月イチの全体昼礼に出るのを忘れがちな私たち事務所3人。
ブログに残すということは今月も忘れました。
多分ね3回に1回は忘れてる。3人みんなで。
言い訳しちゃうと休み明けで曜日感覚無かった。
でね、いつも思うしいつも上司が言うんだけど
「忘れる私達が悪いのはそうなんだけど、昼礼だよって声掛けてくれてもいいじゃんって工場長に思っちゃう…」
分かる。本当に分かる。ほっとかれるの辛い。別に参加したくないとかいう意思じゃないし、昼礼に出る意思はあるのに何でか忘れるのよ、3人いてもさ。
仕事だからさ「言ってくれたら…」なんて甘いんかもしれないけどさ。。。叱るときに叱ってくれよ。教育して叱ってくれ〜この3人を。
なんかそれで、学生時代に移動教室の授業で移動出来なかった生徒の事を考えてしまった。
私は友達に恵まれていたし、空気もそこそこ読めるから移動教室で移動出来なかった事ないんだけど、たまに移動教室先の出欠でいない人がいて先生が探すところから始まる授業があってさ。
私は未だに慣れない誰かに自分から声を掛ける事に緊張する人間なんだけど、「あ、あの人移動なの知らないかも」とか「あ、もしかしたら昼礼なの忘れてるかも」って気づけた時にさ、声を掛ける人間でありたいなと思った。
移動と分かっているか定かじゃなくても、今日仲いい子休みで1人な子に話しかけて一緒に移動教室に誘ってたカナエちゃんという友達を思い出す。
なんて素晴らしい心がけなんだろう。
そしてとても自然。当たり前な事としてやってのける姿、本当に忘れられないな。私が誰かに声を掛けようと思う勇気はあの時のカナエちゃんが今もくれているんだと思う。
中学卒業してから会ってなくて、成人式で話しただけなんだけど、あの子の優しさが30歳を超えた今も私の中で生きている。
優しくて繊細だった。小さな感情の起伏を感じやすい人で、私みたい感情が顔に出やすい人間の表情を見逃さないで心配してくれる人だった。騒ぐだけしかない野蛮な男子を嫌ってた。恥ずかしがり屋なところもあったな。
私はすぐに露呈してしまう。怒りも悲しみも痛みも疲労も。それを心配してくれる人なんて。もっと大切にすべきだった。
私は過去、人間関係を無下に扱ってきた人間だ。
死んだら地獄はもう決まっている。
天国じゃなくていい。この先私が大好きな人間が大好きな人生を歩めたらいい。そこで交わるときに私は優しい人でありたい。
根が腐ってるからすぐ辛辣なこと言っちゃうけど。
だめじゃん。
で、なんの話?
カナエちゃんにはなれないけれど、カナエちゃんの優しさが私が優しくなる為の勇気をくれているって事。私の行動が優しいと感じれたときはきっとカナエちゃんがくれたもののその先にあるものだよって事なんだ。