天忠宿のコゲ亭主

天忠宿のコゲ亭主

傷ついた吉村寅太郎が療養したと言われる杉本屋の4代目コゲ亭主が、南朝の里「賀名生」や天誅(忠)組・神社関係の等の情報を発信します。

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先日、五條市島野町にある島野代官所跡地に

記念碑と説明板が建立され、その除幕式が行われましたが、

今日の奈良新聞11面にそのことが大きく取り上げられています。

奈良新聞の記事によりますと

宇智郡5カ村は明治維新まで旗本・船越家の領地で、

地域の庄屋だった髙島家が御用場(代官所)の役目を果たしていたそうです。

天忠組が五條の桜時に本陣を置いた時に

髙島家は敵味方の態度表明を迫られています。

天忠組に関連し、それぞれ姻戚関係である

髙島家・名迫家・榎本家三家が力を合わせられて今回の記念碑建立に至ったそうです。

榎本家からは6代目当主泰久氏の母親で、

昭和10年に高島家から榎本家に嫁がれた昌子さん(99歳)も

お元気な姿で式典に参加されていました。

御所市戸毛で医院を営む榎本家は、

天忠組が高取城を攻めた時に負傷した総裁吉村寅太郎の傷を治療した

榎本住さんの家に当たられます。

その当主である榎本泰久氏が挨拶をされています。

和歌山県富貴の庄屋だった名迫家も天忠組に物資などを支援していましたが

天忠組と紀州藩との戦闘のあおりを受け焼き討ちをされてしまいます。


このように姻戚関係であり、それぞれに天忠組と関わりを持っている三家が

髙島家の屋敷跡に

「髙島家・島野代官所跡」の記念碑を建てられたのでした。



南海難波駅で見かけたPeach×ラピート ハッピーライナー
2014年に20周年を迎えた特急ラピート。

4月26日から6月末までは、ガンダムUCとコラボした赤いラピートが運行されていました。
特急ラピートが之からも乗客に長く愛されていきたいという願いが

こもっているようです。

今回のPeach×ラピート ハッピーライナーは、

古来より長寿・繁栄・幸運のシンボルとして愛されている「桃」をイメージしての

Peach。


Peach×ラピート ハッピーライナーのデッキ付近数か所には

”小さな幸せ”ハートマークのステッカーがあるそうです。

見つけてラッキー!
小さな幸せを見つけてくださいとのことでした。運行を記念して記念グッズも発売されているそうです。

たまたま大阪に出かける用事があって難波駅で降車したのですが、

”出逢えたらラッキー”のPeach×ラピートにたまたま出会うことができて

本当にラッキーでした。






新しく、「天忠組志士霊位」の前に掲げられた御簾で一段と神域に近づいた

天誅(忠)組記念館藤井寺展で、

五條市の歴史研究家窪田照久氏を迎えて第二回オープン講座

「五條代官史跡巡り」の講座が開催されました。

今回は、前回に続いて五條代官歴代14人の後半の人についてのお話です。

窪田氏はもともとは中国史の研究をされていたそうなのですが、

手に持っておられるのは清朝の王様が書かれた命令書の本物です。

これもそうですが、貴重な資料を次々と見せていただきました。
今回は第八代竹垣三右衛門 直道(在位1838・1840)からの講義です。
五條代官は代々立派な人が赴任してきており、
領民も安定した暮らしぶりができていたのではないかということでした。
第十三代代官鈴木源内 正信(在位1862・1863)
天保十四年(1843)御勘定所附御料所取締扱(栃木・真岡)として
嘉永元年(1848)まで務められ、
その後支配勘定格、新潟奉行所支配組頭などを経て、
万延元年(1860)から文久二年(1862)まで信州中野代官つとめられて
五條代官所に赴任してきたのでした。
文久三年(1863)8月17日、
天忠組一行が五條代官所を襲撃したため、
鈴木源内以下奉行所役人は志士たちによって討取られたのでした。
このあくる日京都では8.18政変が起こり
天忠組は追われる立場になってしまうのですが、
一日か二日政変が早く起こっていれば
鈴木源内 正信もその命を長らえていたのかもしれないですね