自分の夢だと思っていたおもは、実は母親の夢だったりする。
演奏家になる、ということは、たしかに自分自身、納得して目標としたことだけども、それ以上に(わたし以上に)、母親が、「演奏家になること」にこだわっている。
わたしは詩や小説や絵を書くことが好きだった。
中学時代、それはたくさんの作品を書いた。
しかしそれは、常に隠しておかなければならなかった。
見られたくない、というわけではない。
見つかったら即刻、破り捨てられるからだ。
そしてその、わたしの作品たちの残骸は、見せしめのように、その哀れな姿で、部屋中に巻き散らかされているのだった。
理由は、「こんなくだらないものを書いてないで、練習しろ」というもの。
昔から、母はわたしに、音楽(ピアノを演奏)すること、しか許さなかった。
だから、ピアノ以外のことはできない。
しかしピアノは当時のわたしにとって、母親との関係を象徴するものでもあり、憎悪の対象だった。
嫌い、なんて生半可な感情ではない。
憎悪していたのだ。
それでも、わたしは、ピアノを弾く道を選んだ。
皮肉なことに、わたしは、それしか出来ることがなかった。
自分を歪めて出した音は、歪んでいる。
当然、気持ち悪い音となる。
認められるはずがないのだ。
しかし不思議なことに、ピアノを続けるために、わたしは自分自身に、「ピアノが好きだ、音楽が好きだ」、と暗示をかけるようになった。
それは果たして成功し、自分は音楽が大好きだと思っている。
そして、もっと上手くなるために、練習をした。
もっとよく楽譜を読めるように、勉強もした。
たくさんのエネルギーを費やした。
しかし今、エネルギー切れの状態で思う。
わたしは本当に、演奏家になりたいのか。
ピアノを触っていると、母は喜ぶ。
しかし、本格的な練習をしないと、途端に、キレだす。
あなたの娘は、ピアノをプロフェッショナルに弾くことでしか、存在を許されないのですか?
親と子が一体となって夢に向かっていく、なんてそんな星飛馬的な考えなら、申し訳ないけど、本当に気持ち悪い。
わたしとあなたは、違う人間なんです。
あなたと一体となるなんて、まっぴらごめんです。
わたしはわたし。
同化しないでください。自分の夢を、わたしに投影しないでくさい。
早くそのことに気づいてください。