今日で、日航ジャンボ機墜落事故から、
30年が 経つんですね。
昭和60年 8月12日 実は 私も
その日、羽田空港にきており、
主人と2人で、たしか午後3時半ごろに
出発する 長崎空港行きの
全日空ジャンボ機に乗り、
定刻に 長崎空港に着き、
いつも通り、父と母が、
車で、主人と私を
迎えに来てくれ、
そのまま 実家にむかいました。
汗だくで、お風呂にはいり、
さっぱりして 母のおいしい夕食を
4人で 囲み、テレビをつけました。
そうしたら、同じ12日の18時56分に
羽田空港を離陸した 日航ジャンボ機の
羽田➡ 大阪行きが、行方不明だとの
ニュースが飛び込み、
ぞっとした記憶が あります。
あの日、もしかしたら、あの日航機で、
大阪に行こうと、
早くから 羽田空港に来ていた乗客の
方々と、もしかしたら、
すれ違ったり、同じお店で、
コーヒーを飲んでいたかも、
と 思うと、なんといってよいか、
わかりません。
あの日、もしも あの大阪行き日航機が、
無事に 大阪に着いていたら、
きっと 私のように、
笑顔で、誰かが 迎えに来てくれて、
笑顔で、夕げを 囲んでいたかも
しれなかったのですよね。
ほんとに、そう思うと、
いたたまれません。
翌日だったか、テレビに、
幼い女の子の遺体が、
背後から、撮影されているのを見て
ほんとうに、自分が
死んだことも、わからないんだろうと、
テレビをみて、涙が
でました。
すべてのあの日の犠牲者のかたに、
哀悼の祈りを捧げます。
合掌