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さて、今回はグランマ・モーゼス展 素敵な100年人生を見に行って来ました。



アンナ・メアリー・ロバートソン・モーゼスは、アメリカでは国民的な画家で、通称グランマ・モーゼス(モーゼスおばあさん)で広く親しまれているそうですが、実際に筆を持ち始めたのは、70代を過ぎてからだそうです。



101歳で亡くなるまでに多くの作品を残しており、回顧展は実に16年ぶりという事で、美術館へ足を運んでみました。






元々絵を書く事が好きだったグランマ・モーゼスは、農家の主婦として家庭を切り盛りしながら、刺繍絵を作っていました。




70代になり、本格的に油彩画を描き始めてからは、自家製のジャムなどと共に、地元のショップのショーウィンドウに絵を並べて貰っていたそうです。




絵は全く売れていなかったのですが、転機となったのは、偶然ショップに訪れた美術コレクターが、グランマ・モーゼスの絵に目をつけ、全て購入したそうです。




様々な協力があり、80歳で初めて開いたニューヨークでの個展を切っ掛けに、グランマ・モーゼスの名前と作品は、アメリカ中に広がる事となりました。




美術館内は当然ながら撮影禁止の為、ポストカードを使っていくつか作品をご紹介したいと思います。




《窓ごしに見たフージック谷》




素朴画家として有名という前知識は入っていましたが、最初にグランマ・モーゼスの絵を見た印象は、そのまま素朴でシンプルでした。




ですが、作品を見ていく内に、良い意味で派手さの無い、優しい色彩と温かみを感じる筆遣いに、徐々に惹きつけられていきました。




《海辺のコテージ》




こちらは油絵を描く前に作っていた、刺繍絵の作品です。




花の凹凸などに立体感があり、刺繍である事を忘れてしまうような綺麗な作品ですね。




ですが、リウマチによって刺繍が出来なくなってしまった為、筆を執ったそうです。




絵を描く際に、使っていた道具や、作業テーブルと椅子なども展示されていましたが、テーブルの土台部分に風景画が描かれていて、グランマ・モーゼスのチャーミングさを感じました。




《洗濯物をとり込む》




グランマ・モーゼスの作品は、人々の営みが描かれている物が多く、牧歌的で穏やかな時間の流れを感じる作品ながらも、そこに描かれた人々の営みは生き生きとしていて、逞しさに溢れています。




《美しき世界》




温かみのある自然の美しさも特徴ですね。




グランマ・モーゼスは、アメリカ大統領に謁見し、表彰されるほどの名声を得ながらも、生涯農村の主婦、素朴画家としての生活を変えなかったそうです。




その絵画は、広い世界を描いた物ではありませんが、四季の移ろいや、そこに生きる人々の営みや行事など、まるでグランマ・モーゼスが目にして生きてきた生涯を、追体験しているような感覚になります。




《シュガリング・オフ》




グランマ・モーゼスの作品は、人々の営みと自然が調和しています。




人間は自然の一部という言葉をよく耳にしますが、グランマ・モーゼスの作品を見ていると、自然も人間の営みの一部という印象を受けます。




人物画の背景に描かれた、自然の風景が作品全体を彩る絵画は多く目にしましたが、グランマ・モーゼスの作品は、自然の風景に人々の営みが彩りを与えているようにも感じられます。



人々の営みが描かれていないと、何だか物足りなさを感じてしまうように。




このグランマ・モーゼスの不思議な感性は、とても魅力に溢れていると思いました。




《虹》




晩年に描いたこの作品が、グランマ・モーゼスの絶筆となりました。




グランマ・モーゼスの作品は、表題が正面にピックアップされるのではなく、作品全体の日常の1コマのように描かれた物が多いです。




作品名は虹なのですが、虹は隠れてしまっていて、寧ろ木々や人々の営みの方が目立っています。




虹は隠れているのですが、何故か虹を感じられる、自然の中に、人々の営みの中に。




そんな風に受け取りました。




丁度メモ帳用に小さなノートが欲しかったのですが、良い物を見つけて愛用しています。




グランマ・モーゼスは、まるでヘミングウェイの小説に出てきそうな人物像ですよね。 




こうして作品を追っていると、自分が生まれる前に生涯を終えた、生前のグランマ・モーゼスに思いを馳せてしまいますね。




生涯を終える直前まで絵を描いていたグランマ・モーゼスは、死後の世界があるのならば、その世界でもずっと絵を描いていそうで、 沢山の絵に囲まれている情景が浮かんでくるようです。




今回、作品と生涯を追っていく中で、深く広大で凪いだグランマ・モーゼスの心の豊かさに、少しだけ触れられたような、そんな印象を受けた展示会でした。





 












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さて、今回は久しぶりに、最近読んだ本の中から、オススメの本を3冊ご紹介していきたいと思います。



核心には触れませんが、ネタバレなどを含みますのでご注意下さい。




Amazon Audibleのオーディオブックを試してみたのですが、ラジオドラマを聴く様な手軽さで本が読めて良いですね。




ハンズフリーで″ながら聞き″ができますし、集中力が続く限り、中断せずストーリーを追えますし。




また、有名な役者さんや声優さんが朗読された本もあるのですが、映像化された作品に、実際に出演された方が朗読していたりする事も面白いポイントです。




月2冊が無料になり、1冊はAudibleオススメ本、もう1冊は自分で選べるのですが、最初の1冊に選んだのがこの本です。




 
瀬尾まいこ 著

『 そして、バトンは渡された 』



幼い頃に母親を亡くし、父とも海外赴任を機に別れ、継母を選んだ優子。



その後も大人の都合に振り回され、高校生の今は二十歳しか離れていない″父″と暮らす。



血の繋がらない親の間をリレーされながらも出逢う家族皆に愛情をいっぱい注がれてきた彼女自身が伴侶を持つとき ー。




高校生の主人公優子は、これまでに2人の母親と3人の父親がおり、家族形態が7回も変わっています。



それでも、先生に悩みを打ち明けて欲しいと言われ、困ってしまう程に不幸ではない。



主に優子の学園生活、過去の回想、現在の父親である森宮さんとの食卓でのやりとりで構成され進んでいくのですが、まるで童話を読んでいるかのような優しいストーリーが展開されます。



とは言え、当たり前のように血の繋がりのない人達と暮らしてきた、優子だからこその″ズレ″や″溝″が浮き彫りになったり、回想では優子の過去の苦しみや痛みが描写されたりもします。



それがどのように昇華されていくのかも見どころの1つ。そして優子の環境を大きく変化させる要因として、ピアノとの出逢いがキーとなります。



渡されてきたバトンが紡がれる先は…



優しいストーリーが好きな方、感動の家族ドラマが好きな方にオススメですね。



食卓シーンでは、文章で飯テロしてくるので注意が必要です。笑



まるで温かいスープを飲んだような、満足感とじんわりとした幸福感を与えてくれる一冊です。



今秋、豪華キャストで映画化も決まっています。



紙媒体と合わせて読みましたが、普段読み慣れないジャンルの本ながらも、オーディオブックのおかげでスラスラと読めました。
 
2冊目は、ブレイディみかこ著

『 ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー 』



人種も貧富の差もごちゃまぜの元底辺中学校に通い始めたぼく。



人種差別丸出しの移民の子、アフリカからきたばかりの少女やジェンダーに悩むサッカー小僧。



まるで世界の縮図のようなこの学校では、いろいろあって当たり前、みんなぼくの大切な友達なんだ ー。




多様性。


何かの批判やレッテル貼り、その行為の免罪符としてこのワードが出てくる度に、その使われ方や在り方に疑問を感じていたんですよ。



目にする度にピンボケしていたこの言葉の意味が、やっとクッキリしてきたように感じられる印象を受けた一冊でした。



英国の南端に住む、日本人の著者とアイルランド人の父親の間に生まれた息子と、友人達のスクールライフの1年半を描いた、ノンフィクション本です。



名門カトリック小学校から、元底辺中学校に通い始めた息子の、ノートの走り書きがタイトルの由来となっています。



英国の社会問題、教育制度などにも触れており、本当か?と疑ってしまうような事が、日常的に起きている事に驚きました。



ポリティカルコネクトレスに配慮し、注意している著者自身でさえも、事前に息子に話を聞いていながら、配慮に欠けた言動でとある母親の地雷を踏んでしまいます。



謝る事すら出来ないもどかしさに、多様性がいかに繊細で複雑であるのかが分かります。



レイシズムと言えば人種差別や性差別に直結しがちな印象ですが、先入観で決めつける事も立派なレイシズムで、日常的に潜んでいる事柄だと受け取れます。



著者自身が先入観で語る場面では、子どもが逆に諌めたりと、目の前の事実だけに基づいて善し悪しを判断し、時に助言を求め、大人が躊躇する場面でも乗り越えていく姿に、子どもから学べる事の大きさを感じました。



著者とは違う角度から意見を言う、配偶者(父親)の存在も和ませますね。言葉選びはさておき、配偶者の意見にも共感できる部分があります。



著者とこの配偶者だからこその、バランスの良さという物が感じられました。



それにしても、入学翌日にミュージカルのオーディションがあったりと、ユニークな取り組みにも驚きます。



自己表現力、創造性、コミュニケーション能力を高める為に演劇の教科があったり、他にもエンパシー能力を高める為の、良い取り組みだと思える授業などがありました。



こういった事を書くと、こちらの国の教育が優れていて、こちらの国は遅れて劣っているといった話になりがちです。



ですが、そんな中でも時代錯誤なレイシズムが横行していたり、富裕層と貧困層の分断が顕著に現れていたり、いじめ問題が起こっているんですよね。



ならば、優れた取り組みが行われていても、大事な本質はまた別にあるのかも知れないなと、考えさせられる要因でもありました。



多様性とは何だろうと疑問に考えている方や、英国の社会性や教育制度などに興味がある方にオススメです。



多様性の本と聞くと堅苦しいイメージがありますが、ユーモアを交えて描かれていたりと、エッセイの様に読みやすい本でした。



読了後に、色々と勉強になったと思える一冊です。

 

2個目のうちわ型しおりを頂きました。笑




 
最後の3冊目は、宇佐美りん 著

『推し、燃ゆ』



逃避でも依存でもない、推しは私の背骨だ。



アイドル上野真幸を"解釈"することに心血を注ぐあかり。



ある日突然、推しが炎上し ー。




この本、最初は群像劇で描かれるようなミステリーなのかと勘違いしていましたが、青春小説だと思いました。



主人公のあかりは、アイドルグループの推しの追っかけをしている高校生。



詳細は分からないが、推しがファンを殴ったらしいという、炎上している描写からストーリーが始まります。



「推しは命にかかわるからね」

「病めるときも健やかなるときも推しを推す」



アイドルとのかかわり方は十人十色。



現に去年まで有名アイドルを追いかけていた友人の成美は、「触れ合えない地上より触れ合える地下」認知をもらえたり、裏で繋がれたり、もしかしたら付き合えるかもしれないと、己の欲望に忠実。



対してあかりのスタンスは、作品も人もまるごと解釈し続ける事、推しの見る世界を見る事。



あかりは達観して見えるけど脆さを兼ね備えていて、共感できるけど理解ができない2面性を持ち合わせています。



それはあかりが何かしらの持病を抱えている事、推しを推す事が背骨と語るように、推しが世界の全てで、推しとの重なりが世界との繋がりでもあるんですね。



なので、推しが感じる痛みをダイレクトに心身に受け止めてしまいます。



推しの炎上とともに、あかりの日常にも徐々に影が射していきます。



あかりの一人称で物語は進みますが、推しの炎上やそれに伴って起こる事象は、テレビやSNSなどで散々見てきたようなリアルさがありましたね。



あかりの切実な心理描写に、あかりを通して、こちらまで痛みを感じてしまうような、錯覚を抱いてしまいます。



推しのライブシーンでは、描写は長くないものの、その情景とそこにうずまく感情が浮かんできて、胸にくるものがありました。



最後に燃え、残る物は…。



好きな芸能人がいる方にオススメです。



あかりをファンの鏡だなと感じる場面もありますし、対照的に描かれる成美の行く末にも、個人的には焦げ臭さしか感じないので、一概に何が正しいとは言えないストーリーですし、賛否両論あると思います。



賛否両論と書くと、賛の方が想像力豊かで~と間違った印象を与えそうですが、言ってしまえばフェチズムが合うか合わないか。



もっとざっくり言えば、たけのこが好きか、きのこが好きか程度の事だと思っているので、興味があれば気楽に読んでみて下さい。



王城ティナさんが朗読されているので、オーディオブックのお試しにも良いかもしれません。



心の片隅に、留めておきたいと思える一冊でした。




 
カバーを外すと、青い光や青いうねりのようなデザインが施されています。







さて、いかがだったでしょうか。今までホラー、ミステリー、サスペンスしか出した記憶がないので、今回は違うジャンルで選書してみました。




「 推し、燃ゆ 」に関しては、この本の中の推しとは何だろう?と余韻が残っている時に、ヨルシカさんの新曲(当時)がリリースされ、その曲を聴いてこの本の場面が鮮明に浮かびました。




個人的に一つの″解″に結びついたようで、晴れやかになれましたね。