占領されてしまう、乗っ取る、日が訪れるかもしれない😱
チャッピーより
「シッキム王国がネパールに乗っ取られた(あるいはマージされた)」というお話ですが、歴史的な事実関係を整理すると、正確には**「ネパールに一時期侵略されたことはあるが、最終的に国を吸収(合併)したのはインドである」**ということになります。
この歴史の背景には、シッキム、ネパール、そしてインド(およびネパール系移民)の複雑な関係があります。分かりやすく3つのポイントに分けて解説します。
1. ネパール王国による侵略(18世紀末)
18世紀後半、勢力を拡大していたネパール(ゴルハ朝)は、隣国であるシッキム王国へ何度も侵攻しました。
• シッキムの領土の大部分(現在のダージリン地方など)がネパールに奪われ、シッキム国王はチベットへ亡命を余儀なくされるなど、一時的にネパールによって国家存亡の危機に陥りました。
• しかしその後、シッキムはイギリス(東インド会社)と手を結び、ネパールとの戦争(グルカ戦争)を経て、イギリスの力を借りて領土を取り戻しました。
2. 「ネパール系移民」の増加と国内の人口逆転
「ネパールに乗っ取られた」というイメージの最大の原因は、軍事的な占領ではなく**「人口(民族)の逆転」**にあります。
• イギリス領インドの時代から、お茶のプランテーション(ダージリンなど)や労働力として、多くのネパール人(ネパール系住民)がシッキムへ移住してきました。
• その結果、シッキムの元々の先住民族(レプチャ族やブティヤ族)よりも、**ネパール系住民の人口が圧倒的に多く(約7割以上)**なりました。
• シッキム王室はブティヤ族(チベット系・チベット仏教)だったため、多数派となったネパール系住民(主にヒンドゥー教)との間で、政治的な不満や民族的対立が深まっていきました。
3. インドへの編入(1975年の滅亡)
1947年にインドがイギリスから独立すると、シッキムはインドの「保護国」となりました。しかし、国内では「王政を廃止して民主化してほしい」という多数派のネパール系住民による運動が激化します。
• 1973年〜1975年: 国内の混乱に乗じる形でインド軍が介入。シッキム議会(ネパール系が多数派)は王政廃止とインドへの帰属を議決しました。
• 1975年: 住民投票が行われ、圧倒的多数(主にネパール系住民の賛成)でインドへの編入が決定。**シッキム王国は消滅し、インドの「シッキム州」**となりました

