2月1日~3日


母は入院した日から、自分の古代裂(こだいぎれ=藍木綿など)の作品を、病室に飾っています。

そしてそれを見て下さった方々から、

「素敵ですね~、個展をなさったら?」と言われるの・・・とは、

母や兄等からの報告で聞いていました・・・・


さて、1日夕方、私が母の元に来た日、たまたま兄嫁さんも病院に来てたのですが・・・・


ジャジャジャジャ~~~~ン


母が「4日に作品展をするわ!!」と、また例のごとく、爆弾発言を!?



ひえっっっ~~~??????



母の猪突猛進な行動に振り回され慣れている私達も・・・いささか、・・・・・・ぎょええええええ



でも、私達の狼狽にはお構いなしの母ですので、

やりましたとも!


私は偉い!!!


実家に戻って、母の作品を必死で、引っ張り出しましたとも!

といいたいところですが、

普段一緒に住んでいたわけでもないので、いやぁ~わからん!


第一メチャクチャ蒐集品の多い家で、どれが母の作品やら、

お友達の作られたものやら

買ってきたものやら・・・雑多ななかで、


エイヤ~これが母の作品だぁと、選び出し

荷作りし。。。、


おっと、その前に、まず最初に、案内はがきを作り、

母の選んだ方に宛名書き、切手貼り、投函・・・。

ハガキが足りないので、近所の方は。ポスティングに歩きました・・・汗


なんせ、2日前ですので、


わお~開催日までに届かないんじゃないの??

お知らせをもらった方も、びっくり仰天されるばかりでしょうね~~


で、大慌ての準備期間でした・・・・


さて、どんな作品展になるんでしょう???









2月1日


新幹線に乗って母の元に行きました。

今回は長女のお婿さんと4歳のKくんも一緒です。

(つい先日、長女と2歳の妹は行っています)


新幹線の車内で携帯に電話がかかってきました。

母の携帯からです。

母がしんどくて心細くなったようで、私が何時に着くか聞きたかったようです。

「1時半よ」


病院に着いてみると、見舞い客というか、家族の、たまたま多い日でした。

兄嫁さん、兄の2人の息子が、先にいて、にぎやかな病室になりました。


ひ孫君のお見舞いを母は喜んでくれました。


その日は酸素のチューブを鼻につけていたので、

「会ったとたん、ぎょっとされるんじゃないかと思ったけど、

全くそんなことなく平気な顔で、話をしてくれて、よかったわ~」と

あとで母は言っていました。


母はひ孫としりとりをして遊んでくれました。


実は、4歳児をホスピスに連れて行っていいかどうしようかと、

(兄は反対の口ぶりでしたので)、迷いましたが

母は看護師さんたちに

「お子さんから元気を貰えるから、来て貰えるといいですねぇ~」と

言ってもらったと言っていたので、連れて行きました。


病室だけでは飽きるので、途中、パパとKくんが病院の敷地内をお散歩中、

小さな神社があって

それを見たKくんが、寄っていこうよ、と、

ほこらの前で手をあわせ、「ひいおばあちゃんが元気になりますように~」と

お祈りしたとか。

お婿さんが、誰も教えていないのにわが息子の行動にびっくりしました~、と

感動して報告してくれました。







母のホスピスでの生活が始まりました。


私は5日前から関東の自宅に帰っており、母と遠く離れていますが

個室に電話があり、ステーションで繋いでもらえるので、

母と電話で喋ることができました。


「入浴が気持ちよかったわ~~、大きな窓からの景色が素晴らしくてね・・・

あっ、外からは曇りガラスになって中は見えへんのやて(笑」とのこと。

他にも、

「看護師さん等皆さん優しくてね~、とってもいい方ばっかりやわ、

先生も、丁度来られた時3時のお茶タイムの時やったら「お茶タイムにすみません」って先生も威張ってなくて気を使ってくれはってねぇ。

ボランティアさんも感じいいし。100点満点やわ~~♪」と嬉しい報告を聞けました。

ほっと安心~~。




母の見舞いに行ってくださった親戚のメールを転載します。


>こんばんはパー

今日母を伴って、△△子姉ちゃん(←うちの母のこと)を訪ねました。

お元気で安心しました。素敵な所でした合格

それに、お部屋は、まさに△△子ザ・ワ-ルドでした音譜

今日は機能満載のお風呂に入れて面白かったそうです。

食事も心がこもっているようでし、私自身も実感したのですが、

スタッフもボランティアの人たちも笑顔で心が温かくなりましたドキドキ

今後厳しいことが待ち受けているとは思いますが、

お姉ちゃんの判断は正しかったと思います。

何より△△子姉ちゃんは、どんなことにも好奇心を持ち、

明るいサイドを見る聡明さが素晴らしいですねさくらんぼ 

I美ちゃんも無理しないでねうお座

心から皆さんを応援していますグッド!

ヒヨコ


それに対する私の返信メール


ご報告と励まし、ありがとうございました。

お喋り大好きで、部屋を飾るのも大好きで、

かつ、何事にでも興味津々な性格ですので、

ここでの生活を楽しんでくれるものと思いますニコニコ

食事も、とても美味しく調理して下さっているそうで、

本当に良かったと嬉しくなりますラブラブ

私も、母の判断は正しかったと思います。

●ちゃんにもそう言って頂きありがとうございます。



ホスピス・・・治癒が困難となった癌などの悪性腫瘍を患った患者さんが、最後に行くところ・・・。


「もう治療の見込みがない」「治療打ち切り」と言われ、

恐らく、多くの方は、「絶望の気持ち」で入院されるのではないだろうか。


私が、知人に「お母様いかが?」と聞かれ、

「ホスピスに、入りました(or 間もなく入ります)」と答えたとき、皆さんの顔に浮かぶ表情からも、

お気の毒に…と思ってくださっていることがうかがえる。


でも、かなり違う捉え方を母はしていて、だからこそ、ここを選択した。


はるか前の8月19日に、既に入院予約できていたなんて手回しのいい人、滅多にいるもんじゃない!!と、思う(笑


母は、自分の人生の締めくくり方を自分で考えた。


母がホスピスを選択した理由は、

「最後まで自分らしく生きる」そのためにホスピスに入りたいと希望したのだと思う。




1月25日


母は、息子(私の兄)夫婦に付き添われて、

高原の山荘ペンションのような建物である

TS病院緩和ケア病棟に入院した。


お医者さんから、母は

これからどうしたいか、具体的に、

食べられなくなった時の水分補給は点滴をするか。

便秘の時浣腸してほしいか・・・聞かれたという。

注射点滴拒否の方もいるし、その人の希望が尊重される、

が、母はあまり答えられなかった様子・・・。



18.45㎡つまり12畳弱の個室。

これまでの4人部屋の、カーテンで囲まれただけの貧弱なスペースと比べると

何倍かしら?? 

ベッドやタンス以外に、トイレ、洗面所、冷蔵庫、ソファーベッド、テレビなどがある。


室名は、例えば408号室…などではなく、

全て草木の名前がついている。

母の病室は、○○で、「嬉しいわ!だって、美智子さまのおしるしと同じだと思うの」という。



母は、自分の作品をいろいろ持参した。

兄夫婦が母の指示で飾るのを、看護師さんも手伝ってくださったという。


最初用意して行った作品を飾った後も、まだ飾れる余裕があったので、

兄に家に取りに帰ってもらって、額や花瓶や手毬も追加♪


スタッフやボランティアの皆さんに、「素敵なお部屋になったわ~」

「この壁にその額がよく似合いますね~」などと言っていただいたそうだ。


看護師さんに

「ロビーで個展をなさったら」と提案してもらったとのこと。

それは嬉しいね。私も賛成!!ぜひ実現させたいね。



個室料1日12600円。安いと思う。









今日は、兄嫁が、母の元に行ってくれた。

昨日の疲れで、ぐったりしているのでは…と心配してたが、

兄嫁からのメール報告を転載・・・。



≪昨日まで、本当に本当に、ご苦労さまでした。

さて、お母さんは熱もなく、病院の食事もおかず、全部食べ、持って行ったプリンも食べ、一番元気かも!?

ホスピス入院、断られないか、心配です!!≫



昨日の元気が維持されているらしい。

気分がハイテンションになって、体まで同調しているのかな~・・・。

笑いは免疫力を高める・・・って本当かも・・・。


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あすはいよいよ、T病院を去る。

思えば、6月頭に、まさかの病気がわかり入院することになった。

6月ほぼ丸々、11月半分、そして1月もほぼ丸々、入院させていただいた。


主治医のI先生は若手の女医さん。

きびきびと、信頼のおける先生だった。

毎日朝夕母のベッドサイドに顔を出して下さり、

話し好きの母のだらだら長かったであろうお喋りも聞いてくださったし、、

家族も希望するたび、丁寧に説明をして下さった。

PC画面で、画像も見せてくださって、

例えば胃カメラ・・・

ふむふむ・・・胃壁は綺麗ねぇ・・・ああ、出口・・・ここが狭まってなるほど・・・と、

母も私たちも見ながら、納得することができた。


治療の方針でも、本人の希望をよく理解して下さって

かと言って、先生が逃げているということではなく、

積極的治療はしないという選択のなかで、

最善を尽くして下さったと、感謝している。


看護師さんたち・・・

本当にお世話になりました。

どの方もどの方も、すばらしい看護師さんばかりで、

技術的にも、母への声掛けや、にこやかな表情でも、

本当に助けられました。


昨日外泊から戻って母をベッドに寝かした後私が廊下ですれ違った時も、

「あっ、Aさんの娘さん! お母さまいかがでした?」 と聞いてくださった。

「熱や痛みも出ず、元気でした」と答えると、

「あぁ~よかった~~!!本当によかったですね~~~~

いい外泊ができたんですね~、お元気に過ごされたんですね、よかった~」と、

心底の笑みを浮かべて下さった。


薬剤師さんも、本当に親切で優しかったし、

栄養士さんも、同じく。

ソーシャルワーカーさんもきびきびした方で助けていただいた。


布団交換や掃除などをする助手さんたちも、感じよかった。


そういえば、看護師さんはじめ皆さん、美人揃いでした♪



本当にお世話になりました。

皆さまに支えられて母は闘病生活をしてこれました、感謝感謝です。







25日、私は関東に戻っているので、

ホスピス(TS病院緩和ケア病棟)転院に付き添えない

(兄嫁1人が行く予定だったが、兄も仕事の休みを取ったので、

二人で付き添ってくれる)


緩和ケア病棟の

今度空きの出るお部屋は、広さ16㎡だったか、

個室なので、母はあれを持っていくこれも・・・と頭をめぐらした。


普通の入院グッズは、今のT病院で使っている品を

そのまま運ぶ。それ以外に・・・



アパートの入居と間違えてない?というくらい、

母は色々な物を持っていくという。


自分の作った藍木綿のタペストリーや、

ポジャギ(韓国パッチワークと言えばいいのか。薄い透ける作品で窓に掛けるとステンドグラスのよう)や・・・。

「部屋の入口には、のれんがある方がいいわね・・・」と、

やはり自作のものを。

「ん??掛けられるの??」と私は思うが・・・


後は人に作っていただいたもの・・・

T病院にお見舞いで持ってきてくださった、ポジャギのクッション。

母が生地を渡して注文しては作ってもらったワンちゃんのぬいぐるみ。

何匹持っていくの?と問えば、親子二匹とのこと。


他にも

ペン立てや、ペン皿や、

花瓶もセンスがいいのが必要ね、

孫からもらったひ孫たちの写真が映し出されるフォトフレームも、

小さな木の額も。

足元にはマットを敷きたいわ(ベルギーのがいいかしら、トルコで買ったのがいいかしら・・・と。)と言ったが、足元は引っかかると危ないし、車いすの邪魔になるしと止めさせたが、スリッパを置くのに必要なのにと不満そう・・・。


そうそう!必需品がエグザイルのタオル!

大ファンの母のために、コンサートに行く知人に頼んで買ってきてもらった方が

プレゼントし下さったもの。


私も荷物に入れた。自分が寝る毛布1枚を。


(家族用布団の貸し出しもあるし、寝泊まりできる家族室(洋室・和室の2部屋)もあるが)

もうこれからは、大阪に行くと

母の病室のソファーベッドに泊ることになるだろう

多分,無人の実家には寄る(寝に帰る)ことはしないで、ホスピスに一緒に泊る方が

楽なので。

(実家と今度はいるTS病院は、タクシーで4000円ほどの距離。

これまでの病院がちょうど中間点)


1月21日~23日、母は家に戻っていました。


外泊日を皆さまに知らせたわけではないのに、

(仲のいいお友達が、21日夕偶然ご主人様をうちの向かいの医院に連れて来られたり等)

我が家に電気が灯っているのに気付いた友人や近所の方が、

なんとも、延べ11人、遊びに来て下さいました。


すごい!!!!

日ごろ独り住まいだった母、来客の多い家とは知っていましたが、

(かつてから、私が電話かけても、「今、人が来られてるから後でね~」と切られることが多くて・・・・)

私の想像以上の、人気者(笑)のようです(^^;;;


楽しくおしゃべりして、外泊を過ごすことができました。


皆さん、母の病気を知っている方ばかりですから、

平気でお葬式の話だのホスピスの話だの、話題にして楽しんでいます。


ある方は花屋さんでパートしておられて、前々から母が自分の葬儀の時の

祭壇を飾る花をお宅でお願いと注文してあったのですが、

実際、葬儀社で具体的に話を詰めてきた(先日母の言いつけで兄が行ってきた)ところ

『花の持ち込みは不可』とのことでした。


「ごめんね~。あなたに先渡しでお代も払っておこうと思ったのに、

葬儀社の契約のところしかダメなんだって・・・。残念だわ~・・・

私の葬儀、表向きは『香典供花はご遠慮します』とするけどね、

でも、皆さんの供花が実際届いたら飾ってくれるから・・・」と、

本音と建前、ややこしいこと言いながら、

皆さんでキャーキャーワーワー笑い飛ばしています。





1月になってからは病院で毎日のように高熱が出、足腰が立たなくなり、

便は黒色便で、

しばしば発作というのか急な痛みや気分の悪さが起きていて、

私たちは「外泊中もそうなっても仕方ない、怖いなぁ・・・」と思いながら、

(母は全く楽観視していました)

でも覚悟を決めてエイヤーと家へ連れて帰ったのですが、


あらら…

まったくまったく熱も出ず(一度37.4℃あったのみ)、痛み等もなく、

尿や便も問題なく、食事もおいしいとまずまず食べてくれ、

23日帰る頃には自分でしっかり立って、歩くのもまあまあ危なげなく・・・

と、

何だかとても元気に、いい調子に戻りましたヽ(^o^)丿


睡眠も、朝「おはよう~、眠れた?」と聞くと、

「あぁ~、とっても良く眠れた、痛みも全くなくて、快適でぐっすり寝たわ♪」とのこと。


「笑うと免疫力が高まる」と聞いたことがありますが、

そういうことなんでしょうかねぇ  o(〃^▽^〃)o



ともあれ、母は元気で、

ということは、兄と私をこき使って忙殺してくれました。

昔から母のバイタリティ・思いつき・猪突猛進の行動に

付き合わされてきた私たちですが、

今回も振り回されましたわ・・・・

まあ、子としては仕方ないのですが、いささかねぇ・・


23日最終日午後も、本当は私としては

母が疲れて具合悪くなるのも心配だし、

家族水入らずでゆっくり、ゆったり過ごしたかったのですが、

昼ごろ帰られたすぐご近所の方が、「自分のミシンは調子が悪い・・・」と言っておられたと、

突如「あの方にミシンを差し上げる!」と言い出し、

兄に二階からミシンを持って降りて来させ、ミシンの手入れを始めました

私は差し上げることには反対しないものの、

「もうこんなときだから、そのままでお渡ししてもいいんじゃない?

その方もわかってくださるわよ」と申しましたが、

母は、ぞうきんでゴシゴシ磨き、カマを分解して部品を外し全く糸くずや埃がないように手入れし、、

「どこそこにある新品のどの風呂敷を持ってきなさい」と、持って来させ

私たちが「蓋に取っ手があるんだしそのままの方が運びやすいよ」と言っても

「差し上げるにはきちんと包むのが礼儀でしょ!!」と包み、


「こうこうこう言って電話し」と私に命じたので、

「どうぞ自分でお電話なさいませ」と私は番号を押してあげて子機を母に渡しました。


そして、

「そんなの数mなんだから、その方がうちに来られる方が、ご近所にも目立たずいいのでは?」と申しましたが

母の指示で、兄がその風呂敷包みを持って出て通りの角で立って待ち、

お渡しできました。

そのあと…そうだ、ボビンもあげなくちゃ・・・と

私たちに捜させ、

私が「私のミシンも同じメーカーので使えるから、渡さなくても・・・」と

(兄が半分私にくれました)

言いましたが、「持っていったげ!」と、兄に家を教え、ボビンを届けさせました。


そんなこんなで、外泊は終了。


本当は21日夜に、新幹線に乗って帰宅する予定だった私ですが、

(母が突如外泊すると決めたので、1日は延ばす気だったのですが)

とても兄一人に任せては申し訳なくて、じゃあ明日朝までいるわ、

夜まで・・・次の朝まで…と延期し、

ついには、最後の最後まで忙殺されて

外泊終了でT病院まで、送り届けてから、帰りました。

私が…ふぅう、疲れた~~~~~

なんでこんなに、お互い大声を張り上げてばかりになるんでしょう・・・・・

「うんうん、そうね・・・」とは、聞いてあげられない私です。



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半分はボヤキの、でも半分は、母はすごい!と自慢している、日記でした。


お見苦しいとは思いつつ、つい、書かせていただきました  A=´、`=)ゞ




T病院に入院中の母が外泊を希望したところ

許可が下りました。


突然、何か(高熱や激しい痛みや急変など)が起きるかも・・という不安はありますが

その時はその時。

「急は時は、救急車でこの病院に戻ってくれば良いですからね。

ベッドはそのままにしてありますから。

おうちで過ごしてらっしゃい」と有難い言葉に励まされて

1月21日(金)朝~23日(日)夕方までの2泊3日の予定です。


幸い母は元気に過ごしています。

車椅子もお借りしてきましたが、それを使うことなく、

食事もまあまあ食べれていて、ほっとしています。


ところで、家に戻ってほどなく、連絡がありました。


入院予約していた、病院のホスピス(緩和ケア病棟)から、

「1月25日10:00に入院してください」とのこと。


ついに・・・・・・。

母はしばし、動揺しているようでした・・・・。


最初は、もうT病院には戻らないで、このまま家にいて

25日にホスピスに行くと。

でも、結局は、私達(息子夫婦や娘)の都合を考えてくれて

23日夕方予定通りT病院に戻り、T病院で2晩過ごし

25日朝、T病院から直接、ホスピスに転院することになりました。





1月16日~20日

熱がしたり、気分悪くなる時があったりはするものの

まずまずの小康状態で、入院生活を過ごしている。



点滴や特に治療は、なし。

服薬、肩こりにシップを張るくらい。



トイレまで歩くのが危なくなり、車椅子でトイレに行くようになった。

幸い、自分で排尿も排便も出来るので、ありがたい。



食欲はほんの少し。

病院の食事は、ご飯もおかずもほとんど手をつけない。

毎食つく果物やゼリーはおいしいと言って食べている。

牛乳もパックで出ることがある。

それは取っておき、飲みたくなった時に、

お気に入りのマグカップに入れて、私達が電子レンジで熱々に暖めて出すと

「おいしい」と飲んでくれる。

お医者さんから、「好きなものを持ってきてもらって、食べれるものを食べたら良いですよ」と

言っていただいているので、母にリクエストを聞いて

途中のデパ地下で買ったりして届ける。

昨日はちらし寿司を所望。

「海鮮ちらし」というのを持って行ったら、かにののったところを

「おいしい」と言って食べてくれた。

少量でも満足~♪



ところで、

母の猪突猛進の行動に、家族は右往左往振り回されながら、

まあ、仕方がないと、あきらめている・・・。

本当に活動的な人だ・・・。

勘違いも結構あり、それを自分のせいとは決して認めず

息子や娘のせいにするから、ほとほと、いやになる。

例えば・・・

証券会社に病院から電話して、株を全部売ってしまった。

「なんで?現金化する必要なんてないでしょ?!

今は安値で、株は塩漬けでいいと思っていたのに・・・」

と聞くと、

母「だって、私の貯金の残が○十万円だから、そんなじゃ、いざというとき恥かいちゃう!!」

私「え?? 一桁違うよ~! ○百万円あるよ!!!!」

母「違います!!○十万円です」

私「0が違うって!!!、貯金通帳持ってきて見せたげるわ!!」

母「絶対○十万円!! 」


翌日私が記帳した通帳を見せると

母「あら・・・・、M(長男)が間違えて私に○十万円と言ったのよ、だから私はあせって株を売っただけ!」

私「お兄ちゃんが○十万円って言うはずがない。ママの勘違いだよ」

母「ううん!! Mは残金○十万と思っているのよ。だから、私にそう言った」

そして兄も病院にやってきたので、聞くと、

兄「え~~~~っ俺○十万なんていうはずないやん!貯金、○百万あると知ってるで!!」

母「いや、あんたが言い間違えたんやろ~」


こんなことばかり起こり、私達振り回されています・・・。


でも、一方でほっとしました。

メールで、母が株を売ってしまいそう・・・

止めたけど、聞いてくれない・・・。売ってしまった・・・

と、兄嫁から報告を受けた時、「え~~~~~っ何で」と理由がわからなかったのですが、

発端が、預金残高が○十万しかないと思ったのなら、

そんなじゃ足りない、現金を増やしとかなくちゃと、と考えたのは至極当然で、

理由がわかって、ほっとした私です。



知人がお見舞いに来てくださっても、

「お宅のお嬢さんの勤務する会社、業績が上がっているね~」などと言う会話。

毎日、新聞を病院に届けると、めがねなしで隅々まで読み

特に政治経済面に興味関心が高く好奇心旺盛な母

う~ん、83歳にしてすごい!!と思ってしまいます

その方と母の会話:

お葬式の話題で楽しそうです。

母「葬送の時どんな曲がいいかなぁ?」

知人「エグザイルがいいわよ!、Aさん(母のこと)エグザイルが好きだから

エグザイルを流しましょうよ」


4人部屋でカーテン越しに全部会話が聞こえています。

皆さん癌の方ばかり・・・。あんまり葬式の話とかは・・・・と、

はらはらしながら、気をもむ、私です(^^;;;;;