安で仕方がないものの、ネガティブな発言や調べ物だけはしないように気をつけました。発言はポジティブに。
引き寄せの言葉は毎日唱えて、不安になっても口にしました。
それでも不安で苦しくなり、料金は高いですがポケマムというレンタルのエコーを使うことにしました。
映像で赤ちゃんを見て、心臓が動いているか必死に見ていました。
ただポケマムを使っていても、心臓が動いていても、赤ちゃんが全く動かない時もあり…元気がないのではないか?と泣きました。
結局は不安でした。
でも去年と違ったのはお腹がどんどんでてくること。
16週を過ぎたころ、お腹の中で蠢きを感じ始めたこと。
去年と全然違いました。
こんだけ違うのかと思いました。
戌の日は主人と2人だけで、もともと通っていた子授けの寺へ。
仕事は去年乗り越えられなかった週数あたりで休職しました。
仕事が忙しいストレスより、満員電車の通勤のストレスが凄かったので…休んで気が楽になりました。
休職してからは私は無痛分娩がしたいと思っていて、そのためにも体づくりを頑張ろうと思いました。
YouTubeで股関節の柔軟性をあげる運動とか、色々見ながら運動をしていました。
そんな日々を過ごし始めたころの健診で、急に異常がみられました。
子宮頸管が2週間で1.5cmも短くなっていました。
27週で子宮頸管3cm。
私は運動のせいだ…と思い、運動を自粛しました。
安産を目指したかった想いが叶わなくてがっかり。
身体は固いし、体力も大してない。
でも赤ちゃんを守らないとと思って、落ち込みながら自宅で安静にして過ごしました。
28週でバイアスピリンも終了し、
お守りを失った気持ちでした。
でも胎盤と血流は大丈夫でした。
そしてまた新たな問題、
29週の時点で逆子でした。
胎動は感じていましたが、いつも下で…。
赤ちゃんは足でげしげしと出口の方を蹴ります。
膣から外へ圧が抜けるような怖い感覚。
それに痛い…。
下を蹴らないでって声をかけていましたが、赤ちゃんは聞いてくれません。
子宮頸管は現状維持とのことで、先生にマタニティヨガはしていいかと聞いたところ、問題ないとのこと。
私はまたYouTubeを見ながら、簡単なマタニティヨガや逆子体操をしていました。
子宮頸管を維持するためにトコちゃんベルトを買ってみたりしました。
健康的な生活が始まって、赤ちゃんは逆子ですがよく動くし、妊娠後期の日々は明るく感じていました。
そんな生活を始めて2週間。
31週のある日の朝、下痢みたいな痛みがありました。ずっとではなく断続的に。マグミットを飲んでいたので、ゆるくなったかな?と思ったくらいでした。
排便はありませんでした。
いつものようにマタニティヨガをして、
お腹が張ったので横になりました。張りはすぐ治り、赤ちゃんの胎動もありました。
その後お昼ご飯を食べて休憩。
横になって昼寝をしてしまいました。
2時間くらい経っていて、尿意で目が覚めてトイレへ。
すると織物シートに鮮血がついていました。
ぎょっとしました。
腹痛はない、張ってもない。
排尿した便器を覗けば真っ赤。
血の気がザーッと引いて、
とりあえず夜用ナプキンに交換。
いつから胎動を感じていない?
呑気に昼寝をしていた。
赤ちゃんを叫びながら呼んでお腹をゆすりましたが、動かない。
いつから?いつから?
いつから?
なんで寝ていた?
なんでなんでなんで?
病院に行くために着替え、最低限の荷物を用意。
入院は決定だろうと思ったが、
まだ入院バッグなど作っていませんでした。
近くに住んでいる母に連絡、今日に限って外出。
病院にとりあえず電話。
休日でしたが総合病院なので関係ないはずなのに、なぜかコールしても誰も出ない。
母から再度電話あり、救急車を呼ぶよう言われる。
人生初めて救急車を呼ぶ。
救急車はすぐ来てくれ乗り込む。母が外出先から駆けつけてくれて同乗。
ストレッチャーに寝転び、お腹に手を当てる。
痛くないし、張ってもない。
涙が溢れる。
救急隊員さんが病院に連絡をとっている間、
胎動があった。
赤ちゃんは生きてる。
生きてる。
ほんの少しだけ安心と、自分への怒りが沸き立つ。
余計なことをせずに、ずっと床にへばりついておけば良かった。
赤ちゃんを危険に晒した。
安産だとか逆子だからとか気にしたせいで。
自分のことを優先したせいで。
病院について、産婦人科の分娩室へ。
そこは去年自分の子を出してもらった場所でした。
この分娩台で痛くて苦しい思いをした。
その場所にまた乗り込む。
看護師さんに服を脱がせてもらい、当直の先生が来室。内診へ。
去年散々苦しまされたクスコをいれられ悲鳴をあげてしまう。
器具が入ると血がでてくる。
去年血が止まらなくて怖かったあの感覚。
血が…血が…
去年と全く同じことを口にしてる。
やめてくれ。赤ちゃんが出てしまう。
赤ちゃんは赤ちゃんは無事ですか?と泣きながら聞いた気がする。
診察が終わり説明。
子宮頸管が開いてしまい、胎胞がでてしまっている。
出てしまっている胎胞のなかに片足と臍帯がある、臍帯が圧迫されると赤ちゃんが危険になるので、
逆子ということもあり、その場合はすぐに帝王切開になる。
絶望して首を振りながら泣いていた。
赤ちゃんが可哀想だ。
31週は早すぎる。
現状は子宮収縮を抑える点滴を開始し、経過観察する。3日間が山で、張りが抑えられなかった場合も帝王切開となる。
赤ちゃんは助けて。
私は全ての同意書にサインし、ウテメリンという薬の点滴と抗生剤が開始された。
横になると耳の横で激しく血流がドッドッドと流れている感覚がする。
赤ちゃんを失うかもしれない緊張で頭目首肩が痛い。
腕を動かすだけでお腹が張っている。
体を動かさないように、横向きに寝て、柵に腕を巻きつけて、何とも言えない苦しさに耐える。
赤ちゃんが激しく動く。
動かないで、お腹が張ってるの、出てきたらダメだよ。まだ早いよ。もっと一緒にいようよ。
泣きながら一睡もできずに朝を迎えた。
2日目はウテメリン以外にアダラートと言う薬が追加された。
内診があり、なんと頭位になっていた。出ていた胎胞は引っ込んだとのこと。
当直の先生から、このまま点滴で様子を見ながら、1日でも長く赤ちゃんにお腹にいてもらいましょう。と言われる。
私はすぐ帝王切開なんだと思っていて、まだ希望はありますか?と聞く。
先生は優しく笑って、ありますよ。昨日はあらゆる可能性を説明しましたが、点滴と安静でもってくれることが多いんです。と言ってくれた。
少し気が楽になる。
入院2日目はベッドの上にひたすら寝転び、トイレや洗面は車椅子で運んでもらった。
そうして2日目は無事終わり、私は希望が持ててすこしほっとしていました。
しかし3日目、とくに張りも何も感じていないのに、トイレで排尿したら赤黒いコアグラがドロっと出てきました。コアグラをティッシュでとり、助産師さんにコール、助産師さんは私の手が震えてるのを見て落ち着いてと声をかけてくれました。
助産師さんは私を車椅子で、またあの分娩室へ…。
私はボロボロ泣きながら内診を待ちました。
病棟担当の先生の診察で、お腹の張りが断続的にあることと、頸管が短いのでさらに子宮収縮抑制剤を増やすと言われました。
マグセントの点滴が増えました。
マグセントを開始するまでに時間があり、早く効いてくれと祈っていましたが、まだ薬が効き出す前に生理痛が出てきました。
先生が様子を見に来た時には生理痛2日目くらいで、
先生は薬の滴下方法を変えるといいました。
マグセントを短時間に沢山滴下して、効果を高めるとのことです。
ただ副作用がすぐ出るらしく、身体が熱くなり動悸がしたり吐き気が出たりするそうでした。
なんでもいいから赤ちゃんを助けて欲しい。
私はどうでもいいから。
助産師さんがすぐマグセントを用意してくれて、滴下が始まりました。
すぐ身体がカーッと熱くなりました、耳元で血流音がして40度の発熱があるかのよう。
ひたすら熱く、でもこの療法のおかけで生理痛はなくなり、張りもましになりました。
マグセント大量投与後は、継続的に適量を滴下しました。身体の熱さはましになりましたが、今度は倦怠感が強くなりました。そして吐き気、頭首肩目の痛み。
そこから食事はとれず、夜は苦しくて身の置き所がなくなり、病室から廊下に連れ出してもらい、ベンチに座っていたりしました。
安静にしないといけないのに…とは思いながら寝転ぶのがこんなに苦痛なことがあるのかと思いました。
でもウテメリン+アダラート+マグセントのおかげで、赤ちゃんはお腹の中にいてくれました。
こんなに赤ちゃんを守る沢山の方法があるんだと、感動しました。医療って素晴らしい…。
そうしてそこから一ヶ月以上の入院生活は、点滴治療で赤ちゃんを守ることができました。
私の血管が細く、弱く、差し替えを沢山しました。血管炎でボコボコに腫れたり、針の後がかゆく湿疹になったり、内出血で真っ青になったり….。
入院生活は時間があるのに何もしたくなりません。
食欲もありません。
編み物とか…読書とか…といいますが、基本寝転び安静なので、できるわけもなく。
普通なら家で、赤ちゃんの用意をしながら幸せなマタニティライフとやらを送れるんだろうな…と普通を羨んだりもしました。
それでも赤ちゃんを守ってもらっているこの入院生活は
感謝しかありません。
そういう生活を34週まで送り、毎週一回のエコー内診で赤ちゃんの成長を見守りました。
点滴加療が35週に入ると、まずマグセントをやめ次にウテメリンをやめ、最後にアダラートをやめました。
薬が減る度に、張りは増えました。
生理痛はなく張りも週数的には会って当たり前とのことで、一度退院しようという話になりました。
36週0日でその話になりましたが、日付変わって36週1日午前3時、
トイレに行くと夜ナプキンいっぱいに血が。
生理痛もあり。
あ。退院はなくなったな。
と思ったことと、
入院していて良かった…と思いました。
助産師さんに報告後、当直の先生の診察。
内診したところ、多分破水している、赤ちゃんは元気。
モニターでも断続的に張りがあり、今までと違うのは張りがある時に生理痛があるということ、そして張りがなくなると痛みがなくなることでした。
これは陣痛なのか?
痛みは10秒から20秒もなく、自分では判断ができません。
午前6時、痛みが子宮を絞るような感じに変わり、身をよじってしまうように。
午前7時分娩室で内診、陣痛で間違いないとのことでそのまま分娩室で待機。
またあの分娩室。
私は夜中には産まれるのかな?と思っていましたが…。
午前8時過ぎには子宮口5センチ、主人に病院へ来てもらうことに。
8時半くらいには無痛分娩の対応をしてもらえ、9時過ぎには腹痛が無くなりましたが
代わりにお尻?腰が痛くなりました。
テニスボールをお尻の下に置いて仰向けに寝ていました。
お腹が張ってきたら必死にソフロロジーを思い出して息をしました。
そうしてしばらく待機後、時間は分かりませんが子宮口全開とのことで先生や助産師さんの指示のもと10回以上?いきみました。
いきむ時は息を止めてと言われていたのに、何度か息を漏らしてしまったりしました。
途中赤ちゃんの苦しいアラームが聞こえ、酸素マスクをされました。
必死に深く呼吸しました。
気がついたら人にたくさん囲まれ、お腹の上に助産師さんが乗り押してくれました。
そしてなんとか出産。
赤ちゃんは何回か泣きますが、
すぐ泣かなくなりました。
私は胎盤を出してもらったり、出血に対してガーゼを詰められたり、会陰部を縫ってもらったりしたら貰いながら、
ずっと赤ちゃんに
がんばれ
息吸って
ちゃんと息吸って
ずっと声をかけてました。
声をかけながら、赤ちゃんを助けてと泣いていました。
赤ちゃんは何人もの人に囲まれていました。
処置が意外と痛い中、ずっと赤ちゃんが心配でした。
少しだけ胸元に連れてきてもらい、写真を撮ってもらいましたが…
赤ちゃんは元気そうには見えませんでした。
赤ちゃんはNICUへ連れていかれました。
主人と2人分娩室に残されたあと、
私は赤ちゃんを助けてくれ。
なんとかしてくれ。
ぺたんこになったお腹を触って、怖いと泣いたり、赤ちゃんを助けてくれとずっと泣いていました。
主人が可哀想。
先生が出た胎盤を確認したところ、血管の繋がってるところが異常?で出産の時に圧迫されて赤ちゃんにうまく酸素が送れなくなったと思うって説明があり。
本当に私は色々とうまくいってないなあと思いました。
2時間安静にした後、血圧を測ると上160と高く、さらに安静にしたり薬を飲んだりしました。
トイレへ行くよう言われましたが、耳鳴りがして断念。
導尿して貰いました。
その後病室に戻り、NICUの先生から説明を受けました。
早産で肺が未熟なので、呼吸障害がある。
酸素吸入、点滴加療で肺の水を抜き、治療していくとのこと。
赤ちゃんが可哀想で仕方がありませんが、診てもらえて良かったという想いと、
36週だから大丈夫だろうと思った自分を呪っていました。
赤ちゃんに面会すると、保育器に入っていて、酸素マスクに鼻から胃にカテーテル、拘束された手に点滴、胸にモニター、反対の手に採血の跡。足にもモニター。
目を瞑って寝ていました。
手に指を持って行きましたが、弱々しく手が動くだけで…。
心配で仕方がありません。
面会は1時間で終了。
私は病室へもどり1人で過ごすことになりました。
出産したら、赤ちゃんと居られると思っていたのですが…離れ離れになってしまいました。
そして次の日からは、搾乳を開始。
なんと1mgのシリンジに、手絞りで母乳を入れていくという作業でした。
1mgのシリンジに0.2mgとか数滴の母乳を採る。
しかもその貴重な一滴が溢れて採れなかったり…なかなかの苦行でした。
3時間ごとに必死に搾乳をしていると、
その翌日には胸がパンパンに腫れ上がり、ガチガチに…。
搾乳を必死に続けないとと思って、2時間半とかで回数を増やし、少しずつ母乳採れる量が増えたり、搾乳機を使い始められたりしましたが…。
胸はどんどん硬くなりました。
助産師さんに相談すると、長い時間をかけてマッサージしてくれました。
マッサージに使ったタオルがびしょびしょ….。
腫れてる部分はすべて母乳で、マッサージが終わるとあんなに固かった胸が柔らかくなりました。
私の胸の乳管がまだ開いておらず、母乳が溜まって腫れるようです。
まさか母乳を出すことにこんなに過程?があるというか難しいというか…そんな胸を開拓する助産師さんて…凄いなと思いました。
そんなこんなで、入院中は搾乳に奮闘し、赤ちゃんに面会する日々を過ごしました。
赤ちゃんは毎日少しずつ回復してくれていましたが、
入院中に母子同室など夢のまた夢で…。
私だけ先に退院となりました。
念願の退院ですが、赤ちゃんは病院へ置いてきてしまっておりブルー。
また体力が全くなく、ふらふらとあまり動けません。
階段は落ちそうになりました。
一ヶ月以上の入院生活は私のほとんどの筋肉を溶かしてしまいました。
退院後は搾乳し冷凍して、赤ちゃんに持っていく、面会するという日々でした。
赤ちゃんは日に日にむくみが取れて、手足をよく動かしてくれるようになりました。
酸素が外れて、点滴が外れた時は、可愛いお顔が見れてすごく嬉しかったと同時に…。
早く一緒に居たいという気持ちが溢れて、家で泣いていました。
入院していれば安心なのに。
お世話もほとんどしていない私が、赤ちゃんを連れて帰りたい気持ちがどんどん溢れます。
ずーっとお腹にいて、一緒にいて、
ずーっと大事にして、
先生や助産師さんやいろんな人に守ってもらえたから、産まれてこられた赤ちゃん。
なんで離れないといけないんだ、一緒に居られないんだと
どうしようもないことを嘆く日々でした。
ある日の面会、胃のカテーテルも抜けて可愛いお顔。
大きな泣き声。
もう帰れるかなと期待。
先生が来て、早くて◯◯日に退院かなあと。
そんなに先?
ショックで涙が出る。
帰宅後はわんわん泣いた。
私は本当に赤ちゃんを産んだのか?
とすら思う。
赤ちゃんが生まれてから2週間が経とうとしていましたが、
離れている間に赤ちゃんはどんどん変化していっていて…その大事な時間を奪われているような、なんとも言えない焦燥感を感じていました。
産後なんたらというメンタルなのか、
赤ちゃんと離れるのが辛すぎて、泣き続けました。
その後日、早く連れて帰りたい意思を伝えて、無理やり退院。
産後2週間が経っていても、初心者マークの母。
しかも赤ちゃんは入院していたため、乳頭困難で…。
搾乳した母乳をあげたり、ゲップがでなくて困ったり。
たった一日で服もおくるみも大量に洗濯になったり。
搾乳だけに起きていた日々よりも睡眠時間は短くなりました。
それでも横で赤ちゃんが寝ているだけで、嬉しいです。
赤ちゃんの側にいられて、息遣いを間近で感じられて、やっと。
やっと私の心が救われました。
私は赤ちゃんがお腹に帰ってきた時、お腹で順調に成長している時、
私は今後何があっても、赤ちゃんが帰ってきてくれたことへの感謝を忘れてはいけない。
この感謝の気持ちを持って今後生きていこう。
そう思いました。
出産後が大変と皆いいますし、そうだとも思います。
でも私は妊娠から出産までが本当に苦しかったし、
産まれて来てくれて、生きていてくれて、世話が大変でもそれでも妊娠期間の方が辛かった。
去年流産を経験し、流産の宣告、入院、辛い分娩、斎場で自分の子を見送る絶望感。
いまだに思い出して涙が出ます。
臍の緒の入ったケースを何度手にとって泣いたか。
でも赤ちゃんは帰ってきてくれた。
性別が同じと知った時は、やっぱりと思った。
胎動を感じれた時やっと前に進めると思った。
しっかり働いて産休に入るのが当たり前と思っていたが、休まず働いていたらまた同じことを繰り返していたと思った。
出血した時の絶望感は半端ではなかったが、医療に先生に看護師さん達に、いろんな人に助けて頂いた。
出産後も赤ちゃんは危なかったが、それも助けて頂いた。
妊娠出産は奇跡とコウノドリで読んでいましたが、本当にそうで。
妊娠したいと思ったら妊娠できて、その後はお腹で順調に育ち産めるものだ。
というのは本当にないんだな、と思いました。
妊娠出産までは皆、当たり前になればいいのに。
だらだらと長文を一つの記事に書きましたが…。
記録としてこちらの記事で完全に最後になります。
赤ちゃんはNICUに入院していましたが、退院後2週間くらいで1キロ増え、一ヶ月健診も問題ありませんでした。
私も子宮筋腫はあるものの、概ね良好でした。
もし次の妊娠があれば、また早産になる可能性は高いという説明はありました…。
子宮頸管無力症というより、体質的なものだったり、原因不明なんだとか。
予防的なシロッカー手術も適用じゃなさそう。
恐ろしい話です。
今は赤ちゃんに対して体重の増加、母乳問題や向き癖による頭の歪みなど、気になることは沢山ありますが…。
とりあえず赤ちゃんにはこれからもしっかり食べて、しっかり寝て、元気でいて欲しいと願っています。
生まれてきてくれてありがとう。
赤ちゃんを望む全ての皆様の元に、
望めば赤ちゃんが来てくれて、
必ず無事に出産でき、
無事に成長してくれますように。
それが当たり前になりますように。