昨日の朝、娘が床にほったらかしにしていた髪ゴムのプラスチックの飾りを踏んでとっても痛く、怒鳴りつけてしまいました。


でもすぐに気を取り直して、「どうしたら床に物が散らかって、踏んでしまうことがなくなると思う?どうしたら物がどこに行ったのかわからないなんてことがなくなると思う?」と娘に聞くと、「物を使い終わったら、もとの場所へ戻す」と答えてくれました。


「そうだね。幼稚園から帰ってきたら、一緒に片付け・整理をしよう。そのあとから、床に落ちている物があったらお母さんそれを捨てることにするね。それから、物を大切に使っているのに壊れたり、片づけをしているのに失くしたりしたときは、新しく買いなおすけど、物を大切にせず壊したり、片づけをしないで失くした時は、もう新しいのを買わないからね。」と、落ち着いて話すことができました。





今朝、娘は、20枚以上のスーツやコートをかけた室内用物干しの下にあるかごの中の物を取ろうとして、物干しを倒してしまいました。


前回物干しを倒してしまったときは、怒らずに済んだのですが、物干しに近寄らないように言っていたのにまた倒してしまい、20枚以上の洋服を一旦離して物干しを立て直し、洋服をかけ直す作業はとても大変なので、感情的に怒鳴ってしまいました。


今度は気を取り直すのに随分時間がかかりました。


娘は、かごの中の物を取る時に物干しが倒れてしまうかもしれないということが全く予想がつかなかったわけです。

もちろん悪気はなく、自分や人を傷つけたり、他人に迷惑をかけることではないから、叱ることでもなく、落ち着いて話をするものだとは思います。

私が大変だから、怒っているだけなのだとわかります。


それでも私の気はおさまりませんでした。


始めの方は、自分で状況を整理できず、「どうしたら娘が予想できるようになるのだろうか?」と考えていました。


でもだんだん分かってきました。今問題となっているのは、娘が予想できるようになることではなく、私の気持ちがおさまっていないことだと。


娘が物干しを倒した時から、私は何もかもやる気をなくしていました。


「娘が物干しを倒したからこんな風になっちゃったんだ~!」と思ってしまいました。


しかし、「いや、違うぞ。娘が物干しを倒しても、その後やる気をなくすかなくさないかは私が選択したことなのだ。

目の前に起こることはすべて必然。すべて成長のチャンス。その時どう向き合うかで、そこから学び取り成長するかどうかが決まるのだ。」


そう思い直し、おさまらななかった気持ちを変えることができました。


なんとか娘を見送る時までに気持ちを変えることができ、遠足でウキウキで満面の笑みで何度も「行ってきま~すニコニコ」という娘に、笑顔で「行ってらっしゃ~いニコニコ」と見送ることができました。






自分にとって都合悪いことも嫌なことも、すべて自分の成長のチャンス


それを不運に思ったり、そのせいにすればせっかくのチャンスを逃してしまう


その時、どう選択するかは私の自由なのだ





そんなことを学べた出来事でした。