何が普通で、何が当たり前か

対象になる物事や思慮する人物により変わってくるが普通=当たり前ではない

今まで自分の事を普通だと思った事はないが、矛盾する様だが普通というモノサシは持っている

自分の事を普通だと思う人は何を持ってそう思うのだろうか?
他の人と同じだから?
そんな人物は自分にとっては『不通』な人物でしかない
普通というのは共有できる考え方や行動をさしている
普通ではない人物同士の間でも(というより、だからこそ)存在する

普通というのは相手がいなくては成り立たない
自己評価としては成り立たない考え方である

当たり前、TPOに応じてやるべき事をやる(考える)

言葉にしてしまえば、それこそ『普通』なのかも知れないが全く別物である
当たり前のことをするから普通なのではないという事

当たり前のことをやってから『普通』を問うべきである
どちらも、その日によって異なる表情をみせる

その上、コントロールするのも難しい
言語とは裏腹にしぐさや行動に直結してしまう故、こと人類にとっては厄介なものである
『理性』により緩和されているところはあるものの、本人が思っている程は抑え込めてはいない

まして昨今のコミュニケーションの仕方を考慮するとより難しいのかもしれない
不意に堕ちてしまう場所である
けして居心地が悪い訳でもない

むしろ居心地の良い風が吹く懐かしい場所だったりもする

そこには幼きまま、何かが満たされないまま、まるで時間が止まってしまったかの様な自分がいる場所

それがかつての自分自身であるとは思えない程に客観的に冷静に感じている事、考えている事が手に取る様に解る
会話でもする様に、現在の自分に言い聞かせる様に『幼い自分』に話しかける
寂しそうに膝を抱え、訴える術を知らずにそこに佇んでいる

たまに聞き分けなく暴れ出す

そんな時に堕ちる場所
思い出なのか記憶なのか、定かではないが頭を過る

穏やかで切なくて、優しさとは違う何かに包まれる場所