マジこれよ。
最初かその次にも書いたけどホントに三日坊主だった。
明日から2月。
がんばってダイエットする。
正月休み後爆発したかの様に暴食した。
コロナになった時に死のリスクを高めるだけだというのに。
5月にはアメリカ予定してるしがんばろまじで。
さて、今これを見ているあなたは
死について考えたことはあるだろうか。
私を含めて皆同じだと思うけど、生まれた瞬間の記憶というものはないし生まれる前の記憶なんてものはないのだ。
物心つくという言葉があるけど、きっとそれは記憶ができる様になってから。、という意味に置き換えることができる様に思う。
今思い出せる記憶で一番古いものを思い出してみてください。
5分くらい考えてあなたが思い出せる記憶の中で一番古いものがきっとそれに当たると思う。
私の持つ記憶で一番古いものは、福岡県北九州市高見台に住んでいた頃の記憶だろう。
あの頃は平家の賃貸に住んでおり家の中にすごい高さの段差がある部屋があった。
あの頃の自分の身長からしてきっととてつもなく大きく感じたわけだ。今の高い低いの感覚とは訳が違い対して高くもなかったのだろう。
何歳だったのか、おそらく3歳くらいだろうとは思う。
物心ついたのはおそらくその頃だろう。
私も齢30。365日×30年だ。誕生日ぴったりだとしても約11000日だ。
蝉の寿命は14日と言われているけど、私は11000日という日数生きている。
たまに死にたいと思うことがある。
それは辛いことに対して我慢ができずにこれ以上辛い思いをしたくないという心の現れだろう。
しかし死にたいと本当に思っているのか。
実は死にたいのではなく、こんな辛い生活を送りたく無いという逃げたいという願望なのだ。
死にたく無いけど、死ぬ(なにもかもが無に帰して楽になる)という言葉をわざわざ選んでいるのだ。
うごごは、生きてるんじゃない。死んでないだけ。という言葉を生前口にしていた。
この言葉にはどんな意味が含まれている?
生きるってなんだ。
私は心臓が動いて動物的生体活動が続いていることを生きていると表現する。
しかし、死んでいないということも生きているということなのだ。
人にとって生きるということはそれぞれ別の意味を持っている。
皆が一緒である必要はない。
ただ、死というものは人として動物として生を成した全てのものに平等に与えられている。
逆もまた然りだ。
生も皆平等に与えられているのだ。
幸せに生を全うするも、不幸な生でもそれを選択しどう分岐するかは個人の行動次第なのだ。
英語が流暢に話せようが、筋肉があろうが、金持ちだろうが、ゴミ清掃員だろうがヤクザだろうがみな自身の行動の結果この様になったことを忘れてはいけない。
私は負けない、配偶者も見つけていまからでも後半の人生を変えていきたい、そんな想いを胸に今日から一歩踏み出してみようと思う。
あと何年続く人生かはわからないが、やりたいことをやって悔いの残らない人生にしたい。
まずはダイエットからこれが明日からの当面の目標だ。
〆