…って最近こんなんばっかだな

溜まってんだな…きっと
シモの話ではありません(笑)

話それましたが
たまに(周期的?)考えたりするんですけど

息をしたり、笑ったり、泣いたり、食べたり、飲んだり、眠ったり、考えたり
傍に居る人、環境
出来る事、出来ない事
全て、その人にとったらあたりまえの事

例えば、傍に居る人といくつ位の『あたりまえ』を共有できますか?
なんて考えたりはしない?

でも、自分にとっての『あたりまえ』は暗黙のうちに人に求めてたりしない?
そういう事あると思うんだよね

すごく怖い事だなと
生きてきた歳月=経験値ではないからね

『迷』という字を使う言葉はいくつかありますが

迷子、迷惑、迷信などなど

さすがに迷子になることはなくなりましたが
いくつになっても、迷い…とくに気持ちに迷いが生じてしまう事があります。

精神的にだったり肉体的にだったり疲れていたりすると参り易くなります。

生きていればたくさん嫌な思いもしますよね。
仕事をしたり物事を解決していく上で結果を急ぐばかりに人の気持ちを考えたりする余裕がなくなってしまったり…なんて経験ある人もいると思います。

自分にもあります…

人を想いやる余裕を持つ

迷いながらも

普遍的なテーマとして


『普通』って一体?
なんて考えた事ある筈だよね。
『多数派』と『少数派』でそうであるか、ないかが別れてくるんだと思いますが。


何故にこんな事をわざわざ?
…と思う方がいるかいないかは解りませんが

自分が普通だと思った事ありますか?
それでは、自分が個性的だと思った事ありますか?


でも個性的になりたいって思った事ある人はいると思うんですよね?

実はそれが『多数派』だったりして
一緒にされたくないから『特異』になってしまったり…
『個性的』であることと『特異』は別だと思うんですよ。


まして意識的に『個性的』になろうとするのは『多数派』であり、むしろ『普通』なんだとすら思う訳です。
『多数派』の中に溶け込みながらも無意識に出せるオーラを持った人が『個性的』な訳です。

これもまた、残念な事です…